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夏の魔法 ~俺と彼女と、すれ違った世界~(改訂版)  作者: 於田縫紀
エピローグ 夏の終わり

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第46話 けれど、今は……

 川岸に赤とんぼが飛んでいる。まだ学校は夏休みにもなっていないというのに、もう秋の気配か。

 俺は空になったアイスのカップを二つ袋に入れ、研究棟から校舎に入る。

 入ってすぐの場所に知り合いが立っていた。緑先輩だ。

「挨拶は終わった?」

 挨拶という単語が何を指しているのかは、すぐに理解した。だから俺は頷く。

「ええ」

「紅茶、飲んでいく?」

 これはお誘いだな。

「ええ、そうします」

 そう言ってふと俺は気づいた。

「待っていてくれたんですか?」

 先輩は首を横にふる。 

「ただの気分」

 それはどんな気分なのだろう。そう思いつつ俺は招かれるまま先輩の研究室へ。

 紅茶の香りに、ふと懐かしさを感じる。そう言えばこの部屋に最後に来たのは、合宿の前だった。

 あれから随分と長い事経った気がする。二週間ちょっとの事なのに。

 更に先輩は冷蔵庫から何か出して、俺と先輩の前に置く。ロールケーキ風の何かだった。外側が焦げ茶、その内側がクリーム色で中心がハート型に白くなっている。

「旅行のお土産」

「いただきます」

 そう言ってから何となく聞いてみる。

「どちらへ行っていたんですか?」

「長崎県、中二の夏まで住んでいた町」

 思い出す。

『この休みで緑は、自分に会いに行っているらしい』

 そう茜先輩が言っていた事を。

 俺はまずい事を聞いてしまっただろうか。そう思いつつ様子をうかがう。

「今はもう親戚も誰もいない。もともと私の実家は滋賀で、父の仕事の関係で住んでいただけ。三人で普通に暮らしていた。何もなければ、今でもあそこにいたと思う」

 という事は何かあったという事だろう。悪い予感しかしない。

「あの辺は例年、台風が夏終わり頃にやってくる。あの年もそうだった。違うのは少し台風が迷走して雨が余計に降ったことだけ。結果、私が住んでいた家の裏の山が崩壊した。一階に住んでいた母や父は助からなかった。二階にいた私は、かろうじて助かった」

 そう言えばその頃、北九州で豪雨災害が起きたと聞いたおぼえがある。

「こちらの私はそれで助かった。向こうの私は助からなかった。向こうの私は魔法を持っていた。魔法で他の人の悲鳴をずっと聞いていた。助け出された時には、既に精神的に壊れていた。そのまま一月も経たないうちに身体も死んだ」

 そんな事があったのか。

 俺はかける言葉も思いつかないまま、ただ黙って話を聞いている。

「私は幸い、子供のいなかった叔父夫婦が引き取ってくれた。叔父は勿論、血のつながっていない叔母も親切だった。何不自由ない生活だったと思う。でも私は恐怖を忘れられなかった。夜中ちょっとした雨で。何度も目が覚めた。振えが止まらなくなった。あの街で過ごした事さえ思い出せないくらいだった。少しでも思い出すと、あの恐怖が襲ってくる気がして」

 PTSDなんて単語が思い浮かぶが、だからといって何か出来る訳では無い。

 ただ緑先輩の口調は落ち着いている。静かな、と言ってもいいくらいに。

「魔法が使えるようになった時も、最初は気づかなかった。私の場合、過去の記憶で魔法を使えるようになった訳では無い。三月のある日、気がつけば魔法がわかる、魔法でわかるようになっていた。その時はまだ、もう一人の私の記憶に気づかなかった。向こうの私が死んだ事はわかったけれど、その記憶にすら気づかなかった」

 その辺は、俺とは違うんだなと思う。

 俺は記憶が二重にある事に気づいて、その記憶から魔法の使い方を知った。

 でも緑先輩の場合は、自分で魔法に気づいた訳か。

「この学校に来てこの部屋を貰って、おかげで雑音のない静かな環境になって、そしてはじめて気がついた。私の中にもう一人の私がいることに。最初は怖くて見て見ぬふりをしていた。でもある時ふと気づいた。私の中にいるもう一人の私。こっちの世界にはいない、向こうの世界にも今はもういない私。その私も確かにやっぱり私自身なんだと。その私にふと言われた気がした。あの頃までの事はそんなに嫌な事ばかりだったかって。

 そんな事は無い。でも怖くて思い出せない。それでも確かめてみようと思った。学校が休みになった機会を利用して、かつて私が確かにいた筈の街へ行って、もう一度私の事を思いだそうと。過去の私がいた街へと実際に行ってみた。過去の記憶を忘れた私の代わりに、あの時死んだ私に案内して貰って。それでやっと取り戻せた。悲しかっただけじゃない、過去の記憶を。確かにそこにあった筈の楽しかった記憶を」

 そうだ。かつての遙香の記憶も悲しい事だけじゃない。

 そう、俺の遙香も確かに一緒にいたのだ。一緒に遊んだりもしたのだ。

 二人で留守番して、お腹が減ったから料理を作ろうとして失敗した記憶もある。あの時は確か電子レンジの中で目玉焼きが爆発したんだっけ。

 この前の合宿じゃない、海にも毎年行った。

 小学四年生の時まで、そしてもう一度帰ってきてくれた遙香の記憶は、嘘じゃない。

「過去へは戻れない。あの頃の母にも父にももう会えない。隣に住んでいた友達にももう会えない。でもそれまで楽しかったのは嘘じゃない。それを思い出せただけでも、私はここへ来て良かったと思う」

 まずい。涙が出てきてしまった。さっき会ったばかりなのにもう会えない、遙香を思い出して。

 でも遙香に言われたから、遙香といた記憶は嘘じゃないから、遙香に言われた通り頑張って幸せにはならなきゃと思う。

 それでも、せめて、今だけは……

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