第4章 ④
(第4話)「当座預金、差し押さえ」
アネックスとの会議は、翌3月2日(水)の午後で終え、あとはオーシャン・シッピングとの契約を残すだけとなった。
3日(木)の午後には契約締結の予定である。その旨、緒形はホテルから概要を東京へFaxした。
その後、今夜は休もうと二人に告げた。
日本では3日の早朝にあたる時刻、
緒形はシャワーを浴びることにした。
ホテルはセントラルパークから数ブロック先、ニューヨーク・シェラトンの二十四階である。シャワーのあと、緒形は素肌にバスローブを羽織り、窓辺でバーボン・ウイスキーを飲んだ。ルームサービスで頼んだのは、I.W.ハーパーの金ラベル。
薄手のグラスを軽く回し、
立ちのぼる香ばしい香りを楽しむ。
窓の外には、光の海が広がっていた。
ネイビーカラーのカーテンが、凍てつく外界を遮断してくれているように感じられる。その光景は、緒形の胸の高まりを静かに掻き立てていた。
時計を見ると、午後七時を少し回ったところだった。
ベッドサイドの電話で、東京へ電話を掛ける。
日本は午前九時過ぎだ。聞き慣れぬ呼び出し音に一瞬苛立ちながら、やがてそれが懐かしい音に変わる。
「はい、富双造船株式会社、東京事務所です……」「やあ、中島さん――」
恭子の応対が終わる前に、緒形の方から声を掛けていた。
「あっ、部長――、緒形部長ですか」
「ああ、緒形です。中島さん、元気?」
「部長こそ、お変わりないですか……」
「ああ、お陰様でまとまったよ」
「はい、先ほどFaxで……おめでとうございます」
「ありがとう。本契約は明日になるけど、あとはサインするだけです」
「ほんとに、ほんとうにおめでとうございます。良かった……」
その言葉の終わりで、恭子の声がわずかに震えた。
涙ぐんでいる――
そう感じた瞬間、緒形の胸に小さなざわめきが走る。
「どうした……君のサポートのお陰ですよ。ここまで来られたのは……」
不安な心とは裏腹に、その声がひどく愛おしく思えた。
かつては妻にも向けていたはずの感情が、いまでは思い出すたびに、なぜか胸の内を苛立たせる。いつしか、恭子の優しさに惹かれていく自分の思いを、緒形ははっきりと自覚していた。
「すみません……おめでたいのに、私……」
糸を引くような恭子の応対に戸惑いながら、緒形は話題を変えた。
「ところで、吉田部長は」
「それが、今日はまだ……」
「えっ、もう九時過ぎでしょ」
「はい、九時を少し過ぎたところです」
「社長は?」
「今日は清水の方で、南海銀行との面談かと……」
「二人は、一緒じゃないんだよね」
「はい、少なくとも私は伺っておりません」
「ああそう。じゃあ、何時でもいいから電話してもらって下さい」
電話を切ると、シャワーのせいか、緒形は急に眠気を覚えた。それにしても、今日に限って吉田部長も社長も不在だ。やはり、湧き上がる興奮を分かち合いたかった。
(まあ電話を待つか)
グラスをテーブルに置き、
ベッドの上で大の字になった。
遠くで、緊急車両のサイレンが鳴る。だがそれも束の間、緒形は深い眠りに落ちていった。
――リーン、リーン。
はっとして目を覚まし、ベッドサイドの時計を見る。
午後十一時を少し回っていた。
「……ハロー」
横になったまま受話器を取る。
「俺だ、吉田だ。すぐ帰れ――」
「どっ、どうしたんですか、いきなり……」
「南海銀行が、当座預金を押さえた」
吐き出すような吉田の声だった。
夢ではないか、と緒形は思った。
だが、そのあとに続くはずの言葉は、何一つ出てこなかった。
(第5話へつづく)
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