第45話 夏の終わり
合宿が終わった後、俺は出来るだけ遙香に会うようにした。
結局授業はお盆を通り越し、八月十六日金曜日までの予定。それでも放課後の研究会へ行けば、遙香がいる。
常に一緒にいる訳ではないし、遙香が友人と夕食を食べる事もある。それでも遙香がいれば、遙香の存在を感じられればいい。
十日の土曜日には、また秩父まで行ってカラオケやダーツをしたりもした。やっぱりウニクロまで歩いて行って、帰りくたびれた状態で電車に乗って。
そんな日々が終わる一日前、十五日木曜日放課後の研究会。恒例の全員魔法威力測定の時だった。
「ここ二、三日、魔法の調子が悪いよね。私だけかな」
「彩も? 私も何か出力があがらない」
塩津さんと須崎さんの言葉に、清水谷教官がため息をつく。
「そろそろ荷物をまとめた方がいいかもしれないな」
「どういう意味ですか、それは」
不吉な響きを感じた俺は、思わず聞いてしまう。
「何故夏休み開始を明後日まで引っ張ったと思う。普通ならお盆の前に授業を終わらせて、その分早くはじめるのが普通だと思わないか」
言われてみれば、確かにそうだ。
「他の学校と夏休み明けをあわせた訳ですか?」
これは須崎さん。
「そういう事だ。どういう意味かわかるか」
「夏が終わるんだな、きっと。ここの夏が」
清水谷教官は、茜先輩の台詞に頷いた。
「ここからはオフレコだが、近日中に校内で発表されるだろう。昨日から研究相手である『向こう側』の研究員が姿を消した。今朝からは向こう側との連絡も、あまり調子が良くない。此処で研究できるのも時間の問題だ」
その台詞の意味を理解した瞬間、俺は測定室を飛び出した。そのまま研究会の他の連中がいる実験室へ。部屋の中を探す。
遙香は……いた。ほっと一息つく。
「どうしたの、お兄」
「ちょっと話をしたいけれど、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。それじゃ澪ちゃん凛ちゃん、ちょっと行ってくるね」
「まあ遙香のお兄なら、仕方ないか」
「悪い」
そんな訳で遙香を連れ出す。
「それじゃ何処へ行く?」
「喫茶室でいいか」
「おごってくれるなら」
「はいはい」
この辺はいつもの通りだ。そう、ここでのいつもの通り。
「それで話って何かな?」
廊下を歩きながら、遙香がそう尋ねる。
一応他の人に会話を聞かれないように魔法を起動して。
「清水谷教官が言っていた。もうひとつの世界との連絡がとれなくなったって」
「つまりこのお兄と今の私が会える時間も、もうちょっとという事なんだね」
「ああ」
「そっか。でも連絡がとれなくなったのに、私がこのお兄に会えるのはなんでだろ」
それは何となくわかっている。
「個人差があるんだと思う。世界の重なり方が、人それぞれ少しずつ違って見えたように」
「うーん」
歩きながら遙香はちょい首を捻って、そして。
「喫茶室じゃなくて、売店で買い物をして外へ行こう」
おい待ってくれ。
「外は暑いぞ」
「お兄、温度関係の魔法は私より得意だよね」
あれも結構魔力を使うのだけれど、遙香にそう言われては仕方ない。
「わかった」
「それじゃ一緒に買おう。どうせお兄に払って貰うから」
俺の財布はかなり厳しい事になっているけれど、まあ仕方ない。
「わかった」
そんな訳で高いアイス二つ。クッキー&クリームとラムレーズン、更にペットボトルのお茶を二つ購入。
「日陰になっているベンチのところがいいな、今日は」
研究棟前の公園区画だな。再び本館廊下を経由して、研究棟から外へ。
「やっぱり日差しがとんでもないよね」
「夏だからな」
そんな事を言いながら日陰になったところを探し、回りの気温を魔法で低下させて蚊を退治してからベンチに座る。
「何気にこのアイス、向こうではクッキー&クリームという名前じゃなくて、クッキークランチって名前だった気がする」
「よくそんなのおぼえているな」
俺はそんな細かい事まで気にしていない。
「向こうでもお兄に買わせていたからね」
そういえば、そんなおぼえもあるような気がする。
「多分、今もお兄と会えるのも今日、それも今が最後かな」
俺の心臓が、いつもより激しく鼓動した。
「何故そう思った?」
「廊下を歩いた時感じたの。外の景色が時々違って見えるなって。ここは広葉樹って無かったよね、確か」
そう言えば茜先輩が言っていた。植生が違うって。
改めて確認してみようかと思って思いとどまる。観察結果が世界を変える可能性もあるから。
でもつい目に入った落ち葉は、間違いなく広葉樹。つまり元の俺達の世界のものだ。
「でもお兄には合宿の時、言いたい事は言えたからとりあえず大丈夫かな。おぼえているよね」
それは鮮烈すぎて忘れられない。俺としても初体験だったし。
「やっぱり遙香、綺麗だよな」
「もう、お兄のバカ!」
チョップされた。全然痛くないけれど。
「どっちのお兄も私の大好きなお兄だから、絶対幸せになってという事。私のいない方の世界では少し妥協してあげるから、絶対いい人を見つけて幸せになってって事。自覚があるかどうかは別として、結構お兄、モテるんだから。ちゃんといい相手を捕まえてね。彩先輩も茜先輩も悪くないと思うよ」
もう一人の俺がちょっと聞きたい事があるようだ。
「ならそっちじゃない方の俺は?」
「ヤンデレ寸前の妹がいるから諦めて」
やっぱり、そう思うもう一人の俺がいる。今の俺と一緒に。
「どちらかというと、どっちの俺もその方がいいな」
「それは私がいない分、諦めて。私もそこは妥協したんだから」
「はいはい。遙香の頼みなら仕方ない」
「約束だからね」
「わかった」
「よろしい」
遙香は頷く。
ふとその姿が透けて見えたような気がした。
気のせいだ。そう思い直すけれど……
「今のを確認したかった分だけ、余分にここにいられたのかな、私。それじゃお兄、最後にキスをして」
俺は遙香の肩を軽く抱いて、顔を近づける。
最後のキスはバニラアイスの味がした。しかし唇も、抱いている腕の感覚も、次第に薄れていく。
次の瞬間、俺は一人でベンチに座っていた。確かにさっきまで感じていた、もう一人の俺の気配も無い。
俺は悟った。夏は終わったのだと。




