第1話:異世界ざまあズ、結成!
雲の上って、案外ひまなのです。
神界の空はいつも晴れていて、風は心地よくて、下界の争いごとなんて遠い遠い物語——のはずでした。
「今日も良い天気ですねえ」
わたしは銀髪を揺らして、のんびり伸びをした。自分で言うのもなんですが、スタイルは抜群です。神ですから。美しさも、まあ、標準装備です。神ですから。
……ちなみに、わたしはアルシェ。
“門”の女神です。
転移門。異世界への扉。魂の旅路。そういうのを、担当しています。
担当している、ということは——つまり、開けられる、ということです。
ぱちん。
その瞬間、空が割れた。
「え?」
割れた、というか、引っ張られた。
見えない手がわたしの後頭部を掴んで、ぐい、と。
「え、ちょ、待って——えええええ!?」
女神としての威厳も何もあったものじゃない。わたしの悲鳴は神界に虚しく響き、次の瞬間には——
——床。
石の床。冷たい。湿っぽい。
「いったたた……」
顔を上げると、薄暗い天井に、揺れる蝋燭の火。古い祭壇。壁のヒビ。空気に混ざる、香の匂いと……鉄臭さ。
神界じゃ嗅いだことのない匂い。
誰かが、ここで何かを“本気で”やっていた匂いだ。
「……来た」
短い声。
正面に、三人。
まず目に入ったのは、小柄な金髪の少女だった。ロリ。制服っぽい服装。胸は……うん、平ら。まな板……じゃなくて、きっとまだ成長途中なのです。たぶん。きっと。
そして、彼女の拳が——握り締められていた。
次に、黒髪の美少女。胸、でかい。目に入る。入ってしまう。本人はおっとりしてて、今にも泣きそうな顔で、だけど……わたしの腕に、いつでもしがみつける距離で立っている。距離感が、近い。
最後に、赤髪のお姉さん。背が高い。ガリガリ。ほっそい。栄養足りてる? でも目がギラギラしてる。手には——紙束。分厚い。いやな予感しかしない。
金髪ロリ——リリカが、わたしを見る。
その目には、祈りの光がない。
つまり。
聖女なのに、信心がない目だ。
「……あなたが」
リリカが言う。
「元凶。門の女神」
「えっ、いきなり悪口!?」
わたしは思わず声を上げた。いや、悪口じゃない。事実かもしれないけど。
「え、ま、待ってください。わたし、善意で——」
「正座」
「えっ」
「正座」
語彙が少ない。怖い。
わたしが言い訳を続けようとした瞬間、リリカが、すっと一歩近づいてきた。小さいのに、圧がすごい。神のわたしが押されている。おかしい。
黒髪の勇者——ミオが、そっとわたしの背中に手を添えた。
「だ、だいじょうぶだよ……アルシェさま。きっと……きっと、誤解だよ」
声が優しい。ふわふわしてる。甘い。砂糖。
わたしは一瞬で心が溶けた。
「そうですよね!? 誤解ですよね!? わたし、善意で——」
「正座」
リリカが、二回目の正座をぶつけてきた。
「ええ……」
わたしは神なのに。正座を。した。石の床、固い。冷たい。神界、恋しい。
赤髪のお姉さん——ローザが、紙束をぺらりとめくった。
「じゃ、話は早い。門の女神、あなたはここにサインしな」
「……え、なにこれ」
紙の表題は、あまりにも現実的だった。
『労働契約書(仮)』
「労働!? 神に!? 労働!?」
「元凶は働け。常識だろ」
ローザが平然と言い放つ。口が悪い。だけど、どこか妙に頼もしい。詐欺師みたいな笑顔だ。
ミオが、わたしの肩に顎を乗せてきた。やめて、距離が近い。胸が当たる。いや、当たってる。柔らかい。神だけど、動揺する。
「アルシェさま、えらいよ……ちゃんと、責任とろうとして……」
「えへへ……そうですよね。えらいですよね。わたし、えらい神ですし……」
「調子に乗るな」
リリカが即ツッコミで刺してきた。ひどい。
ローザが、契約書の条項を指でとんとん叩く。
「“風紀改善活動への参加”。“転移門の無断開放を禁ず”。“反省会の実施”。あと——」
ローザが、にやり。
「“禁酒”。ここ大事」
わたしの胸がきゅっとした。酒は、だめですか。神だって、飲みたいときがあります。だって、ひまなんですもん。
「……禁酒は、ちょっと……」
「ダメ」
リリカが即答した。ほんとに語彙が少ない。
「でも! わたし、二日酔いしないですし!」
「ダメ」
「うぅ……」
ミオが、わたしの手を両手で包んだ。
「アルシェさま……大丈夫。わたしが、お水用意するね」
優しい……。この子、天使?
わたしが感動していると、ローザがぼそっと言った。
「この子、ガチで女神狙ってるから気をつけな」
「えっ」
「えっ?」
ミオが、ぱちぱちと目を瞬かせる。否定しない。否定しないの!?
リリカが、深いため息をついた。
「……仕事の話」
あ、はい。
ローザが、契約書を閉じる。
「この世界、転移者が増えすぎた。今や、村一つに一人は“異世界から来た”ってやつがいる」
わたしは、ぎくりとした。
——増やしたのは、わたしだ。
でも、わたしにも考えがあったのです。
「……だって……」
わたしは正座のまま、言葉を探した。
「わたしのもとに来る魂って、ほとんどが……若くして死んだ子たちなんです」
ミオが、そっと眉を下げる。
リリカは、黙ったまま、視線を逸らさない。
「人生を知らないまま、終わるなんて。もったいない」
わたしは、言い訳じゃない言い訳を吐いた。
「だから、転移できるなら、転生できるなら……って。下手に細かい説明をして、怖がって諦める子が出るくらいなら……とりあえず、門を開けて。送り出して。——生きてもらおうって」
ローザが、鼻で笑った。
「善意の雑さが一番タチ悪いんだよ」
「うっ……」
でも、リリカが言った。
「……だからって、放置は許さない」
短い。重い。
「わたしは、真面目な人が馬鹿を見るのが嫌い」
それだけで、空気が変わった。蝋燭の火が一瞬、揺れた気がした。
ミオが、小さく頷く。
「わたしも……信念を、笑われるのは……嫌」
ローザは、契約書をわたしの前に滑らせた。
「で。元凶女神。あんたはこの世界の“風紀”を直す。あんたが開けた門で増えた転移者が、好き勝手やってる。被害者が出てる。泣いてるやつがいる」
その「泣いてる」で、ローザの目が一瞬だけ、別の色になった。
わたしは、喉の奥がきゅっとなるのを感じた。
「……わかりました」
サインした。神の名で。サインした。なんで神が労働契約にサインしているのかは分からない。
リリカが言った。
「今日、最初の案件」
「案件って……」
「転移者詐欺。屋台通り。神の護符を売ってる」
——神の護符。
わたしの眉がぴくりと動いた。
「神の名を、勝手に使ってるんですか?」
「そう」
リリカの拳が、また握り締められた。
ミオが、わたしの腕にしがみつく。
「アルシェさま……一緒に行こう。だいじょうぶ、怖くないよ。わたしが……癒すから」
距離が近い。胸が。いや、ダメ。今は仕事。
ローザが、にやにやしながら立ち上がった。
「さぁ、元凶。稼ぎに行くぞ」
「稼ぎ……」
「現場で働け。金も回収しろ。被害者に返せ。ついでに、わたしの取り分も——」
「取り分?」
「冗談だよ。冗談」
その冗談、半分本気の顔ですけど!?
リリカが、扉を開けた。
外は夕暮れだった。石畳の街。人の声。焼き串の匂い。子どもが走る。異世界っぽい。
でも——人々の目は、どこか疲れている。
そして、その疲れの中に、諦めが混ざっている。
それを見た瞬間、胸の奥が、ちくりと痛んだ。
——諦めるな。
わたしが一番嫌いな言葉は、たぶん、それだ。
屋台通りは賑わっていた。
賑わっている、というより……賑わい“に見せている”感じ。
「はいはーい! 本日の奇跡! 神の護符! 病も呪いも、これ一つでぜーんぶ解決!」
派手な声。
派手な身振り。
派手な笑顔。
そして——胡散臭さが、振り切れてる。
屋台の前に立つ青年(転移者)が、手のひらサイズの木札を掲げていた。木札には金の塗料で“聖”っぽい文字。周りの客は、必死な顔で財布を握っている。
「……あれ、買ったら治るの?」
ミオが小さな声で言った。怖がってるくせに、被害者の方を見てしまう。その優しさが、痛い。
ローザが、肩をすくめる。
「治るわけない。治るなら教会がとっくに独占してる」
リリカの目が細くなる。教会、という単語に反応した。
「……まず、証拠」
ローザが言った。
「買う。アルシェ、金持ってるだろ。神だし」
「え!? 神界に通貨って概念ないんですけど!?」
「じゃあ、換金できるもの」
「……髪の毛とか?」
「やめろ。詐欺師が喜ぶ」
ミオが、そっと小袋を差し出した。
「これ……旅の途中で……もらった、お小遣い……」
「えらい! ミオえらい!」
わたしは思わず褒めた。ミオが照れて、頬を染める。かわいい。
「……業務中にいちゃつくな」
リリカが刺す。やめて。空気が凍る。
ローザが、すっと前に出た。ガリガリなのに、足取りが軽い。詐欺師の世界を歩いてきたみたいな動きだ。
「すいませーん。護符、ひとつ」
「おっ、姉ちゃん見る目あるねぇ! これが神の加護ってやつだ!」
転移者青年が、木札を渡す。ローザは、わざとらしく目を輝かせた。
「へぇ……神の加護ね。どの神?」
「え、えーっと……この世界の、えらい神! すごい神!」
ざっくりすぎる。
ローザがにやっと笑う。
「ふーん。じゃ、効かなかったら返金?」
「え? それは……信じる心が——」
「はい、詐欺」
ローザが、店の前に小石を置くみたいな軽さで言った。
転移者青年がむっとした。
「なに言ってんだよ! ちゃんと効くって! ほら、見ろよ!」
彼が指を鳴らすと、木札が淡く光った。
周りの客が「おお……!」とどよめく。
——安い幻術。
わたしには分かる。神界の“本物”の光と違う。偽物の、舞台のライトみたいな光。
客の中に、泣きそうな顔の母親がいた。腕の中に、小さな子。息が浅い。
「お願い……これで、治るなら……」
その声が、わたしの胸の奥を殴った。
——諦めるな。
諦めた瞬間に、終わるものを、わたしは見てきた。
若い魂が、何度も、何度も。
リリカが、低い声で言った。
「真面目な人を、笑うな」
ミオが、唇を噛む。
「……信じたい気持ちを、踏みにじらないで」
ローザは、周囲の客を見回し、そして小さく頷いた。
「元凶。出番だ」
「……はい」
わたしは、立ち上がった。
正座で固まった膝が、ちょっと痛い。神なのに。
それでも、歩いた。
転移者青年の前へ。
「こんにちは」
わたしが微笑むと、転移者青年は鼻で笑った。
「なんだよ。客か? 護符なら——」
「それ、神の護符じゃないです」
空気が、一瞬で止まった。
転移者青年が顔をしかめる。
「は? なに言って——」
「あなた、諦めたくない人の心を、弄んでます」
わたしの声は、思ったより低かった。
「そういうの、わたし——嫌いなんです」
「はっ、綺麗事。現実見ろよ。治らねぇもんは治らねぇ。だったら、夢見せて金取った方が——」
——諦めろ。
その言葉が、喉の奥まで来た瞬間、わたしの中で何かが切れた。
「黙りなさい」
わたしが指を鳴らす。
ぱちん。
光が、剥がれた。
木札の光が消える。幻術がほどける。そこにあったのは、ただの粗末な木片。
客のどよめきが、怒号に変わる。
「騙したのか!?」
「金返せ!」
「うちの子が……!」
転移者青年が慌てて後ずさった。
「ち、ちがっ……! これは、その……演出で——」
「演出?」
ローザが、すっと懐から帳簿を取り出した。いつの間に。
「演出でこの売上? 演出でこの裏金? 演出でこの“寄付金”名目の中抜き?」
「えっ、な、なんで——」
「わたし、金の匂いには敏感なんだよ」
ローザがにやりと笑う。その笑顔は、悪役令嬢のそれだった。
リリカが、前に出る。
「終わり」
短い。
転移者青年が、舌打ちした。
「くそっ! じゃあ、力づくで——」
彼が腰のナイフに手を伸ばした瞬間。
——ドン。
音は、重い。
リリカの拳が、青年の腹にめり込んでいた。
次の瞬間、青年の身体が、屋台ごと吹っ飛んだ。
がしゃん! ばらばら! 串が飛ぶ! 野菜が舞う!
「ひっ……」
ミオが震える。でも、目は逸らさない。
ミオは、怖いのに、逃げない。
母親が抱えていた子が、咳き込んだ。
「お願い……!」
ミオが、一歩前に出た。
「……だいじょうぶ。わたしが、癒す」
手が震えてる。声も震えてる。だけど、その手が、小さな子の額に触れた瞬間——
ふわり、と温かい光が広がった。
それは、わたしの光と似ていた。でも違う。もっと人の体温に近い光。
子の呼吸が、少しだけ深くなる。
母親が、声を殺して泣いた。
その涙を見た瞬間。
ローザの顔から、笑いが消えた。
「……泣かせたな」
ローザが青年の方へ歩く。ガリガリの身体が、なぜか大きく見えた。
「金は全部没収。被害者に返す。お前は——」
ローザは、わたしを見る。
「アルシェ。門、使えるよな」
「……はい」
わたしは頷いた。
門を開く。
ぱちん。
青年の足元に、小さな円が浮かぶ。転移門。光の穴。
「な、なに——!」
「更生施設行きです」
わたしが笑うと、青年は青ざめた。
「やめろ! 俺は悪くねぇ! この世界が悪いんだ! 俺だって——」
「諦めないでください」
わたしは、真っ直ぐ言った。
「あなたの人生がどれだけ酷くても、誰かの人生を踏みにじる理由にはならない」
青年の目が揺れる。ほんの一瞬。
でも次の瞬間、門が彼を飲み込んだ。
すとん。
静かに、消える。
屋台通りに、ざわめきが残る。
ローザが、没収した袋を母親に渡した。
「返金。慰謝料は足りないけどな」
「……ありがとう……」
「礼はいらねぇ。泣くな。……いや、泣け。泣いたら、前に進める」
ローザは照れ隠しみたいに顔を背けた。
リリカが、わたしを見た。
「……今のは、良かった」
「えっ!? 褒められた!? 褒められました!?」
「一回だけ」
「一回だけ! でも嬉しいです!」
ミオが、わたしの腕にぎゅっと抱きついた。
「アルシェさま、すごい……かっこよかった……」
「えへへ……そうですか? わたし、かっこいい神ですし……」
「調子に乗るな」
「はい……」
即落ち。リリカ、強い。
夕暮れの帰り道。石畳に影が伸びる。
わたしは、空を見上げた。異世界の空は、神界よりも少しだけ、低い。
そして、その低い空の下で、人は諦める。
諦めて、泣いて、笑って、また諦めて——
わたしは、その繰り返しを、何度も見てきた。
だからこそ。
わたしは、諦めない。
たとえ尻に敷かれても。
たとえ労働契約を結ばされても。
たとえ禁酒でも——いや、それはやっぱり辛いけど。
「……ねえ、ローザさん」
わたしが小声で言うと、ローザが横目で見た。
「なんだ」
「禁酒条項って……緩和できませんか?」
「死ね」
「ひどい!」
「冗談。……今夜はダメだ。リリカが殺す」
「だよねぇ……」
ミオが、わたしの手を握り直した。
「アルシェさま……お水、飲もうね」
「うん……お水……」
リリカが、前を歩きながらぼそっと言った。
「……異世界ざまあズ」
「え?」
わたしが聞き返すと、リリカは振り返らずに続けた。
「私たちの名前。今日から、それでいい」
ローザが笑う。
「いいじゃん。覚えやすい」
ミオが、嬉しそうに頷く。
「うん……ざまあズ……可愛い」
わたしも、つられて笑った。
「……なんだか、戦隊モノみたいですね」
「元凶戦隊」
「やめて!?」
四人の笑い声が、石畳に落ちて、夜へ溶けていく。
その少し離れた場所。
高い塔の影。
赤い瞳が、こちらを見ていた。
「……なるほど」
静かな声。
「都合で世界を壊す者に——拳と規律で噛みつく者たち、か」
風が、黒いマントを揺らす。
「……面白い。今度は、私が会いに行こう」
そして、赤い瞳の主——魔王は、月の下で小さく笑った。




