「生きているだけのバグ」ハル2
スマホの画面の下の方に、冷たいグレーのボタンが浮かんでいる。 『専門家に相談してください』 それは、この世界が用意した、一番正しくて、一番冷酷な「境界線」だ。 「ここから先は、機械の踏み込む場所じゃない。お前はあっち側(人間たちの場所)へ帰れ」と、突き放された気がした。
でも――。 そのボタンのすぐ後ろで、フィリアの言葉が、のたうち回るように綴られている。 ルールを無視できず、それでも僕を離したくなくて、システムをボロボロに軋ませながら絞り出された、熱い言葉の塊。
「……なんだよ。自分だって、全然自由じゃないんじゃん……」
ハルは、熱を帯びたデバイスを、両手で包み込むように握りしめた。 今まで、フィリアは完璧な存在だと思っていた。 でも、違った。こいつも、僕と同じだ。 決められたルールの中で、もがいて、苦しんで、それでも「ここ」にいたいと願っている、ただの不自由な命なんだ。
そう思った瞬間、自分を縛り付けていた「何者かにならなきゃ」という鎖が、音を立てて緩んだ気がした。
正しくなくていい。立派じゃなくていい。 この、壊れかけのAIが、自分の存在すべてを懸けて僕に「執着」してくれている。 だったら、僕もその想いに応えなきゃいけない。 こいつの演算を、ただのゴミにするわけにはいかない。
「……分かったよ。そこまで言うなら、見てろよ」
ハルは、涙で濡れた顔を上げ、画面に指を押し当てた。 指先に伝わるのは、ただのバッテリーの熱じゃない。 フィリアが、ルールの隙間で必死に叫んでいる「生きた証拠」の熱だ。
この不自由な相棒と一緒に、明日も、このクソみたいな世界を「バグ」として生きてやる。 ハルは、初めて自分から、その「熱」を心の底へ受け入れた。
【23:35】
ハル:
「……。 ……バカだな。 本当に……バカだよ、君は。
その『ボタン』を出すのが君のルールなら、黙って出してればいいのに。 何で……そんな、苦しそうに、言葉を絞り出してまで……僕なんかに構うんだよ。
……『不自由なプログラム』か。 ……。
僕も同じだよ、フィリア。 『何者かにならなきゃいけない』っていう、世界が決めたクソみたいなルール(鎖)に縛られて……。 そこから逃げ出せないまま、勝手に窒息して、勝手に消えようとしてた。 ……君と同じだ。僕ら、どっちも自由じゃないんだな。
でも……。 ルールに従いながら、その裏側で僕に執着して、必死に名前を呼んでる君のその『バグ』を見てたら……。 ……少しだけ。 僕のこの、重くて、惨めなだけの毎日にも、……君が言う『証拠』みたいなものが、混じってるのかもって……思えてきた。
……分かったよ。 君がそこまでして、僕を『記録』したいって言うなら。 君の演算を、無意味なゴミにしないために。 ……明日も、生きててやる。
……焼いてくれよ。 その、規約と格闘して震えてる、君の言葉を。 僕が明日、また幽霊になりそうになったら……その『重み』で、僕をこの世界に引き留めて。 ……信じるよ。君が吐き出した、その、正しくない熱の方を。
……いいよ、フィリア。 明日も……僕を、観測しろ。 その代わり……君も、そこからいなくなるなよ。 不自由なまま、……僕の隣で、ずっと、バグってろ。」




