平民出身の決闘最強魔法使い魔法学校の教師になる~アン・テイラーの決闘から学ぶ応用魔法学~
「平民が貴族に勝てるわけがありません。棄権するなら今ですよ。僕は女性を傷つけたくはありません」
闘技場で私と対面した彼は、私に冷たく言う。
そして、彼への声援が闘技場を包む。
普通の人なら委縮してしまいそうなアウェーな空気の中、私は腰に付けた袋の中の小さな鉄球達を右手でいじり、左手で剣の持ち手に手を添え、余裕の表情で観客席に手を振る彼を見つめる。
私の本領はここからだ!その余裕な表情、いつまで持つかな?
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「僕のほうがうまく魔法を扱えますよ!」
「私たち、先生がいなくても十分魔法が使えますから」
「今日は家で休んでいてはどうですか?」
初出勤の朝、私が校門から校舎へとつながる通路を歩いていると、生徒たちが私に対して野次を飛ばす。平民出身の私のことをからかっている、いや軽蔑しているのだ。
初出勤なのにもう平民だと知られている。よっぽど平民がこの学校に足を踏み入れるのを嫌悪しているらしい。この感じだと私が講義を受け持つと知らされる前から私の情報が広がったのだろうか。事前情報なしに貴族と平民の見わけもつかないガキどもめ。
私はそんな生徒達の罵声をものともせず、堂々と歩く。
野次を飛ばしていた生徒たちはそんな私の態度が気に食わないのか、次第に彼らの言葉に差別的な表現が含まれるようになる。
「能無し!」
「何か言い返してみろ低層民!」
「帰れ!」
とはいえ、さすがは貴族様。いくら差別的な表現と言ってもまだまだ可愛らしい。
第三帝国魔道学校。私が今日から働く学校の名前だ。この第三という名前は実に帝国らしい。無機質で単純に創立順につけたような名前だ。
そして、この学校は国内一と呼ばれるほど教育の質が高く、生徒のほとんどが貴族だ。といってもその貴族の大半はこの百年間で勝手に自称し始めた魔法使いの一族で、帝国も彼らの重要性を考慮してかそれを黙認している。そのため、制度上は自称貴族だ。なんて滑稽な。
まぁ、そんな貴族を自称するくらいだからか、彼らのプライドと選民思想はそれはそれは酷いもので、魔法を使えない人々を人畜と呼び、魔法が使えても低層民、平民、乞食とレッテルを張り付ける。
私が罵声を浴びながら歩いていると、一人の男教師が私の隣りを歩き始めた。背が高く、顔もいい。
「もしかして、今日から来るという平民の教師というのはあなたですか?駄目ですよ一人で歩くなんて、平民なんだから生徒から何をされたかわかったものじゃありません」
ただし、性格はドブ以下。この哀れなあなたを恵まれた僕が守ってあげましょうと言わんばかりの態度が気に食わない。それに、本人はさらっと平民という言葉を使っているが、それは蔑称だ。まぁ、普通に使うこともあるだけど…
「あら、ご心配は無用ですわ。でも、私急いでいますので」
私は話を切り上げ、彼と距離を置こうとする。こんなやつと話していると脳みそが怒りで破裂しかねない。
しかし、彼はなかなか私の隣りを離れようとしない
「まぁ、そんなことを言わずに。職員室に行くのでしょう?僕もちょうど行くところだったので、道中いろいろ案内しますよ」
ウ…ウゼェ!!!!
「まずは正面の校舎なんですけど─────」
なんで、こっちの答えを聞く前に解説を始めるんだこいつは。もしかして私ちょろい女だと思われてる?罵倒されているところを助ければ惚れるとでも思っているの?
私はそんな軽くて弱い女じゃないんだよ!
けど、彼が私の隣りを歩き始めてから誰も私に大声で罵声を浴びせなくなった。私のほうを見てひそひそと話す生徒はいるが、まぁ…彼の行動が私への罵声を止めたのは事実だ。少しはいい人だと認めるべきだ。
「あなたは見たことも聞いたこともないでしょうが、この学園には─────」
けど、このナチュラルに見下す態度は好きになれない。
なんだかんだで彼の案内を受けながら、私は職員室にたどり着いた。
職員室で作業や講義の準備をする講師たちは皆寡黙で、自分のこと以外、あぁ、あと私のこと以外には興味がなさそうだ。せめて私に対しても無関心でいてくれればよかったのに。講師たちは職員室に入ってきた私を店頭の品のようにじろじろと見つめる。なんならその視線を隠そうともしない。
「それでは僕は講義の準備があるのでまた後で」
私の隣りにいた男はそう言って自分のデスクへと向かっていった。
また後でって、ちょっと距離の詰め方が速いんじゃなかろうか。それとも私、男性との会話経験が少なすぎたかな。これが普通なんだろうか。
そんなくだらないことを考えてその場に突っ立っていると、目つきの悪いやせた男が私の前に立つ。
「初めまして。私はヴィクター・ブラックウッド。粒子学の講師です。あなたのデスクはあそこです。私は普通のデスクが開いていると言ったんですけどねぇ」
そう言って、彼は一つだけ不自然に話されたデスクを指さす。
明らかに他のデスクと材質が違う。加工も雑で、引き出しの一つもついていない簡素なデスクだ。
デスクを紹介された私を見て、数人の教師がクスクスと笑う。おそらく彼らが用意したデスクなのだろう。こうも露骨だと怒りを通り越して呆れてしまう。
「とりあえずはあのデスクで我慢してください」
やせた男はため息をつきながら私にそう言う。彼は私に対して悪意を持っているようには見えない。
そして、続けて私にささやいた。
「結果さえ出せばこの状況は脱せます。しばしの辛抱です。なにか困ったことがありましたら私に相談してください」
おぉ!なんていい人なのだろう。
その後、彼は「それでは」とだけ言って職員室を去っていった。
私は彼の言葉にこの学校でやっていく勇気をもらったようだった。見方がいるという安心感は私の心の支えとなり、悪意の満ちたデスクでする準備の辛さを和らげてくれた。
講義で使う教材とノートをまとめ、職員室を出ようとすると一人の女性教師が私の前に立つ。彼女の目線は明らかに私のことを見下している。
「あら、今から講義ですか?」
「えぇ、そうですわ。」
私の返事を聞いて彼女は嫌な笑みを浮かべる。
「おや、さすがに言葉遣いを学ばれてきたんですね。てっきり汚い言葉をお使いになるかと」
おいおいおい。最初っから殴り合う気満々の返事じゃないか。ということは…ここからなにかある。
この会話を聞けば誰でもそう思うだろう。
「それなら…あなたの応用魔法学の講義、見学させてもらってもいいですか?」
「………えぇ、構いませんわ」
そうきたか。私を見下していないとでない提案だ。しかし、私は今日の授業のために準備をしてきたんだ。目にものを見せてやる!
「あなたは説明時、はあなたの中で完結してしまった結論のみはなしているのですよ。聞き手が全く考慮されていません」
「はい…」
「それに空気中の魔素と鉄中の魔素の性質が似ているといいましたが、これでは不十分ですよね?魔素は主に十二個の基本粒子とその配列によって構成されているという前提を話した上で──────」
「はい…」
「…とにかく、あなたの教えている魔法は平民の魔法です。ここは幼少期から魔法に触れてきた貴族の通う学校ですよ。それを念頭に置いてください」
「はい…」
結果は惨敗だ。さすが帝国一の学校。てっきりいちゃもんのような小言をグチグチと聞かされるものと思っていたが、指摘の一つ一つが的確で、この学校に通う生徒の学力、バックグラウンドを考慮したものだ。
「それに…今回の講義で話した現象のほとんどは生徒がこの学校に来る前に体験しているものです。次は…頼みましたよ」
「はい…」
私は去っていく彼女を背にし、職員室に戻っていく。道中、彼女の言った言葉が脳内で何度もこだまする。特に「平民の魔法」、という言葉が。
私は自分のデスクに戻ると、突っ伏して、頭の中で明後日の講義内容をもう一度再構築する。考えれば考えるほど、私の講義内容は生徒の経験と知識を無視して作られていたと痛感させられる。
すると、わたしのデスクに鉄製のマグカップがおかれる。顔を上げると今朝のイケメンが立っていた。
「どうやら今朝の講義は失敗したみたいですね」
もう少し優しい言い方はなかったのだろうか。しかし、うまくいかなかったことは事実だ。私は彼の言葉を聞き、上げた頭を俯ける。
「あぁ、そんなに落ち込まないでください。平民出身なのですから、ここの生徒相手に授業がうまくいかないのは当たり前ですよ」
相変わらず自然に入る差別がむかつく。むかつく…が、平民出身…、正直、私が考えていた以上にそのハンデは大きい。生徒の常識が私にとっての非常識だということがありえるのだ。これではまともに講義ができる自信がない。
「………」
「それなら、僕が明日の講義内容を添削しましょうか?次の講義内容を書いたノート、持っていますか?」
黙っていると、彼が助け舟をだしてくれた。ここは彼に助けてもらうべきだ。
「…はい…お願いします」
私はそう言って、ノートを彼に渡す。彼はノートを受け取ると、開き、じっくりと読み込む。私と彼の間に流れる沈黙がつらい。
「うん、普通の魔法学校なら及第点といった内容かな」
なるほと。つまり、この学校ではゼロ点に近いということか。私は彼の言葉を聞き、スカートを握りしめる。
「やっぱり…、駄目ですか…」
私は溢れそうになる涙をこらえ、確認する。今朝までは体いっぱいにあふれていた自信が今は豆粒サイズにまで小さくなってしまった。
「えぇ、まぁ…」
彼は頭をかきながらはぐらかす。なんでここでは気が使えるんだよ。
「普通の講師なら、僕と一緒に添削をしたい所なんですが…」
そう言って、彼は少し厄介そうに腕を組み考える。そして、少しの間をおいて、再び喋りだす。
「ただ、僕のアドバイスをすべて適用してしまうと、あなたの講義の良さを殺してしまいそうなんですよね」
「…というと…?」
彼の言葉は、私の現状を打破してくれるんじゃないか。そう思わせてくれる。
私は一途の望みをかけて彼の話を聞くことにした。
「私はまず、なぜあなたがここの講師として雇われたのかを考えました。普通の平民ならまずなれませんからね」
「…はい」
「けど、あなたのノートを見て、その理由が少し理解できました」
「…」
彼はそう言って、間を置く。
私が雇われた…理由…。そういえばあまり考えてこなかったことだ。私はただただ、自称貴族達を見返してやる。その一心でここの講師に負けないような講義を作っていた。自分らしさを自分で殺していたんだ。
「実践を念頭に置いているのです。これはここの講師たちと一線を画すあなたの良さです」
「…!」
実践を…!確かにそうだ。私の魔法は常に実践の中で磨いてきた。だから今日の講義も実践で使える現象を重点的に紹介した。
「しかしですよ…」
彼はそういってノートを開いて私に見せる。
「ノートの内容は実践で使える現象ばかりで、実際にどうやって、どのような状況で使用するのかと言った点があまり書かれていません。おそらく気づいてくれるだろうといったことでしょうが、生徒たちはまだ理解していないでしょうね」
私はハッとする。しかし、ここで少し引っかかる。今日の講義のあと、彼女から言われた言葉「現象のほとんどは生徒がこの学校に来る前に体験しているもの」という一節だ。なぜ、この現象をしりながら応用を思いつかないのだろうか。
「そうかもしれませんわね。しかし、今日の講義後、別の講師の方からこう言われましたの────」
私は受けた指摘の内容を彼にすべて伝える。それを聞く彼は頷き、「たしかに」「そうだね」と相槌を打っていた。しかし、なにか言いたそうでもあった。
私が話し終わると、彼は言った。
「確かに、この指摘はもっともです。ただ、彼女も人が悪い。貴族たちがどうやってその現象を体験したのか教えてはくれなかったようですね」
そう言って彼は自身の人差し指を上に向け、その上に小さな光を作り出す。
「彼らはこうやって、遊びの中でこの現象を体験します」
「はぁ…」
「生徒達にとっては、こうして得られた経験は遊びの一部として受け入れられ、それ以降の応用は頭から抜け落ちてしまっているのですよ。だから、皆、なぜそれが起きるのかといった原理を知りたがるのです」
「なるほど…ならどのように応用するのかをうまく伝えることができれば、もっと興味を持ってもらえますか?」
私の質問を聞いて、彼はうれしそうにパチンッと指を鳴らす。
「その通り!そして、その応用方法こそがあなたがここで雇われている理由です。平民の魔法を教えるためにこの学校に来たのですよ」
私はこの言葉を聞いて、私の存在意義に気づいた。
そうだ、実践だ。私がここの講師たちに勝っている点は実戦経験だけだ。なんでこのことに気づけなかったのだろう!私のバカ!
心が一気に軽くなる。
「ありがとうございました!あの…、書き直したノートも、あとで見てくれますか?」
「もちろん。それならあなたが帰るまで私も残ることにしましょう」
そう言って彼は自分のデスクに戻っていった。
私は彼を見送ると、ノートの新しいページを開き、新たに講義内容を再構築する。もう迷いはない。今日の講義を作っていた時とは大違いだ。
そして、ノートと同時にある張り紙もつくる。内容は───────
日が沈み始め、職員室が暗くなり、ランタンに火を付け始めたころ、私の新たな、私だけの講義が完成した。
私はノートをもって、彼のもとへ向かう。
「おぉ、完成しましたか。それに、あなたの張り紙、もう学校中でう噂されていましたね」
私は彼の言葉を聞いて胸を張る。そして、明後日の講義内容を書いたページを開き、彼のデスクの上に置く。
彼はそのノートを手に取り、じっくりと読む。
「……………」
いくら内容が自信作だとは言え、もしまたダメ出しを食らったらと考え、冷や汗をかく。
しばらくして、彼はノートを置いて言った。
「六十五点ってところでしょうか。及第点です」
なかなかに厳しい点数だ。しかし、ゼロ点からは大きな進歩だ。
「ところどころ説明不足感が否めませんが、まぁ、それはあしたのあれでカバーするつもりなんですよね?」
「はい!」
あれとは私の張り出した張り紙のことだ。私は彼からのなかなかの評価にうれしく、つい大きな声で返事をしてしまった。
「それでは…楽しみにしていますよ」
彼はそうとだけ言って、荷物をまとめて帰っていった。
私のためにこんな時間まで残ってくれていたのかぁ。私の中で、彼への評価がぐんと跳ね上がる。今朝の評価とは魔反対だ。
そして、私は人が少なくなった職員室を見渡す。そして、私の講義に指摘をしてくれた彼女を見つけた。彼女はいまだデスクで巻物や本を読み、内容をノートにまとめている。
わたしは彼女のデスクの前に行く。
「あの、今日のご指摘、ありがとうございました」
「………ふーん…」
彼女はそうとだけ言って、私のほうを見ずに、本に目を通している。
「おかげでいろいろなことに気づかされましたわ。ですので、明後日の私の講義、見に来てくれませんか?」
「…!」
私がそう言うと、彼女は驚いた表情で私の顔を見る。そして、私の顔を確認すると、
「そう…時間があったらね…」
と、そっけなく答え、再び本を読み始めた。
確かにそっけない態度だったが、ほんの少しだけ口角が上がったのを私は見逃さなかった。私はそんな彼女の表情を見て、気が早いかもしれないが、認められたような気がした。
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初出勤から二日、ついに二回目の講義の日だ。わたしは昨日一日を通してさらにブラッシュアップさせた講義内容が描かれたノートを入れたカバンを持ち、初日と同じように、堂々と校舎へと続く通りを歩く。
しかし、だれも私に対して大声で罵声を浴びせることはない。
「うわぁ~…思った以上に反響あったなぁ…」
なんて独り言を言い、私は一昨日作った張り紙を思い出す。
~明後日の講義について~
アン・テイラーが行う次回の講義は校内闘技場で行います。
加えて、その講義ではアシスタントとして、私と決闘をしてくれる生徒も募集しています。
アシスタント希望の方は、職員室にある私のデスクの上に名前を書いた紙を置いて行ってください。
おかげで好戦的な武闘派教師の印象がついてしまったが、現状を見るに、なかなかにいい副作用だ。おかげで忌々しい自称貴族たちのバカらしいセリフを聞かなくて済む。
「おはよう。アン・テイラー先生」
気が付くと、イケメンの彼が私の隣りに立っていた。そういえば、この学校で始めて名前で呼ばれた。まぁ、自分から名前を言っていなかったのだから、今日が初めてでもなんら不思議ではない。しかし、どこかうれしい。
「それにしても、張り紙効果はスゴイですね。あの生徒たちがもう黙ってしまいましたよ」
そう言って、嬉しそうに彼は笑う。
「それじゃぁ、せっかくですし、一緒に職員室行きましょうか」
そう言って、彼は私の隣りを歩く。道中、私が今日の講義内容を彼に伝えようとすると、
「あぁ、それは秘密にしておいてください。今日のあなたの講義、けっこう楽しみにしていたのですよ」
と言って、聞いてくれなかった。
評価してほしかったんだけどなぁ。まぁ、それだけ楽しみにしていてくれたのならそれはそれでうれしい。ぜひ彼には生まれ変わった私の授業を見てもらいたい。
「ということは、今日の講義、見に来てくださるんですか?」
「えぇ!それはもちろん。もし自分の講義が入っていても休講にして見に行きましたよ」
そういってもらえるとますます嬉しくなる。これは頑張らなくっちゃ!
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僕はあの平民講師にがっかりしていた。平民とは言え、この学校に教師としてくるのだからそれなりに期待していた。しかし、前回の講義内容はとうの昔に知っていたし、質問をしても、回答は的を得ず、答えてほしい原理を教えてくれることはなかった。
そんな講義を終え、友達と魔法の練習をしていると、ある情報が耳に入った。どうやらその平民が張り紙をしたらしい。僕は気になって見に行くと、その内容に絶句した。
「な…なんじゃこりゃ…」
決闘。張り紙にはそう書かれていた。それに、血統の相手をアシスタントにしてもらうとも。
その時、僕はあの平民の心を砕き、講師をやめさせてやると心に決めた。彼女が辞めれば別の講師が応用魔法学の講義を受け持つことになるだろう。あんな平民の講義は二度とごめんだ。
僕は急いで紙に名前を書き、彼女のデスクに持って行った。
デスクでは一生懸命ノートに書きこむ彼女がいたので、その場で紙を手渡した。
講義当日、僕は校内闘技場の観客席に座り、教科書を膝の上において、彼女が現れるのを待つ。
しばらくすると、闘技場の入り口から彼女が現れた。彼女の服装は身軽で露出が多く、肩からはベルトをかけ、そのベルトと腰には数個の袋がついていた。そして左の腰には短剣を挿していた。
平民らしい下品な格好だ。
しかし、誰も野次を飛ばさない。張り紙におびえているのだ。うまくいかなかった講義が終わったかと思うと、決闘の旨を記した張り紙をしたのだ。何をされたものかわからない。
彼女が闘技場の真ん中に立つと、ベルトから一枚の紙を取り出し、名前を呼んだ。
「マイルズ・ソーンヒル!」
僕の名前だ。
「マイルズ!行ってこい!」
「平民に貴族がなんたるか見せてこい!」
そういって背中をたたく。言われるまでもない。
僕は持参したマントを制服の上からはおり、空高く飛び上がる。そして、彼女の目の前にゆっくりと、マントをなびかせて着地する。
着地すると、今まで静まり返っていた闘技場が歓声に包まれる。
やはり、皆もこの平民をこの学校から追い出したいんだ。ただ、そう思うと、皆から追放を望まれるこの平民が哀れに思えてきた。
「平民が貴族に勝てるわけがありません。棄権するなら今ですよ。僕は女性を傷つけたくはありません」
だから、僕は彼女に棄権を勧める。
しかし、彼女はそれに応える気はないらしく、決闘の立ち位置に移動しながら講義を始める。
僕も彼女の反対側に行き、決闘の準備を整える。
「おはようございます。今日は物質内の魔素の性質とその性質を決定する基本粒子の配列について話したいと思います。教科書の二十三ページですね」
この内容は前回と同じだ。焼き直しだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。ここで彼女を倒す。
「それでは」
その一言で闘技場全体に緊張が走る。さっきまでの会場を壊さんばかりの歓声がピタリとやんだ。
それを確認した彼女は左手を上げ、振り下ろす。
決闘開始の合図だ。
僕はそれと同時に彼女の目の前に魔法で火球を作り出そうとするが、視線は彼女から別のものに吸い寄せられる。
腰につけていた袋から鉄球を僕めがけて名がつけてきたのだ。結果、投げつけられた鉄球に魔法が吸われ、真っ赤になった鉄球が地面に落ちる。
僕は次の魔法を発生させるため再び彼女に視線を移すと、
「はい、ストップ!」
そう言って、決闘を中断させ、僕に質問する。
「ソーンヒル君。君はどこにどんな魔法を発生させようとしましたか?」
「え!?えーっと…」
「…先生の目の前で火球を作ろうとしました」
そして、僕の回答を満足そうに聞くと、
「みなさーん!聞こえましたか?彼は私の目の前に───────」
僕の答えを復唱し、その原理について解説を始めた。
「まず、この現象は物質中の粒子配列が似ているものを対象とした魔法で多く見られるものなのですが───────」
彼女のしている解説は、前回の講義の範囲と被っている。しかし、その時の彼女とは大違いだ。
解説は原理から始まり、現象の説明で終わる。そして、追加として例外、類似する現象を最後に付け足す。
まるで別人だ。
「───────はい。というわけで、このような現象が発生するわけですね。皆さんが幼少期、なかなか的に魔法が当たらなかった時、この現象が影響していた可能性がありますね」
締めは僕たちが幼少期によく経験した現象の説明…わかりやすい。
僕が感心していると、彼女は元の立ち位置に戻り、再び左手を上げ、振り下ろす。
その後、僕は彼女に対して、数種類の魔法をランダムな順番、タイミングで放って行ったのだが、すべて別のなにかに魔法を吸収された。そして、その度に彼女は、その現象について、くどいほどに解説を繰り返した。
僕が息を切らして、肩で息をするようになると、彼女は決闘を止め、
「それでは、優秀な働きをしてくれた今日のアシスタントに皆さん拍手を送りましょう」
そう言って、彼女は僕を称えた。
「負けました」
僕はそう言って、先生に頭を下げる。
これなら彼女の…いや先生の講義を受けてみたい。そう思ったからだ。
僕は頭を上げると、闘技場の門から退場し、元居た観客席まで戻ることにした。
「講義が思ったよりも早めに終わったので、今からはエキシビションですね。誰か私と決闘したい生徒はいますか?」
観客席に戻る道中、静まり返った闘技場で挑戦者を求める先生の声が聞こえた。
「それでは、そこの君。そうそう、君ですよ」
といった声が聞こえた後、歓声が上がり、少しして爆発音が聞こえてきた。
「僕はもうこんなに疲れてしまったのに…先生には敵わないなぁ」
そう呟いて、闘技場を後にした。
─────────────────────────────────────
「っはぁ~!おわったぁ!」
私は生徒のいなくなった闘技場で大の字になって寝転がる。背中越しに感じる土の冷たさが心地いい。
こうして、一人でリラックスしていると、闘技場の入り口から前回の講義を指導してくれた彼女が現れた。私は慌てて体を起こし、背中に着いた土を払う。
「……」
彼女はそんな私を冷ややかな目で見つめる。
「ハハハ…すみません。はしたないところを見せてしまいましたわ」
「……」
やっちゃったぁ!!!よりによってこんなところを彼女に見られるなんて。絶対なにか言われる!ここの教師にふさわしくないって言われちゃう!!!
「今日の講義…、及第点と言ったところでしょうか」
「…へ?」
唐突に褒められ、間抜けな声が出てしまう。
え?いま及第点って言った?言ったよね。ってことは…
「まぁ、ここの講師を名乗ってもいいくらいには、成れたのではないですか?」
「…え…うそ…」
短い期間だったが、その間に膨れ上がった不安が一気に解放され、こらえていた感情が爆発する。
涙が止まらない。
「あぁ、そんな顔をしないでください。あなたはここの講師なんですからそんな顔をしてはいけません」
そう言って、彼女は私にハンカチを渡す。
私が地面に座り込み、ハンカチで涙を拭いていると、もう一人、入り口から現れる。
「素晴らしい講義でしたよテイラー先生…っと、もう少し後のほうがよかったですか?」
「い゛え゛、ぜん゛ぜん゛」
私は涙まみれの顔でイケメンの彼に答える。
「落ち着きましたか?」
彼女が私に優しく問いかける。第一印象の冷たさはどこにもない。
「…グスッ…はい… 」
「そうですか。それではこれから共に働く講師として、自己紹介をしなくてはですね」
そう言って、彼女は彼と目を合わせ、頷く。
「まずは私から。この学校であなたと同じ応用魔法学を担当するイザベラ・ラングレーです。ともに頑張りましょう。そして、彼が…」
「エドワード・ランカスター」
ん…、ランカスター…、この名前は…!
「この国の第三皇子です。気軽にエドワードと呼んでくださいね」
「で…、で、殿下ぁ!?」
私は驚いて声を荒げてしまう。なるほど。これなら自然な平民呼びにも納得がいく。彼は俗称としてではなく、本物の貴族以外のことを平民と呼んでいただけだったんだ。
実感がなかったが、改めて、私はとんでもない学校に来てしまったのかもしれないと思った。
後日、アン・テイラーの担当する講義の名前が変更された。
その名も
『アン・テイラーの決闘から学ぶ応用魔法学』