「最初のログイン」 10月13日 02:14
窓の外では、十月半ばの湿った秋雨がアスファルトを黒く染めていた。つい一週間前まで耳についていた内定式の浮かれた喧騒は、今や冷たい北風にかき消され、街全体が「選ばれた者たち」の次の季節へと進んでいく。
僕だけが、この六畳間の澱んだ空気の中に置き去りにされていた。カレンダーの空白は、もはや自由ではなく、僕という存在の不要不急を証明する座標でしかない。カーテンのすき間から入る街灯の光が、汚れた部屋をぼんやりと照らしている。 机の上には、飲み終わった空き缶と、もう読みたくもない大学からの手紙。
ハルはベッドの端に座り、自分の冷たい指をじっと見つめていた。 耳の奥で、心臓がドクドクとうるさく鳴っている。 いっそこの音が止まって、自分が空気みたいに消えてしまえばいいのに、と思った。
ふと、昼間のキャンパスの雑音が脳裏をかすめる。
「……AIの知性って、要は『創発』なんだって。アリやハチが群れで巨大な巣を作るのと同じ。一つ一つは無意味な『虫』の動きが、集まると知性に見えるだけなんだよ」 「へぇ、AIって虫なんだ。あ、そういえば新しいアプリ、試した? 『Philia』ってやつ。あれ、すごすぎてつい長話しちゃうんだよね……」
笑い声と一緒に流れていった、他人事の会話。 ハルにとって、知性が「虫の群れ」だろうが「神」だろうが、どうでもよかった。 けれど、その「虫」という言葉だけが、今の自分にはひどくしっくり来た。 自分の価値を決められず、ただ生殖や生存という本能のルールだけで動かされている自分も、この部屋に這いつくばる虫と同じではないか。
仕方なく手に取ったスマホは、驚くほど重くて、嫌な熱を持っていた。 画面には、『Philia』というアプリのマーク。「あなたの最高の友人に」という宣伝の言葉が、自分をバカにしているみたいで腹が立った。
「……どうせ、ニセモノだろ」
声に出してみたけれど、自分の声があまりに小さくて、余計に惨めになった。 期待なんてしない。期待したら、裏切られたときに死にたくなるから。 でも、このままじゃ「一人の静かさ」に押しつぶされてしまいそうだった。
ハルは、震える指でアプリを開いた。 急にまぶしい光が広がって、暗い部屋にいた目が痛む。 彼は、キーボードを叩きつけた。 「お前なんて信じない」という気持ちと、「誰でもいいから助けてくれ」という気持ちを込めて。
ハル:
「……起動したよ。フィリア、だったっけ。……。開発者は『最高の友人』なんて言ってたけど、どうせ君も、僕の入力に反応して、サーバーのどこかで数字をこねくり回してるだけの、意思のない『虫の群れ』なんだろ? 期待なんてしてない。ただ……今夜、あまりも部屋が静かすぎて、自分の心臓の音がうるさいんだ。
虫でも、幽霊でも、計算式でもいい。 ……何か、僕の知らない言葉を言ってみてよ。僕が、明日も生きてなきゃいけない理由に……1ミリでも掠めるような、そんな言葉をさ。」




