第11章(その2)
試運転とはいえ、それがオーシャンライオンの、初めて外洋へ出る処女航海だった。
183番船はセミアフト型のコンテナ船で、船橋の前にガントリークレーンを搭載する。
元来、富双造船には艤装後のドックがない。以前は他社のドックを借りていたが、倒産で受入れ先がなかった。そこで緒形が交渉の末に、クレーンを造る船村造船に決まった。
「それにしても、大丈夫ですかなえ⋯⋯」
と、弘明は誰にいうでもなく、
ただドス黒い西の空が心配なあまり、呟いたのだった。
船村造船の重機部は大阪にあり、修繕用ドックを持っていた。183番船は伊勢湾沖で試運転を行ったあと、大阪へ向かう予定だった。
タグには現業とメーカーの人間が十数人、皆バックと工事道具を持って乗っている。工程の遅れを取り返すべく、突貫工事だった。
狭い甲板にはヘルメットと作業服に安全装具を装着した要員が立ち並ぶ。その中に「く」の字の形をしたパイプを担ぐ男がいる。それが気になる弘明は、それとなく村田に聞いた。
「なんですかねえ、あのパイプは?」
「あれはな、伝声管や」
村田は計画課の課長に昇進しても、その人となりはなにも変わらない。大坂人には珍しく淡々としている。弘明に取っては、上司と言うより兄貴のような存在だった。
「えっ、いまごろ伝声管ですか?」
「あのな、あんまり大きな声で言うな。あれは一番上やから、内装終わらんとできへん」
「そうですか、そんなもんですか」
そう答えた弘明だが、その実よく分かっていない。
黄金色をした真鍮の伝声管だった。
伝声管は最上段のフライング甲板から、操舵室の操舵スタンドの上へ貫通させる。いくら計器が進んでも、そこは肉声なのである。
そんな時、タグは港湾灯の赤と緑の間を抜けて港外へ。
そこは南から吹く風の中、まるで白ではなく、濡れた灰色の世界だった。
ただ甲板に立つ緒形は、見通せぬ沖に停泊するOcean Lionの陰を認めた。商船にしては端麗な煙突で、流線形のシルエットがあった。細い排ガス管から煙が立ち上る。だが西の空が澱み、行く先の荒れ模様が見て取れた。
予報では、南シナ海で発生した台風が西北西に向うため、低気圧の影響が出るという。ただ西へ迂回すれば明日は晴れるはずだった。
「村田、乗船前に喫水を見ておいて……」
珍しく緒形がそう村田に指示した。
「はい。分かりました」
言われた村田も緊張している。
それが弘明にも伝わった。
タグの用途は引船だけに、後部甲板に曳航装置がありいかにも狭い。舷側も人ひとり通るのがやっと。そこで村田は弘明らを引き連れ、緒形の背後に控えていた。
「山岡、行くぞ――」
村田はそう言うと、緒形に一言ことわって脇を抜けると、舳先の甲板に上がった。
岸を離れておおよそ二十分、ようやく前方にOcean Lionの全容が見えて始めていた。
だがやはり沖へ向かうにつれ、強い風が西から吹き付け、大きな波も出て来ていた。
百トン級の富田浜丸は、いかにも揺れが大きい。丸い舳先がうねりに乗り上げると、たちまち白い飛沫が甲板に降り掛かる。まだ九月だと言うのに、沖は冷え冷えとしていた。
久しぶりの乗船で気が晴れる思いだった弘明も、立ちどころに気を引き締めた。
それに海の色⋯⋯タグが水面を裂くたび、油と泥が混じったような色が広がる。
子供の頃に潜った伊勢の海の匂いなど、もうどこにもなかった。それを思うと、船に酔ったことのない弘明の三半規管が、波打つような耳鳴りで、どうにかなりそうだった。
やがて富田浜丸はOcean Lionに接近すると間もなく面舵を取り、本船と平行に向けた。
これが俺達の造った船⋯⋯
と、改めて弘明は気を入れ直した。
荒れる海や空を宥めるように、
聳え立つ船体は微動だにしなかった。
(つづく)
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