第37話 遙香の確認
翌日の七月二十八日朝八時五十分頃。早めに来ているだろうと思って、寮の出口へ。
ちょうど見覚えある姿が、女子寮から来るところだった。
「あ、お兄、おはよ」
俺を見つけて、とととととと駆けてくる。その辺は小さい頃と変わらない。
「廊下を走るのは禁止です」
「もう!」
「はいはい、喫茶室でいいか?」
休みの日は食堂も、九時半まで朝食の営業をしている筈だ。でも遙香の好みは、喫茶室だろう。
「今、厚生棟は一階しかやっていないよ。他は立ち入り禁止で修理中」
そう言えばそうだった。今回の魔獣騒ぎで一番被害を受けているから仕方ない。
厚生棟三階なんか見るも無惨な状態だし。何せ現場に板からよく知っている。
「なら何処で食べる?」
「外出て食べよ。川沿いの日陰に入れば涼しいよね」
「気温は結構暑いけれどな」
「魔法で冷やせば大丈夫だよ」
遙香は上にあの黒い作業服を羽織っている。確かにこれを着て中を魔法で冷やせば、それなりに涼しい。
だが俺はその辺考えず、ポロシャツ一枚で来てしまった。でもまあ、前と同じように回りの石とかを冷やせば大丈夫だろう。
厚生棟一階の売店は、思ったほど混んでいなかった。休みなので朝寝を決め込んでいる奴も結構いるのだろう。外へ遊びに出かけた奴も結構いるに違いない。
そんな事を思いながら、俺は弁当コーナーを物色する。三割引きになっていた賞味期限間近のチキンカツ弁当を発見。これは買いだ。あとはドリンクに、これも賞味期限今日で三割引のパック牛乳。
休日でも早く起きるといい事があるようだ。三文の得という奴だな。まもなく九時だから早くないなんて無粋な考えは無しで。
親だの何だのの監視が無い、休日の寮なのだ。生理的欲求に負けるまで寝ている奴は当然多い。九時に売店に来るのは十分に早起きの部類だ。
なんて思いつつ、先に買って待っていると遙香がやってきた。
「それじゃ外行こう」
外へ出る。夏の日差しがとんでもなくきつい。
「よく見るとこの辺、結構荒れているね」
小型魔獣がこの辺まで出てきたせいで、道路脇が崩れている。当日のうちに自衛隊が車が通れるよう、とりあえずの補修をした程度だ。
その前には大型魔獣もここを通って襲ってきたしな。
ただ悪い事ばかりでは無い。
「その分川に入りやすくていい。元々はこの辺雑草だらけだろうし」
「それもそうだね」
自衛隊が簡易補修した砂利の上を通って川へ。魔獣が荒らした部分を避けて上流へ行けば、そこそこ涼しげな雰囲気だ。
ただ気温は多分体温を超えている。その辺は魔法でカバー。そこそこいい感じの石を魔法で冷やして、二人で腰掛ける。
「うわお兄、朝からカツ?」
「安いしお腹にたまるしさ。遙香だって甘いものだけだろ」
チーズケーキとフルーツサンド、いちご牛乳の組み合わせはあんまりだと思う。
「女の子はお砂糖とスパイスでできているの」
はいはい、出典はマザーグースだったかな。
「それで合宿の予定、見た?」
「ああ」
今朝になって、合宿について更に詳しい連絡が入ってきた。
仮の予定だが期間は七月三十日火曜日から、八月一日木曜日まで。つまりなんと今週、明後日からだ。
「急だけれど面白そうだよね。此処へ来てから海に行った事ないし」
「でもよく予約を取れたよな。費用も結構安いしさ」
費用は顧問の清水谷教官を含め二十名参加の場合、五千円程度とあった。なおうちの研究会は全員あわせて二十五名。この学校の課外活動では最大手だったりする。
「テストも終わって予定特にないしね。ほとんど参加するんじゃないかな」
「だな」
よくここまで計画を練ったものだ。こんな急な日程なのに。須崎さんや清水谷教官、相当苦労したのではないだろうか。
「でも何故突然、合宿の話が出たのかな。いままでそんなの、なかったよね。ひょっとして四年以上で話に出てた?」
「いや、俺も昨日の連絡ではじめて知った。理由もわからない」
実際俺も、はっきりとした理由はわからない。流れ的に須崎さんが、何か企んだだろうと思う位で。
「新潟の海と書いてあったけれど、何をするんだろうね。海水浴場で往復はマイクロバス、食事は自炊と書いてあったけれど」
「それを今日決めるんじゃないか? 参加希望をとるのと一緒に」
「そう言えばそうだね」
うんうんと遙香が頷く。
平和だな、ふとそんな事を思った。魔獣との戦いがあったからじゃない。遙香とこうしていられる事がだ。
遙香が死ななかったら、こういう日々が俺達の世界でも続いていたのだろうか。
世界がこうやって交わらなくても。
「それで向こうの遙香はやっぱり交通事故で死んだの? 四年の時の」
「ああ」
そう何気なく答えて、すぐに気づいた。今俺が答えてしまった事と、その意味に。
「何で気づいた?」
「向こうの世界に遙香がいるのなら、その記憶が私にもある筈よね。だからその気になって記憶をたぐってみたの。そうしたら確かに、向こうの遙香の記憶は見つかった。大分昔、小学四年までの記憶だけれどね。でもあの交通事故で車が迫ってきた後の記憶は、どうしても思い出せない。つまり向こうの遙香は、あの交通事故で死んだ。そう考えると全部理解出来るの」
秩父に行った時、その辺に気づいたんだろう。失敗したとも思うが、気づかれても仕方ないとも思う。
その辺の事は俺自身、どう感じているのかよくわからない。考えないようにしているのかもしれない。麻痺しているのかもしれない。
心の何処かが痛む気がする。気のせいかもしれないけれど。
「ところで遙香がいない向こうでは、お兄に別の恋人か仲のいい女友達とかいるのかな。こっちでは、女の子とばかりつるんでいるように見えるけれど」
いきなり話題が変わる。
しかし女の子とばかりつるんでいるか。確かにそうだなと自分でも思う。勿論理由はあるけれど。
「茜先輩と緑先輩は、この学校に来る前からの知り合いで相談相手ってところだ。前に緑先輩の部屋で話したよな。前の学校でここに入る為、魔法研究会を作って三人で勉強していたって。そんな訳で話をするようになった。この学校や世界が、変わりつつある事を話せる相手が他にいなかったというのもあるし」
「なら彩先輩は?」
ぎくっ。
『彩、孝昭の事が好きなのよ』
須崎さんの、そんな言葉が頭をよぎる。
「魔力が近いし同じクラスだし、席も近いというのがあるのかな。だからどうしても組む機会が多くなる。研究会も同じだし。それだけかな」
実際それだけなのだ。須崎さんに言われるまでの俺としては。
「彩先輩は、お兄の事をかなり気にしているように見えるけれどな」
ぎくぎくっ。女子の方がそういった事に鋭いのだろうか。
「そうか。特に俺はそう感じないけれど」
とりあえず、そう言わせて貰う。これは須崎さんに言われるまでは事実だった。だから間違いではない。
「安心した。本音としてはね。私も向こうの遙香も結構嫉妬深いから。ヤンデレな妹一歩手前くらいにね」
「なかなか強烈な事を言うな」
そんな単語、怖い系のラノベや漫画でしたお目にかからない。遙香に言われても怖くはないけれど。
「本当だよ。でも本当はまずいんだよね、きっと。私がいない世界で私がお兄を縛っちゃったら、お兄が幸せになれないし」
「今は一緒にいるからいいだろ、これで。ただここで遙香と仲良くすると、向こうの遙香に怒られてしまいそうだけれど」
これは間違いなく俺の本音だ。
「それは大丈夫。今は向こうの遙香も私だから。私の中にいるから。お兄に記憶が二つあって、どっちものお兄であるのと同じで」
「だったら問題無い。俺も遙香が好きだし」
間違いなくこれも俺の本音だ。
「それは嬉しいんだけれどね。それがお兄の本心だともわかっているし」
「ならいいじゃないか、これで」
「ん……でもね」
ピピピピ、ピピピピ……何か電子音っぽい音が鳴る。遙香がポケットからスマホを取り出した。
「そろそろ真面目に食べないとまずいかな。九時四十分だよ」
おっと。
「思ったより時間過ぎてるな」
そんな訳で、二人で朝食を食べることに専念。
遙香が飲みきれなかったイチゴ牛乳パックの残りは、俺が飲んだ。口の中があまくてベタベタするなと思いつつ、片付けて立ち上がり、研究棟へと向かう。




