第10章(その2)「手にした錦の御旗」
執行官の到着で、一週間近く沈滞ムードだった造船所の中は、一気に甦っていた。
部屋に案内された執行官は、保全命令書を緒形に渡すと、直ちに所内を回ると言う。ただ裁判所の保全命令は、あくまで富双造船所内部の資産を保全するものであり、債権者の取り立てを止める効力はない。
そのことを緒形はもとより、同席する赤崎や堀田も分かっているだけに異論はない。
さっそく執行官の指示に従い、保全部隊を出すことになり、設計が動きはじめた。
保全命令の執行に先立ち、倉庫の機材は元よりヤードの鋼材、溶接場の溶接機械、岸壁のクレーン、敷地内に敷かれた砂利の目方まで目測し、それぞれ対価を算出した。
保全メンバーには、弘明も入っていた。
(こんな砂利まで、資産に上げるのか?)
言われるまま動く弘明だが、それは知らないことばかり。徹夜続きで眠いが、それより現場の作業の物珍しさが勝っていた。
目は充血し、濃くもない髭も目立っている。だが他のメンバー同様、保全命令が出たという感動で、心の闇が薄らいでいた。
裁判所から保全命令が出た以上、弘明にしてみれば、それは錦の御旗も同然である。今は与えられた仕事を一所懸命こなそうという思いで、頭がいっぱいだった。
なにしろ、いつも部長席に緒形がいる。現場から帰った時も、眠りから目が覚めた時も、決まって緒形は部長席にいる。
いつ眠るのかと思うほど、細身の体を椅子の背に預けたり、立ち上がって窓の外を窺ったり。それでも「ご苦労さん」とか「寝ておけよ」とか、声を掛けてくれた。
――この人となら城を枕に討ち死せん――
いつか歴史物で読んだ、戦国の代の侍の気持ちが、分かる様な気がする弘明だった。会社が再建したら、以前のように部長と仕事が出来ると思うと、思わず顔が綻んだ。
緒形は、事務所を出入りする弘明らの保全チームを見ながら、複雑な思いでいた。執行官に付き従う弘明の顔など、倒産直後の悲壮感漂う表情ではなく、明らかに自分の目で現実を見つめる力が籠っていた。
何がそうさせるのか、本人らは分かっていない。だが緒形にすれば、本来それは彼らがやるべき仕事ではない。それを考えると、身につまされる思いに苦しめられた。
昼食を挟んで、所内の財産目録を拾い出す作業は、午後3時頃までかかった。そこで執行官が、改めて保全命令の規定を言う。
「直ちに所内の財産を掲示して下さい」
そこで保全チームが集めた記録を紙に書き上げ、それを正門近くに貼り出せという。
まず紙は設計にA0のケント紙がある。あとは掲示用の立看板に仕上げるだけ。だが事前の通知などなかっただけに、造船所側では何の用意もしてない。だがそこは、ひとつの工場に匹敵するような船と、小さな町ほどの人数が働く造船所である。
例え村祭りで、寺の境内に立てるスクリーンほどの掲示板であったとしても、資材も人材も問題ない。言われるまでもなく、執行官に付き添っていた弘明は庄司次長の許可を得て、ひとり事務所三階へ走った。
そこは、船体を設計する「線図」を、原寸大で展開して型紙を作る現図場である。だが驚いたことに、そこはもう普段通り。
へえ⋯⋯と、一瞬戸惑いながらも弘明は、床にしゃがんで墨つぼを扱う職長に言う。
「すみません⋯⋯、保全命令の立看板を作るのに、角材とベニヤをもらえませんか」
その声に職長は、手元を見ながら答える。
「場所は知っとるな。記帳しとけよ――」
と言うと、指に摘んだ糸をパチンと弾く。
その音が、黒板の床を伝って広い現図場に響く。その音に弘明は、得も言われぬ親近感を覚えながら、力強い足を踏み出した。
まずは看板や――と、腹を据えていた。
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