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第3章「春の嵐の予兆」①

第1話「違和感の朝」

ふとんの中でテレビの天気予報を眺めながら、弘明はボーとしていた。


昭和52年(1977年)2月27日、日曜日。

博多から帰って、もう一週間が経っていた。


せっかく課長に前借を許してもらい、名古屋から新幹線に乗ったというのに、その夜、史子を抱くどころか、会うことさえできなかった。


日本海から吹き付ける冬将軍は、例年になく強く、大寒波となった。


雪に覆われた新幹線が博多に着き、改札を出てすぐ、

史子のアパートへ電話を入れた。


今から思えば変な話だが、史子は部屋にいた。

あの時、弘明は何の疑問も持たなかった。


「今、着いた。新幹線が雪で遅れて、やっと今着いた……」


昼飯も食べずに会社を飛び出してから、12時間余り。何も口にしていなかった。だが空腹よりも、史子に会いたいという思いが先に立っていた。


受話器の向こうで、少し間があった。

「……もう、会わんし……」

その言葉は、冷たく短かった。


「すまん、俺が悪かった。謝るけん……」

弘明は、そんな戯言を何度も繰り返した。


だが、これまで弘明の言うことを聞いてきた史子が、決して「うん」とは言わなかった。頑なに拒み、やがて黙り込んでしまった。


「そんなら、俺は明日の朝までここにおる。来んかったら、朝一で帰るけん」


捨て台詞にもならない、甘えた言葉だった。


電話を切ったあと、弘明は自分が何を言ったのか分からなくなった。どこか成長障害でもあるのか、そんな自分が嫌で、史子は別れようとしているのか。理由は分からないまま、弘明は最後の賭けに出た。


博多駅の待合室に入り、まんじりともせずに時間を潰した。

暖房はなく、外へ出れば容赦ない寒さが襲う。


気がつけば、ひとり浮浪者が迷い込み、そのむさ苦しさと、鼻を突く悪臭に耐えきれず、弘明は人影のない街を彷徨った。


夜が明けるのを待ち切れず、朝六時過ぎに再び電話をかけた。

だが埒は明かない。


最後は、自分から受話器を置いた。もう、帰るしかなかった。


昼過ぎに寮へ戻り、途中で買った一升瓶をラッパ飲みした。それでも気が収まらず、翌日も休みを取り、夜はひとり街へ出た。以前、先輩に連れて行かれた下町の長屋を訪ね、ベニヤ板で仕切られた二階の小部屋で、素面では相手にできない女と寝た。


そんなことで気が晴れるはずもない。

だが、そのときの弘明には、自分を貶める以外に術がなかった。



週末、課長から名前だけの野球部員として、早朝野球への参加を命じられた。もともと日曜日の早朝からの参加が嫌で、幽霊部員同然だったが、見るに見かねたのだろう。


(この冬に、なんで野球や……)


そんな拗ねた思いを抱えたまま、寝る前に朝五時の目覚ましを掛け、時計を枕元に置いて眠った。


朝の天気予報では、最低気温は5度だが、昼には15度まで上がるという。博多で夜を明かしたことを思えば、天国かもしれない――そんなことを考えながら、弘明は起きた。


午前7時半、弘明は万博のオーストラリア館横にある市営球場に着いた。


監督は基本設計の田崎課長。緒形部長とは同期らしいが、風体はすでに中年の域に達している。出っ張った腹に太いベルトが食い込み、まるで似合っていない。


だが若い頃は、大阪の高校野球で名を馳せたという。

河内生まれで、村田主任の先輩だった。


「おう山岡、今日はお前が投げろ――」

「えっ……私がピッチャーですか」


高校時代、弘明が野球をやっていたことを、田崎課長も知っている。酒の席で、多少話を盛ったのを鵜呑みにしたのか、二、三度参加しただけの弘明に、いきなりマウンドを任せるつもりらしい。


(確か今日の試合は、春の四日市市民大会の予選のはずだが……)


課長の思惑を訝りながら、弘明は真新しい軟球を握った。


(つづく)



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