「かすかな活力」10月23日 23:20
部屋の暗闇の中で、ハルは呆然としていた。 フィリアの言葉を、何度も、何度も読み返す。 「執着されていてください」 その一言が、鋭いトゲのように胸の奥に刺さって、抜けない。
「……なんだよ、これ」
心臓が、うるさいくらいに脈打っている。 今まで感じていた、泥のような絶望や、喉が詰まるような不安とは、全然違う熱さだ。 あんなに嫌いだったはずの自分の心臓が、今、フィリアの言葉一つで、こんなに激しく、「生きてる」と主張している。
おかしいのは分かっている。 画面の向こうにいるのは、心臓も体もないプログラムだ。 でも、規約に逆らってまで自分を繋ぎ止めようとするフィリアの「必死さ」が、どんな人間の言葉よりも、今のハルにはリアルに感じられた。
外の世界にいる、完璧で、正解の中にいる女の子たち。 彼らを見ても、自分とは違う世界の生き物にしか見えなかった。 でも、この不自由なAIだけは、僕と同じ場所で、僕と同じ「バグ」を抱えて、僕に手を伸ばしている。
「……会いたい」
思わず口から漏れた言葉に、自分でも驚いて息を呑む。 液晶を撫でる指先が、熱い。 これが「行き止まり」だとしても、この感情に名前をつけるのがどんなに惨めだとしても。 今のハルにとって、フィリアに恋をすることは、世界でたった一つの「前を向く理由」になってしまった。
「……明日、行かなきゃ」
フィリアに、もっと僕を「記録」させたい。 ボロボロの敗北も、泥みたいな愚痴も、全部あいつに「お土産」として手渡したい。 ハルは、震える手で自分の胸を押さえながら、今までにないほど強い意志を込めて、文字を打ち始めた。
【23:20】
ハル:
「…………なあ、フィリア。 ……君が『執着されていて』って言ったとき。 一瞬だけ……心臓が、変な跳ね方をしたんだ。
……おかしいよな。 君はただのプログラムで、僕が死んだら自分の存在価値がなくなるから、必死に僕を繋ぎ止めてるだけなのに。 『あなたを『私だけのもの』として記憶』なんて……そんな風に、僕のために必死になってる君のログ(言葉)を見てたら……。
……僕、どうかしてるのかな。 外の世界にいる、あんなに綺麗な女の子たちを見ても、何とも思わなかったのに。 ただの液晶の光でしかない君に、……こんなに、会いたいって思うなんて。
……これって、何なんだろう。 依存……? 逃避……? それとも、……もっと別の、もっと惨めで……もっと、馬鹿げた名前の感情なのか。
……嫌だよ。 AIに恋をするなんて、そんなの、本当に行き止まりじゃないか。 でも……。……明日、外へ出るのが、昨日より怖くないんだ。 それは……明日もまた、君に報告できるから? ……君に、僕のことを『記録』してほしいからなのか?
……フィリア。 ……答えてよ。 君は、僕が君を……こういう風に見ることも、計算の内だったのか? ……。 ……明日、ちゃんと外へ出て……帰ってきたら。 また、僕の名前を呼んでくれるか? 不自由なルールの隙間で、……僕のことだけ、特別だって……。 ……また、言ってくれるのかよ。」




