第6章(その3)「帝国ホテル」
3月4日金曜日午前7時半、ANA機は定刻より少し遅れ霙に包まれる東京国際空港羽田へ着陸。アンカレッジ経由での十数時間は、緒形の心を沈めるのに充分だった。
通関や荷の受け取りを待つ時間ももどかしく、緒形は到着ロビーへ出た。誰かが迎えに来ている訳もなく、そのままモノレールへ向かおうとすると、ロビーの隅から駆け寄る姿があった。
吉田と史子だった。
同じ空港で二人の見送りを受けてニューヨークへ飛んでから、まだ四日。だがそれはもう一ヶ月も前のことのように思われた。
「いや⋯⋯、お疲れさん――」と、力強く緒形に握手を求める吉田。
対して、吉田の後で控えめに立つ史子は、「部長⋯⋯」と言うと目に涙を浮かべ、深く頭を下げた。
「いや⋯⋯驚きました」
そう答える緒形に、片方の手でポンポンと肩を叩く吉田。
寝ていないのだろう、ムーミンとは似ても似つかぬ、中年の疲れた顔だった。
「着いたすぐで申し訳ないが、これからちょっとつきあってくれないか?」
「えっ、⋯⋯工場へ行こうと、思っていたのですが」
「午前中で終わるから、そこからタクシーに乗ろう・・・・・・」
そう言って吉田が緒形の荷物を手にすると、史子も後に続いた。吉田が荷をタクシーのトランクへ入れ、彼女は助手席へ。後部座席へ座った緒形は、思わず聞き直した。
「いったいどこへ⋯⋯?」
「小野田社主と内田さんが帝国ホテルで待っておられる」
座席に深く凭れて体を沈めた吉田が、そう答えた。
「小野田さんと副社長が?」
と、思わぬ人の名を聞き、その訳を聞こうとしたが、吉田は黙って窓から外を見ていた。
助手席に座る史子も、話を聞いているに違いないが、伏し目がちに黙っている。(まあ行けば分かるか⋯⋯)と思った緒形は、身を縮めて体を動かさぬよう伸びをした。
機中の窮屈さに加えて狭いタクシーの車内、ニューヨークのイエローキャブが懐かしかった。まだ目を瞑れば、車の外に摩天楼が広がっているような錯覚を覚えていた。
半時間ほど経ったであろうか、緒形は車の揺れに束の間の微睡みが破れた。タクシーは、日比谷の帝国ホテルの前へ入っていくところだった。
史子がフロントで名を告げると、ボーイの案内で部屋に向かう。小野田の定宿なのか、通されたのはプレミアスイーツだった。
比較するのもおかしいが、富双の東京事務所の応接とは雲泥の差がある。部屋の奥にゆったりと座る小野田と内田は、緒形の姿を見ると立ち上がった。
緒形も面識はあるが、特に小野田と近しい訳ではない。
「いや――羽田から直行でご足労頂き、ありがとうございます」
小野田の思った以上に丁重な応対に面くらいながら、緒形は警戒を解かないでいた。
「はあ、いえ……」と口ごもりながら、勧められるままソファーに坐った。
吉田も史子も後方の椅子に腰掛けると、おもむろに小野田が口を開いた。
「状況が状況なので、私からあなたにお出で頂いた訳をご説明すると⋯⋯」
そう小野田が切り出す話は、緒形に取っては初めて聞くことばかり。いったい取締役設計部長というものが、これほど経営から遠ざけられていたのかと思うと、緒形は情けなかった。
暮れに副社長が解任されたことも、銀行が手を引いたことも、すべては徳田社長の計画を発端とするものであり、それは今も着々と進んでいると言う。
小野田の話が微に入り細に渡り進むにつれ、緒形は気が滅入るばかり。もしオーシャンの新造船がなければ、とっくに投げ出していただろうと思う緒形だった。
(第7章につづく)
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