第5章 ②
(第2話)「岡寺の初午さん」
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3月3日木曜日午後、山岡弘明は松阪にいた。
3月に入り会社は一時帰休となり、設計も週単位で半数が待機となった。最初の組に入った弘明は仕方なく実家へ戻った。
ちょうど松阪の初午で、弘明は父の車で同期の志垣を拾うと祭りに来ていた。
初午といえば、「猿はじき」や「ねじりおこし」の屋台が並ぶ。週末なら多くの人出で賑わう岡寺さんも、ウイークデイの静かな佇まいの中にあった。
そのせいか、志垣も弘明も盛り上がらず、地元で有名な中華そばを食べると、午後も早めに引き上げた。
早めに志垣を送った弘明は、
行く宛もなく生姜糖を手土産に実家へ戻った。
「風呂を炊いてるから、あとで入りなな――」
夕飯の買い物に行く母が、そう声をかけると、
なぜかいそいそと出かけていった。
そんなお節介が嫌で実家を出た弘明だが、なにごとにも気が入らない弘明にとっては、返って束の間の安らぎを得られるものとなった。
弘明が風呂へ入ったのは5時過ぎ。
暖かい湯船に浸かり、頭の中が空っぽになった弘明は、おもむろに洗い場の鏡の前の木椅子に座り、頭にシャンプーをかけた。
するとなぜか居間の方で慌ただしい音がしかと思うと、突然風呂場のサッシドアが開いた。
「弘明――、たいへんや会社が会社が――、はよっ、おいで――」
ちょうどシャンプーの泡で頭も顔も覆われた弘明は、ヒヤッとする冷気を背中に感じると同時に二の腕を母に捕まれ、流れ落ちる泡で何も見えないまま腰を上げた。
流れ落ちる泡水のせいで、口が利けない弘明にバスタオルを渡した母が叫んだ。
「ほら――、テレビが会社のことを言うてる⋯⋯」
なんとか目を覆う泡を拭くと、
弘明はバスタオルで腰を覆いながらテレビを見た。
「……富双造船株式会社は、津地方裁判所四日市支局に会社更生法の申請を行い――」
弘明は耳を疑った。今朝、車を会社の駐車場へ入れた志垣を拾った。その際、守衛に水打ちされた正門から、高らかに作業音が響き、喧騒の中にも静謐な時が流れていた。
それが、まさか……。
バスタオルで目を拭い、テレビ画面を食い入るように見つめる弘明。だが、ブラウン管には紛うことなき富双造船の正門が映っている。
5時のニュースの地方版であろう、見慣れた津放送局のアナウンサーが、淡々と原稿を読んでいた。
(なんで会社が、なんで潰れやなあかんのや⋯⋯)と、バスタオルで顔を拭いたものの、無防備な下半身には、最近ご無沙汰ばかりの一物が空しく垂れ下がっていた。
(やっぱり、岡寺さんへお参りした時、俺が振り返ってしもうたせいか⋯⋯)
それは今となっては痛恨の極みだった。
確かに昔から怒りっぽい父だが、あれほど真剣に殴るというほどのことを仕出かしたと、その事が弘明の頭を満たしていた。
母と弘明は、ただ茫然と居間のカーペットの上に立ち、5時のニュースが終って次の番組に移った画面を見ていた。
そのせいで、帰宅した父の存在に気がつかなかった。
「おい、どっしたんや――」
帰宅した父が、裸同然の弘明の姿に呆れたように、素っ頓狂な声を掛けた。
「いやっ⋯⋯」と、
声にならぬ声で母が、
誰に気兼ねするのか、事の次第を話す。
だがその途端、
「クシュン――」
とくしゃみが出た弘明は、急に寒くなった。
居間を離れて、脱衣場へ戻ろうとしすると、けたたましく黒電話が鳴った。
それは設計次長から、ニュースが現実であることを一報する電話だった。
(つづく)
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