第2章「厄年の春」③
第3話「冬晴れの日の余韻」
年明けの造船所は、新造船の追い込みで相変わらず慌ただしかった。
残業続きの日々は変わらない。だが、184番船が無事に進水したことで、設計部に漂っていた重い空気は、いつの間にか、ほんのわずかに和らいでいた。
(それにしても、親孝行になったやろか)
仕事の合間、ふとそんな思いが胸をよぎる。
両親の顔を思い出すたびに、岡寺の鳥居と、父の平手と、進水式の日の空が、胸の奥で不思議な重なり方をする。
あの父が、あんな笑顔を見せるとは思わなかった。
母のはしゃぎぶりも含めて、どこか気恥ずかしさはあったが、嫌な気分ではない。むしろ、長いあいだ胸の奥に引っかかっていた何かが、少しだけほどけたような感覚が残っていた。
それでも、史子のことを考えると、心に薄い曇りがかかる。
12月、弘明は名古屋から博多へ飛んだ。
彼女は疲れた顔をしながらも、空港まで迎えに来てくれた。
ホテルに入り、久しぶりに会えた喜びを口に出すこともなく、弘明は自分の欲望を優先した。
仕事が忙しいことを言い訳にして、彼女の目を、言葉を、きちんと受け止めようとはしなかった。
自分でも、そのことは分かっていた。
(結婚すれば、良いのやろうけど……)
そんな考えが浮かんでは消える。
母に「優柔不断」と言われるたび、どこか図星を刺されたような気がして反発した。だが、父の存在はいつも遠く、腹を割って話した記憶もない。
その父に、結婚したい女の存在を打ち明けることなど、どうしてもできなかった。その場面を想像するだけで、喉の奥が詰まるような気がする。
言葉を選び、間を測り、結局は何も言えずに終わる――そんな自分の姿が、容易に思い浮かんだ。
それは、2月18日、金曜日の午後だった。
「山岡――、電話や」
課長が短くそう言って、手にしていた受話器を電話台に戻した。
「はい、ありがとうございます」
誰だろうと思いながら、弘明は課長席の隅に立つ電話台へ向かう。
ちょうど通路を挟んだ席から立ち上がった早川主任が、すれ違いざまに、ひそひそと囁いた。
「おい、女と違うんか」
「えっ……あ、どうでしょうね」
周囲の視線を妙に意識しながら受話器を取り、少し気取った声で名乗る。
「はい、山岡です」
次の瞬間、
耳に飛び込んできた明るい声に、
心臓がどくんと跳ねた。
「私……。ごめん、今夜は行けない」
「えっ――ど、どうして……ですか」
無意識に胸を張って電話に出た自分が、みるみるうちにしぼんでいくのが分かった。慌てて口元を手で覆い、周囲の耳を気にしながら声を落とす。
「今晩は中洲のディスコに行くと。それで、今夜はやめにするけん」
「そんな、なんでや。今度の連休やったらええって、言うたやないか」
押し殺していた声が、じわりと大きくなる。
受話器の向こうで、史子がかすかに息を呑んだ気配がした。
(つづく)
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