第10章(その1)「財産保全命令」
第9章は(その2)で終わり、クライマックスへ入ります。
引き続き、よろしくお願いします!
3月10日木曜日、午前10時半。富双造船の正門に黒塗りの乗用車が到着した。その車からダークスーツの男二名が降りると、通用門から中へ入り、守衛所の組合員に、会社責任者への取り次を申し入れた。
すると、奥から委員長の赤崎が出てきて、訪問の主旨を聞く。訪問者は、その風体に困惑したものの、事務的に言葉を告げた。
「本日、財産保全命令が出ましたので、責任者の方にお会いしたいのですが⋯⋯」
と、その途端、赤崎の後に控えていた連中が色めき立つ。そこで「うおう――」という声が響くと、周りの連中も駆け寄った。
歓声が歓声を呼ぶ輪の中で、赤崎が満足そうに目を細め、うんうんと頷く。正門を守る組合員が口々に「決まった、決まった――」と、狂気にも近い雄叫びを上げた。
だが、その中からひとり、書記長の堀田が走り出す。脱兎の如く、とはこういうことなのであろう。それに続いて数名の役員が重い安全靴をものともせず、アスファルトの道や鋼材ヤードを超えて走っていく。
赤崎でさえ、紅潮して執行官に告げる。
「事務所の2階に、設計の緒形取締役がいますので、どうぞこちらへ⋯⋯」
そう言うと赤崎は、大きな腹を揺すりながら、周りを囲む組合員の輪に分け入る。正門を守る組合員らは、まるでヒーローを迎えるように執行官の一行を見送った。
ただ、若い組合員が多いと言っても、連日の徹夜続き。その間、冷たいパンやインスタントラーメンで凌ぎ、酒も飲めず家族との連絡もままならない。そこへ届いた保全命令⋯⋯、その喜びようは尋常ではない。
ただ口には出さないが、保全命令で会社がどうなるのか誰も知らない。その言葉の響きに、酔い痴れているだけ。執行部以外、この命令で職場が完全に守られる訳ではないことを、まだ知らされていなかった。
そんな雰囲気の中を、執行官らは物珍しそうに見回しながら、事務所へ向かった。
朝方の寒さは相変わらずだが、日が昇るにつけ気温がぐんぐん上がり、春の気配が漂う中、富双造船全体で歓喜が上がる。
――裁判所から保全命令が下った――
その伝令が各現場に伝わると、倉庫や食堂で休んでいた者も外へ飛び出し、執行官の一行を指さしながら言葉を交わす。それは言葉にならないアジテーションだった。
その頃、緒形は東京の吉田と電話で話をしていた。
そこへ堀田が飛び込んできた。
「すみません、緒形部長――」
緒形は吉田に、「少し待って下さい」と言うと、受話器を掌で塞ぎ堀田を見る。
「裁判所から、執行官が来られました」
外の喧騒を感じていた緒形にとっても、それはひとつの朗報に違いなかった。
「そう。分かった、ちょっと待って」
そう返事すると、電話に声を掛けた。
「吉田さん、出ました。執行官が来られたそうです。はい、はい、そうです⋯⋯」
そう言って電話を切ると、堀田に告げる。
「堀田君、社長室――いや、手前の会議室が良いだろう。そこへご案内してくれ」
そう言って立ち上がると、椅子の背に掛けた制服の上着を取る。いつもならロッカーへ背広を取りに行くが、この日は違った。
扉へ向かいながら上着を直すと、顎を引いて姿勢を正す。それで疲れの浮かぶ顔を引き締めると、いつもの緒形らしくなった。そのまま設計の部屋全体へ届くよう、両手を翳して、寝る子を起こすように叫ぶ。
「おーい、みんな起きろ――裁判所から執行官が到着された。財産保全命令だ――」
机の天板に上体をうつぶして眠る課員の肩を叩きつつ、緒形は堀田の後を追う。その背には、30半ばの若さが蘇っていた。ただ心の奥底は混沌として、先が見えないまま。それでも己を信じるしかなかった。
(つづく)
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[note|著者ページ]
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