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いいね症候群の考察

作者: 天海波平

超久しぶりのエッセイ投稿

いわゆる「いいね症候群」について、自分なりの考察です。

まぁ、ただのくたばりぞこないジジイの戯言でしかないから、鼻くそほじくりながら「ふ〜ん」と思ってくれればそれで良しです。

 今に始まったことではないが、スマートフォンの普及によりSNSによるあらゆる情報の拡散が見られるようになった。

 YouTubeやTikTok、Instagramなどによって情報の送受信が容易で速く多くの人に届ける事が可能なツールが現れたわけだが、それ自体においては何の問題は無く「スゲェ!」で終わるぐらいの話であり、ちょっと講釈垂れれば「既存のメディアに代わる、大きな変化となった」とほざくぐらいのものだろうと思う。

 一部においてタブーがあったりするが、基本的に誰もが「自分らしさ」というものを表現できる巨大な舞台が公共の場に登場したと言って良いだろう。


 その舞台上ではあらゆる人が「自分」と言うものを、いろんな形で表現していて、ライフスタイル、音楽、アニメ、ゲーム実況、小説を書くなど、様々なその人の特技や趣味を通じて、表現者としてその価値観を共有するべく活動している。

 そのような活動を通して同じ価値観をもつ者は動画や写真、小説などといった作品を見ながら気楽に「いいね」の表示を押す。

 そのような人は身近にもかなり多くいるだろう。


 それらの中には、“見る側”から“見させる側”にいく人も少なくはない。

 かく言う私もその中の一人であるわけだが、これを見ているあなたも“そうしたいなぁ”と少しは思っているはずだ。

 まぁ、とにかくこっち側に着いてやり始めると、最初に一つの「小さな自分」が現れることになる。 これはつまり、SNSの舞台において“自分の表現”を立たせたのだ。


 最初は作品を送り出すというだけで、ある程度の満足感があったりする。

 自分が「表現をした」という行い自体にある種の達成感を感じたりするからだ。

 それは人によってはまちまちだが、とにかく発信者は舞台に「自分の表現」というものを置いてゆく。

 そして、その表現に「いいね」が付くと、それは他者から自分というものが“認められた”という瞬間でもある。

 それまでは決して間違いな考えでも行動でもない、実はかなり自然なもので、集団(コミュニティ)の中で生きる人間のごく普通な行動原理によるものといって良いだろう。

 人間は誰もが「集団(コミュニティ)の中で活動し評価されたい」と思い、その思いから行動して評価されれば喜びを感じるのは当然のことなのだったりする。

 だから、「いいね」を求め、それの数が多くなれば多くなるほど喜びが増え、より大きな満足感を得ることは至極当然と言えるだろう。


 だが、良いことばかりじゃ無い。

 知らずのうちに一つの衝動が心の内に現れるようになる。

 これがこの作品(エッセイ)のテーマ・問題に繋がる事になる。

 それは、「承認欲求」という欲望の登場だったりする。

 これ、いきなり現れるものではなく、人間が集団(コミュニティ)という社会構造の中で産まれ、生きていく事において必要な本能に近い、人間に組み込まれた構造原理(プログラム)とも言えるもので、キリスト教における“原罪”ともいっても差し支えはないものだと思っている。

 罪と言い表したが、実は私はそれ自体を否定するつもりはない。

 と、いうか否定なんて出来ない。

 これ、集団(コミュニティ)と言う社会を形成してその中で生活する人間には必須の欲望なんだ。

 こいつは人類の歴史上では自分の認識する集団(コミュニティ)の範囲内で収まるのであればさして問題など起きないものであったが、SNSによって莫大な多くの人に認知される事になり、これが問題を引き起こす事になったんだ。

 「いいね」によって認知と評価が急激に膨らむことによって発生する問題を紹介しよう。


 タイトルに直結することでもあるんだが、それは勘違いとも錯覚とも言い難い奇妙な偶像(アイドル)が現れることなんだ。

 「いいね」が増えるたびに「小さな自分」がみるみると大きくなり、自分とそっくりな偶像(アイドル)が現れる。

 問題はその偶像(アイドル)を「本当の自分」とみなすようになってしまうことだだったりする。

 その偶像(アイドル)は皆から注目されている内は問題は無いんだけど、「いいね」で表せられるその注目度を失っていくと、「自己を否定された」と思い込み自己を形作る精神性が崩される。

 自己の存在理由を見失い、それは人によって命の消失にまで発展させてしまう、恐ろしいものなんだ。


 これはその人の“アイデンティティ”とはちょっと違う。

 多くの人の「いいね」によって作り上げられた偶像(アイドル)の“偽のアイデンティティ”とでも言った方が良いんじゃないかなと思っている。

 

 それは非常に脆く、放置という風に晒されるか、別の流行の波というやつに当てられるだけで、どんどんとその形を失っていく。

 まさに波打ち際の砂のオブジェみたいに。

 だから、「いいね」が減るとそれだけで偶像(アイドル)は形を保てなくなり崩れてしまう。

 その時、偶像(アイドル)に本人がしがみつき、引っ張られて共に崩れてしまう事もあるから恐ろしいんだ。

 これを専門では固執とか執着とかいうのだろうけど、この身を滅ぼさせるこの偶像(アイドル)の正体は妖怪か何かだろう。

 

 この問題はSNSを利用して活動している以上、誰にでも発症する恐れがあると思う。

 「夢」といった希望・野望に満ちた若い人ほどかかりやすい。

 取り憑かれやすいと言っても良いぐらいに。

 それを防ぐには、自分の中にある承認欲求というものを否定するのでは無く、それを受け止めてなお「自分のあり方」というものを確立して行くしかないと思っている。

 「本当の自分らしさ(アイデンティティ)」を作り上げて行かないと、偶像(アイドル)を自分と勘違いしてしまい不幸を呼び込む事になりかねないと思い、そうはなるまいと思う気持ちと皆んなも気をつけてねという思いを残すべくこのエッセイを投稿させてもらった。

 

 では、みなさんの良き活動を願って。 バイバイ♪

妖怪とかふざけた事書いてるけど、これ、かなり怖いんだよね。

まぁ、たまに「自分とは何だ」とか「自分の行動は正しいのか」って思うだけで大丈夫だと思うよ。




知らんけど。


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― 新着の感想 ―
お久しぶりです~(´艸`*) 生まれた時からSNSがある世代はわりと付き合い方が上手いなあと最近感じています。まあ……結局は個人差なんでしょうけれど。 読み応えのある素晴らしい考察でした!!
海外でいいねを買える自販機があるとの情報を見た時のことを思い出しました。 まさしく、虚像を作り上げ、「こんなに注目を集めてるワタシ」を自慢するための欺瞞。 お金を払い、自身の投稿にいいねをつけるこ…
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