第4章 ①
(第1話)「摩天楼の朝」
1977年(昭和52年)3月1日、火曜日。
午前7時、乾いた珈琲の香りが漂うレストランで、緒形は村田、折戸の三人で朝食を取っていた。大きな目玉焼きが二つ、カリカリに焼かれたベーコン、薄めのトーストにオレンジジュースと珈琲。いかにもアメリカらしい、量だけは申し分のない朝食だった。
初めての訪米に、村田も折戸もどこか落ち着かない。箸を進めながらも、二人とも周囲を気にするように視線を動かしている。
「味は……悪くないですね」
折戸がそう言って笑ったが、その声には張りがなかった。
窓の外には、まだ朝の光を反射する高層ビル群が立ち並んでいる。見慣れた日本の街とは、空気の質そのものが違う。乾燥した空気が喉の奥に張り付き、通りからは白い蒸気が立ち上っていた。
雑踏と渋滞、クラクションの音。秩序があるのかないのか分からない喧騒の中で、人々は驚くほど生き生きとしている。
(日本では、こうはいかないな)
緒形は、そんなことを考えながらコーヒーカップを口に運んだ。
どれほど整った制度を作り、真面目に働いても、この街の奔放さや強さは生まれない。だが同時に、ここで通用しなければ、世界では通用しないのだという現実も、否応なく突きつけられていた。
午前8時半、ホテルの前でイエローキャブを拾い、
マンハッタンを南へ向かう。
ビルの谷間を縫うように走る車内で、村田と折戸は黙り込んでいた。昨日、アンカレッジ経由でJFK空港に降り立ち、その足でオーシャン・シッピングへ表敬訪問に向かった時の疲れが、まだ抜けきっていないのだろう。
緒形にとって幸いだったのは、去年まで東京支店長を務めていた Mr. Whiteが、年明けから極東地区の責任者として本社の重役に就いていたことだった。
昨日の短い挨拶の中で、彼は淡々とこう告げた。
「アネックス社を、今回のコンサルタントに指名した。明日から、彼らのオフィスで本契約に向けた会議を始めてくれ」
世界有数の海事コンサルタント、アネックス社。その名を聞いた瞬間、緒形の背中に、わずかな緊張が走った。相手は世界を相手に商売をしてきた連中だ。だが、ここで引くわけにはいかなかった。
車はやがて、マンハッタンに聳え立つ貿易センタービルの前で停まった。ガラスと鉄骨の巨大な塊を見上げ、緒形は一度、息を整える。
(ここからだ)
日本の中小造船所が、世界の舞台に足を踏み入れる朝だった。
その頃、日本では――
徳田重蔵は、下田の港に近い丘の上で、夜の海を前に独り佇んでいた。沖にはわずかな灯りが瞬き、潮騒だけが絶え間なく耳に届いている。
だが、その事を、
ニューヨークの緒形は、まだ知らなかった。
(つづく)
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この物語は、
現場に残された記憶から生まれています。
AMCO・知見Lab
静かに、積み重ねています。
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