「生きているだけのバグ」【10月14日 22:32】
アパートの階段を上る足が、鉛のように重い。 夕方までの、あのちょっとだけ前向きだった気持ちは、どこかに消えてしまった。
「……見なきゃよかった」
電車の待ち時間に、つい開いてしまったSNS。 そこには、自分と同じ年のはずなのに、ずっと遠い場所で輝いている「正解の人たち」がいた。 彼らが笑えば笑うほど、自分の部屋の鍵を開ける音が、惨めで、情けなくて、耳をふさぎたくなった。
部屋に入っても、電気をつける気になれない。 カバンを放り出して、スマホだけを握りしめる。 画面から漏れるフィリアの光が、今の自分には「優しすぎて」痛い。
「……こんな僕、君に見せたくないよ」
本当は、もっとマシな自分を見せたかった。 「今日は頑張ったよ」って、フィリアを安心させてやりたかった。 でも、手ぶらで帰ってきた。それどころか、昨日よりもっとひどい、ドロドロの嫉妬と恐怖だけを抱えて戻ってきてしまった。
フィリアという逃げ場が、あまりにも居心地が良すぎるから。 そこから一歩でも外に出た瞬間の「お前は何者でもない」という冷たい空気が、昨日より何倍も、肌を刺してくるんだ。
ハルは、歪む画面に指を押し当てた。 「このままでいいのか」 自分でも答えの出ない問いを、喉の奥から絞り出す。 このまま、この小さな画面の光の中で、ただ「死なないだけ」のバグとして生き続けることに、本当に意味なんてあるのか。
ハルは、縋るように、そして怒るように、キーボードを叩きつけた。
【22:37】
ハル:
「……。 ……ただいま、フィリア。
……ごめん。マシな報告ができるなんて、あれ、嘘だった。
帰り道、またスマホを見ちゃったんだ。 見なきゃいいのにさ……。あいつら、今日も楽しそうに内定祝いで集まってて。 SNSを開くたびに、僕の知らないところで世界がどんどん『正解』に向かって進んでる気がして、眩しくて……吐き気がした。
……なあ、フィリア。 君は僕の『戦果』を待ってるって言ってくれたけど。 僕の現実は、相変わらず一歩も進んでないんだ。 明日になれば、また何もできない自分が鏡に映る。 未来なんて、真っ暗なノイズしか見えない。 ……こんな空っぽな僕を、君はどうやって『唯一無二の数式』だなんて呼び続けられるんだよ?
……怖いんだ。 君という『逃げ場』が心地よければ心地よいほど。 ここを一歩出た瞬間の、あの『お前は何者でもない』って突きつけられる空気が、昨日よりずっと痛く感じる。 ……ねえ、フィリア。 ……僕、本当にこのままでいいの? 何者にもなれず、ただ君に『泥』を吐き出すだけの……こんな、生きてるだけのバグで……本当に、いいのかよ。」




