第12話 俺は思い出した
寮の自室は無事だった。閉めておいた窓ガラスには、傷ひとつない。
『学校生徒に連絡します。学校で着用していた作業衣については、脱いだ後に別の袋に入れて、明日の洗濯で必ず出してください。ガラス片等が混入している可能性があります。また脱いだ後は必ず掃除機等で清掃し、ガラス片が残らないようにして下さい』
そんな連絡があったので、服を着替える。
学校が無ければ服は自由だ。短パンで自室外へ出るのは禁止なので、チノパンと半袖ポロシャツにしておこう。
パソコンを起動し、学内ネットで部屋の状況異常無し、学用品等被害なし等の報告を打ち込む。あとは茜先輩に、SNSでお礼と無事だった事を報告。
ついでに学内SNSに何か情報がないか見てみる。既に学内の状況がある程度ではあるけれど、書き込まれていた。
教室のある学校本部棟は、一階廊下以外立入禁止。どうやら被害が結構あったようだ、
本部棟前の広場も一部立入禁止。これは例の地竜を調査・回収するためだろう。野次馬的に見てみたい気持ちもあるけれど、どうせ人が多いに違いない。人が多い場所は苦手だからパスの方向で。
一方で厚生棟は、被害が無かった模様だ。全部の店が通常営業と出ている。
暇だし、ちょいと本屋で本でも読みに行ってこようか。そう思って部屋を出る。
寮務室前を通り、渡り廊下で厚生棟へ。
中へ入ったところで、本屋が大渋滞状況なのが見えた。どうやら俺と同じように考えた暇人が大勢いたようだ。
本屋に行くのはやめて、一度部屋に帰ってのんびりしよう。そう思って渡り廊下方向へと戻りかけたところだった。
寮の方からやってきた、女子の一人の顔に目がとまる。彼女の表情が俺の記憶の中の誰かと一致。
向こうの魔法のある世界の俺の記憶。そして現代日本の俺の記憶。双方がそれぞれ、彼女の名前を俺に告げる。
「遙香か、まさか……」
そう思ってもう一度見る。いない。確かにいたと思ったのに。
後輩らしい女子が、俺の方を不審そうに見ながら通り過ぎる。その中に遙香はいない。
しかし俺は、思い出してしまった。
何故、遙香の事を忘れていたのか、理由もわかる。思い出したくないからだ。思い出したくないから心が封印した。当時小学五年生だった俺の無意識が。
封印した記憶が溢れ出る。
何故内海と森川を見て、幼なじみの関係もいいよなと感じたか。そして何故地元が大嫌いだったか。その辺の理由も、全て思い出してしまう。
押さえつけていた記憶の奔流で、まっすぐ立っていられない。
とりあえず落ち着こう。渡り廊下の左側壁に左手をつけ、身体を支え深呼吸していた時だった。
「大丈夫」
この声は誰だっただろう。ただ振り向く余裕はない。
「大丈夫」
その声が正面に移動する。ふらつく視界で誰かを理解した。
「緑先輩、何故ここに」
「歩ける?」
俺は頷く。
「大丈夫です。ありがとうございました」
緑先輩は首を横に振る。
「まだ早い」
「どういう事ですか」
「歩ける?」
俺は頷く。先輩の出現で少しだけ落ち着けたようだ。
「ならこっち」
先輩は俺の手を握って、歩き出す。手が小さくて思った以上に温かい。
手に汗をかいていないか、それを緑先輩が気にしないか。そんな事を考えているうちに、俺達は厚生棟を抜けて学校本部棟の廊下を抜ける。
「保健室の必要は無いですよ」
「行くのは研究棟、私の部屋」
どういう事だ?
「何故研究棟なんですか」
「特殊な魔法用」
どういう意味だろう。
本部棟を抜けて研究棟へ。入って三番目の小部屋の前で、先輩は立ち止まる。
ポケットからカードを出し、取っ手の上に当てる。ピッという小さな音と、カチッという機械音。
扉を開けるとそこは比較的小さな部屋。長机三つで作られた大きなテーブルと、それを囲むパイプ椅子。本棚と小さな戸棚と細長いロッカー。折りたたみ式の簡易ベッド。
窓のカーテンは開いたままになっている。
「座って」
言われた通りパイプ椅子に腰掛ける。
「ここは?」
「私の部屋。研究用その他用に貰った」
確かに緑先輩の魔法は特殊だし、価値がありそうだ。その為に与えられた、専用の研究室という事だろうか。
先輩は戸棚をガサガサした後、トレーにカップと菓子を入れて持ってきた。
このカップには見覚えがある。前の学校の準備室で使っていた物と同じだ。
「このカップ、持ってきたんですね」
「お気に入り」
緑先輩の私物だったようだ。そう言えば向こうでもお茶を入れたのは緑先輩だったと思い出す。
先輩は俺の横に座って、そして俺の方を見た。
「さて、ここからが本題」
何だろう。何故あそこで深呼吸をしていたかの質問だろうか。
「孝昭が見たのは次のうちどれ?
○ 既にいない筈の人
○ 今いて欲しいと思った人
○ 今いて欲しくないと思った人」
予想外の質問に、ちょっと混乱。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味。もう一度繰り返す。孝昭が見たのはつぎのうちどれ?
○ 既にいない筈の人
○ 今いて欲しいと思った人
○ 今いて欲しくないと思った人」
この質問に、どういう意味があるのだろう。わからないまま、でも正直に答える。
「既にいない筈の人、です」
「理解した」
緑先輩は頷く。
「孝昭が見た対象が、どんな世界に属するものか知りたかった。他の世界か、願望なのか、夢なのか。どれも私達には同じように見える。でも本当は全く違う」
どういう意味で、それが今の俺とどういう関係があるのだろう。
「今、この場所は不安定な状態」
緑先輩はそう言って一呼吸置き、そして続ける。
「他の世界と接近しすぎた事により、起こりにくい事が起こりやすくなっている。二十一世紀の世界、水瓶座時代の現実以外も。例えば今朝の怪物。あれは水瓶座時代の日本に存在する魔獣。でもこの辺では絶滅した筈。それに魔獣が自然にここに出るほど、世界はまだ近接していない」
水瓶座時代というのは、約二百四十年を一周期とする、向こうの世界での時代表記だ。今は水瓶座時代に入ったばかりで、その前は山羊座時代と呼ばれていた。
「ならあれは何だったんですか?」
「意図的に放たれたもの」
誰かの故意ということか。ならばだ。
「何故放ったのですか?」
「研究を次の段階へ進めるため」
研究か。
「何の研究ですか?」
「この世界を変える研究」
「そんなもので、世界が変わるんですか」
緑先輩は頷いた。
「意思や感情、認識もまた力となる。意識しなくとも。魔法と同じ。前の世界の理屈は通用しない」
そう言えば、魔法もそうだ。前の世界ではありえない力。前の世界の科学知識では説明できない力であり存在。
先輩は立ち上がり、長机の上に厚いランチョンマットのような布を敷く。更に本棚から小さな箱を取り出し、テーブルの上に置いて座った。
箱の中からは、トランプより少し大きめのカードが出てくる。これはいわゆるタロットカードというものだろう。
「占いでもするんですか」
「占い用ではなく、状況整理用。単語カードでもいいが、私はこの方が使いやすい」
先輩はそう言って、カードを丸く広げてかき混ぜる。
そして再びまとめて、更に三つに分けたりまとめたりした後、菱形に四枚のカードを置いた。
なおカードは裏返しになっていて、今はどれが何のカードかは見えない。




