第4章 ②
(第2話)「主導権」
1977年(昭和52年)3月1日、火曜日。
午前10時、重厚なマホガニー材で仕上げられた会議室の扉が閉じられた。窓の外には摩天楼が連なり、遠くの喧騒はここまで届かない。
テーブルを囲むのは、アネックス社の総括責任者スミスをはじめ、担当重役マッコニー、船体のセングプタ、機関のターナー。向かいに緒形、その両脇に村田と折戸が座る。
名刺交換は手短だった。
形式的な挨拶が終わるや否や、マッコニーが切り出した。
「基本設計は、どこまで進めるつもりだ?」
問いは率直で、牽制を含んでいた。昨年のオーシャン・シッピングとの打ち合わせで、緒形は船首船楼・前方ブリッジ案の一部を開示している。だが、アネックスに示すのは今日が初めてだ。
緒形は一拍置いた。
最初から手の内を明かせば、相手の思う壺になる。彼らの設計がどこまで詰まっているのか、その輪郭だけでも掴む必要があった。
スミスが会議を主導する。
若いが、目の奥に迷いはない。
MIT出身の工学博士――その肩書きに相応しい理路で、検討の前提条件を整理していく。船型、積載、安定性、機関配置。議論は淀みなく進み、三十分ほどは互いに探り合いが続いた。
その流れの中で、緒形は一点に焦点を絞った。
「最大で、何個積みをギャランティーする?」
会議室の空気が、わずかに変わる。
四人は顔を見合わせ、早口で言葉を交わした。
最後にスミスが、もったいぶるように口を開く。
「我々は――最低、八百八十個を確約する」
その瞬間、緒形の内心で何かが弾けた。
(来た)
両脇の村田と折戸も、同じ感触を得たのだろう。二人の視線が、無言のまま緒形に集まる。船主要求の上積みは、マージンを見込んだ数字に過ぎない。だが、富双の設計はそれを越えていた。
緒形は矛を収めた。
「では――こちらをご覧ください」
村田に合図し、袋とじの封筒からA4の図面を取り出す。緒形は立ち上がり、テーブルの中央に**G/A(一般配置図)**を広げた。
四人は、右から左へと図面を追う。
船型そのものは、彼らの基本案と大差ない。
だが、視線は自然と右手――船首船楼へと集まった。
「Oh my god……」
思わずターナーの口から本音が漏れる。
スミスとセングプタも立ち上がり、互いの顔を見た。
彼らの設計は、まだ初期段階だった。詳細検討に踏み込む前に、富双は一日の長を取っていたのだ。緒形が発案してから二か月。年末年始を費やし、幾度も描き直した成果が、ここにあった。
(主導権は、こちらにある)
緒形は確信した。
だが、その後のマッコニーの対応は見事だった。富双の案が自分たちの計画と整合していることを率直に認め、一日も早く契約を結びたいと申し出たのである。
日本の中小造船所が、世界的コンサルと技術提携――。
緒形の目論見を超えた展開だった。
会議は翌日の午後まで続き、機装の詰めにまで踏み込んだ。残るは、オーシャン・シッピングとの最終契約のみ。予定通りなら、明日で決着がつく。
ホテルへ戻った緒形は、会議内容を整理し、FAXで東京へ送った。時刻は午後五時。連日の緊張が解け、部屋の空気が少し緩む。
(ここまでは、思惑通りだ)
窓の外では、マンハッタンの夜が動き始めていた。
だが、この成功の手応えが、どこまで続くのか――その答えを、緒形はまだ知らなかった。
(つづく)
・・・・・
この物語は、
現場に残された記憶から生まれています。
AMCO・知見Lab
静かに、積み重ねています。
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