第2章「厄年の春」①
第1話「岡寺の厄払い」
昭和五十二年(1977年)1月16日、日曜日。
弘明は父に連れられ、松阪の岡寺山継松寺へ向かっていた。冬の澄んだ空気が頬を刺し、境内へ続く参道には、吐く息が白く浮かんでいる。
6月に満25歳となる厄払いを、母に勧められたのだ。本当なら成人の日の連休を使い、年末年始も会えなかった史子と博多で過ごすはずだった。
11月のドタキャンの詫びもあって12月に無理を押して会いに行ったが、会えばホテルへ直行し、仕事を口実に心を寄せることもなく別れてしまった。
新造船設計の追い込みで連日9時10時までの残業が続き、金は名古屋のディスコや四日市の街に消えていく。先輩に連れられた場末の旅館では、薄暗い部屋に座る女の顔より先に史子の笑顔が浮かび、何もできなかった。水着の女に身を任せる店に行っても虚しさばかりが残った。
母には「あんたは優柔不断や」と言われ、強面の父とは腹を割って話したこともない。
結婚したい女がいる――それをどう伝えればいいのか、皆目見当がつかなかった。
車を降りると、松阪の冬特有の冷たい風が吹き抜けた。寺の山肌には薄く霜が降り、石段は朝日をわずかに反射して白く光っている。参道脇の屋台からは甘酒の湯気が立ち上り、遠くで太鼓の音が響いていた。
「この先の鳥居をくぐったら、なにがあっても振り返るな」
父が低い声で言った。理由は言わない。弘明も「はい」とだけ答える。めったに父と二人で出かけることのない弘明は、どこか落ち着かない気持ちのまま父の背中を追った。
境内は思った以上に賑わっていた。
十九歳の厄払いらしい娘たちが晴れ着で列をなし、赤い鳥居の手前には写真を撮る家族連れが立ち止まっている。冷えた空気の中で人々の声が澄んで響き、弘明はついそちらへ視線を向けた。
「山岡くん……」
不意に若い女の声が背後でした。
反射的に首をまわした瞬間、後頭部に乾いた衝撃が走った。
「言うたやろ――振り返るなって」
父の平手だった。冬空の下、険しい横顔がさらに厳しく見えた。
(なんでそこまで真剣に叩かないかんのや)
理不尽とも思える痛みに、怒りと反発と、どこか諦めに似た感情が胸の奥で絡まり合う。鳥居をくぐりながら、弘明は、自分が何に腹を立て、何を恐れているのかすら分からなくなっていた。
(つづく)
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