第28話 その人は知らない
帰りは一駅離れた方向にある、大野原という駅から電車に乗った。
午後三時十一分発で二十分ほど待ったけれど、電車内は空いている。なので車端のロングシート三人掛け部分に、景色が見えるように二人若干斜めに陣取った。
「いや、疲れたな」
「ウニクロがこんなに遠いとは思わなかったよね」
まったくもって、ウニクロは駅から遠かった。この辺は田舎だから、買物も自動車前提のようだ。
「ちょっと服も見てみたいし、ウニクロあるみたいたから行ってみよ」
という遙香の台詞に詳細を確かめず、頷いてしまった俺も悪い。でもまさか、三十分以上歩かなければならないとは思わなかった。
それに行ったら行ったで、そんなに大きくない店の中を一時間以上うろうろしたし。それでいて何も買わないというのも……
遙香の持っているお金が使えない、という理由もあるけれど。
そんな訳で午後二時過ぎにはもう、俺達は学校への撤退を決意した。
なおウニクロを出た後、スーパーでパンや惣菜類を少々買い込んだりもしている。毎日学校内の食堂や弁当なので、少しは違う物も食べたくなるのだ。たとえそれが出来合いのおかずパンや惣菜類だったとしても。
「それでお兄、お金が違ったり記憶が違ったりする説明は?」
電車の中で遙香が尋ねてくる。
「前に別の記憶が思い出せるって話をしたよな」
今日お昼の後、どう説明しようか、ある程度は考えていた。だから説明も、最初のあたりはすぐに口から出てくる。
「うん、うちのクラスにも何人もいるよ。というかほとんどかな。私は思い出せないけれど」
「その思い出せる世界が、ここなんだ。この世界は記憶の中にある訳じゃない。遙香がいた世界と同じように存在している。あの世界と少しずつ違うけれど。大きな違いは魔法が無い事かな。でも気づかなければスルーしてしまう程度には、よく似ている」
遙香はうんうんと頷く。
「確かにちょっと記憶違いかなくらいの差だったりするよね。私も最初はそう思ったもん。でも何で学校を出ると、その別の世界に行く事になるの?」
この質問はちょっと難しい。
「どうやら今は、元々の世界と記憶にある世界の二つが混じった状態になっているらしい。それも記憶にある、魔法の使えない方の世界をベースに、学校付近だけ元々の、魔法が使える世界が強い形で」
俺にはこの程度の説明が精一杯だ。
「でもそれで、何故お兄は今いる方の世界のお金とかを持っていて使えるの? そして何故私はそれが出来ないの?」
「記憶がないと、その辺は出来ないらしいんだ」
「なら何故私はこの世界の記憶が無いの。お兄はわかっている筈よね。お金の事にすぐ気づいたんだから」
しまった。この話題には触れたくなかったのだ。これを追求すると、こっちの世界に遙香がいない理由を説明しなければならない。
「お兄は何か言いたくない事があるのかな」
「そういう訳でも無いけれどさ」
「その右手の人差し指を動かすの、お兄が言い訳を考えている時の癖だよ」
うーむ、困った。どう言い抜ければいいだろう。
ちょっと間が不自然に空いてしまう。
「まあいいか、それは後で。何となく想像できるし。それで何故世界が混じった状態になんてなったの? しかも学校周辺だけが。その辺はお兄、わかる」
ちょっとほっとした。何となく想像がつく、というのがちょっと嫌だけれど。
でも俺の口からは真相を言いたくない。言わないとどうにかなるというものでも、言うと何かが変わるというものでもないけれど。
「その辺は俺もよくわからない。世界が混じっているというのも仮説みたいなものだし。でも記憶の世界と元の世界が、混じったような形で変化しているのは確かなんだ。特に学校周辺はその変化が大きく感じる」
「それって何か、公式に明らかになっている事実じゃないよね」
「何人かで調べた結果だ。気づいている生徒は多分、ほとんどいないと思う」
「その一緒に調べたのって、ひょっとして茜先輩」
いきなりここで、茜先輩の名前が出てきた。図星なので思わずぎょっとする。
「何故わかった?」
「お兄がそういった事を相談するの、だいたい茜先輩だしね」
そう言えば向こうの世界でも、俺と茜先輩はそういう関係だった。魔法研究会の先輩と後輩で。
そしてやはり同じ魔法研究会にいる遙香も、その事は当然知っていると。
「ああ。茜先輩と緑先輩だ」
「緑先輩? 誰、その人」
遙香は知らなかったか。確かに緑先輩は、こっちの魔法研究会には入っていない。
「ああ。茜先輩と同じクラスで、未来予知なんかの知識系の魔法を持っている先輩だ」
「うそ、私その人知らない」
「魔法研究会にも入っていないし、知らなくても無理はないだろ」
「そんな事無い」
遙香は思い切り首を横に振る。
「これでもお兄の交友関係は全員知っている筈だもの。それに茜先輩とだって何度も話した事があるし。でもその緑先輩の事は、一度も聞いた事が無い」
そうだろうか。俺はちょっと記憶を辿ってみる。
そう言えば、確かに向こうの俺の世界には緑先輩は出てこない。研究会にもいないし、あの研究室へ行った記憶もない。
俺はもう一度ゆっくり記憶を辿ってみる。間違いない。向こうの世界の俺の記憶に、緑先輩はいない。
どういう事だろう、これは。
わからないけれど、ふと思った。遙香を緑先輩と会わせてみたらどうだろうと。
「なら会ってみるか、緑先輩に」
「えっ」
もちろん会わせる理由もある。
「多分この世界の状況について、教えてくれそうな中では一番詳しい人だと思う」
次点は清水谷教官か、茜先輩か。教官の方が知っている事は多いだろうけれど、俺達に教えていい事は限られるだろうから同点で。
「でも迷惑じゃないかな」
「SNSで連絡を取って、向こうがいいと言えば問題ないだろう」
「でも会った事無いし、先輩だし」
「問題ないさ。茜先輩の友達だし、茜先輩より静かな分、むしろ楽だと思う」
春香は向こうの世界の茜先輩とは、比較的仲がいい。だからこう言えば大丈夫だろう。
「うーん、なら向こうが良いと言ったら」
「わかった」
早速スマホを取り出して、メッセージを打ち込む。
『突然で失礼します。孝昭です。突然ですが本日十四日午後四時半頃、先輩のところに妹分の遙香と、話を聞きに行っていいでしょうか』
これだけ書いて送る。




