第11章「灰色の出港」(その1)
少し間が空きました。
今日は、noteに先行してお届けします。
よろしくお願いします。
1977年(昭52)9月8日木曜日。
前日から雨模様の、生ぬるい風の吹く朝だった。
会社倒産から三か月、更生法開始決定前の重要な時期だった。人身あるいは物損事故ひとつでもあれば頓挫しかねない。会社存続のために、不測の事態は防がねばならなかった。
その日緒形は、新造183番船・オーシャンライオンの試運転と、仕上げドック回航のため、早朝に起き出し船上泊の用意をした。
「明日は早出で、しばらく帰らないから」
そう伝えたが、それでも妻は早起きして用意してくれた朝食を持って車を走らせた。途中で車を止め、
袋の中からポットとマグカップを出し、暖かいコーヒーを口にした。
(家庭と会社、いったいどうしたら⋯⋯)
まさかそんな苦悩に追い込まれるとは思いもしなかった。
だが仕事が増えるにつれ妻との溝が深まるばかり。子供もまだ幼く家のローンも残っている。なんとかせねばと分かってはいるが、今はそれどころではなかった。
(まずは試運転を、絶対に成功させねば⋯⋯)
その思いが先に立つ。
それは昨夜遅く、緒形が電話で公安から聞いた話が原因だった。
――船の回航には気をつけて下さい――
その理由を公安に聞いても、
「会社も組合も、一枚板ではありませんよね」
と、匂わすだけだった。
要は富双造船の再建を望まない者がいると、緒形は解釈した。それは外部か、それとも⋯⋯と、疑心暗鬼になるばかり。だがそれが富双の現実だった。
183番船は韓国の東進海運が船主で、それを米国のオーシャンシッピングが傭船する。彼らとの契約は9月末の引き渡し。だが倒産で、資材購入や下請けの支払いはすべて現金。この資金繰りを解消するには、なんとしてでも引き渡さねばならない。引いては、更生法の開始決定も危ぶまれるのであった。
四日市地方裁判所は6月、富双造船に管財人を指定して会社更生の手続き開始を告げた。新しい管財人は元の県知事。それは徳田側の弁護士ではなく、小野田主導で決まった。
(公安の言う会社再建を望まない者とは)
緒形の頭の中で公安の言葉が渦を巻く。
幾人もの顔が浮かんでは消えていった。
だがそれを予測するのも無意味のような気がした。
(今は小野田氏の支援があるとして⋯⋯)
と、自分を納得させようとする緒形だが、
さらに大きな問題が当面の資金繰りだった。
吉田は残り、有田が現場を背負う。だが資金だけは――徳田抜きで回せるのか。様々な思いが浮かび上がり、その都度答えを出そうとするのだが、最後は堂々巡りだった。
そんな部長の苦悩を知らない弘明は、自分の身辺の動きを喜んでいた。なぜか営業へ転属になったのだ。仕事は以前と変わらず、計画課が営業部の中に設立されたのであった。
午前7時、緒形は自社のタグボート・富田浜丸に乗り込むと、目深に被ったヘルメットに手を掛けながら背後を振り返った。
それは何度も沖止めの船へ向かう度に見た風景である。
だがあいにくの雨模様、スレート葺きの建屋がまるで濡れ鼠のように横たわっている。
いつなら窓を通して、横一線に並んだ設計の部屋の天井灯が煌々と見える。だがそれも今は消えて、ただ暗い空を写すだけ。頬を撫でる南風が、緒形にはいかにも冷たかった。
岸壁に吉田部長と総務の二人が立つ。
その横で留守居役の庄司次長が手を振る。
少し腰を折り、彼は右手で敬礼の真似ごとをする。
誰もが寝不足なのか、その表情は暗かった。
それに向けて緒形はヘルメットの鍔に手を当て、そっと頭を下げる。ただその彼の瞳には、人知れぬ強い光が宿っているのだった。
とその時、ドン―という衝撃と共に、富田浜丸が速度を上げる。プロペラが海面を叩くと、周囲の海水がもんどり打つのだった。
(つづく)
不定期ながら、明日からまた投稿を続けます。
よろしくお願いします。
船木




