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第八話 告白と花火  ——入日凪人

 凪人は花火大会の雑踏を抜けて走り続け、気づけば神社の鳥居の下まで来ていた。山道に敷かれた石畳の階段を上った先には境内がある。ここに来るまでも走りながら琴葉の姿を探し続けたものの、見つけることは出来なかった。もしこの階段を登った先に琴葉がいなければ、そんな不安が脳裏を過ぎる。

 人家の明かりも、街灯の光も山中には届かない。日は沈んだばかり、周囲は完全な暗闇ではないものの薄暗く青みがかっていて、その何とも言えない雰囲気に言い知れぬ恐怖を覚え、凪人は立ち止まる。先程までの賑やかさが嘘のように辺りは静まり返っている。聞こえてくる音といえば木の葉が風に揺れる音くらいだ。


 ――こうしている場合ではない。この先に、琴葉がいるかもしれないのだ。凪人は恐怖を拭いきれないままに歩みを進めた。

 階段を上るうち、夜は闇を深めていった。階段脇の茂みからは何度か葉の擦れる音が聞こえ、どこからか(からす)の鳴き声が聞こえた。そのたび不安は増す一方だったが、凪人は不安を振り切るように歩調を早めた。


 長かった階段も、あと少しで上り切れるというとき、ある音が凪人の耳に入った。砂利を蹴るような音だった。きっと琴葉に違いない、凪人はそう思い、階段を急いで登り切った。

 

 境内に着いた凪人の目に入ったのは琴葉と、化け物の姿だった。化け物は真っ黒な両手で琴葉の胴を掴み、持ち上げている。琴葉は必死にもがくが、化け物には全く通用していないといった様子だった。

 凪人は一瞬だけ慄いた自分を足元の砂利とともに蹴とばして走り出す。琴葉を掴む化け物の横っ腹に全体重をかけて体当たりする凪人。化け物はあまりの衝撃に手を離し琴葉を投げ出すと、その勢いのまま凪人と共に倒れこんだ。打ち所が悪かったのか、凪人の手首に激痛が走る。うずくまる凪人に、投げ出されたままの琴葉。

 結果として最初に立ち上がったのは化け物の方だった。うずくまったままの凪人の視界の端に砂利を踏みしめる黒い足が映ったのも束の間、今度は腹に衝撃が走る。化け物が凪人の腹を蹴り上げたのだ。全身の痛みに悶える凪人を、化け物は無表情で見下ろす。そして化け物は黒く長い腕を振り上げる。凪人は為す術もなく間もなく来るであろう衝撃に備えて体を丸め、目を閉じる。


 ——覚悟していたような衝撃が凪人を襲うことはなかった。次の瞬間、琴葉のものでも自分のものでもない悲鳴が突然聞こえ、凪人が閉じていた目を開ける。声の主は、あの化け物だった。けたたましい叫び声をあげながら化け物は倒れる。見ると、その背後には琴葉の姿があった。琴葉は肩で息をしながら化け物をただ見つめている。凪人が痛みを堪えながら立ち上がり、再び化け物の方に目をやると、そこには驚きの光景があった。境内の砂利の上でのたうち回る化け物の体が、胴体の部分から次第に灰のようになっていくのだ。化け物の体から発された灰は、風もない夏の夜空に舞っていく。それはまるで、春に舞い散る桜にも、冬の夜に音も立てず降り続く新雪のようにも思えた。

 そうして時間が経ち、化け物の姿は影も形もなくなった。


 未だ激しく鼓動している心臓を落ち着かせようと呼吸を整える。琴葉も両膝に手を当て呼吸を整えている様子だった。とりあえずはこれで一安心先ほどの化け物について琴葉にもう一度訊こうとした時だった。琴葉の背後に、拳を振り上げる化け物の姿が見えたのだ。凪人は咄嗟に琴葉の手を掴み、自身の方に引き寄せる。琴葉めがけて振り下ろされた黒く大きな拳は宙を殴る。一体どこから現れたのだろう。奇襲を不発に終えた化け物はゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。凪人は足元の砂利を片手いっぱいに掴み、化け物に向かい投げつける。砂利を顔面に浴びた化け物が怯んだ隙に琴葉が近づき、化け物の脇腹に掌を当てると、化け物は先ほどのように苦しみだすと段々と灰になっていき、消えてしまった。



「ごめん」

 琴葉は小さな声で言う。凪人が何について謝っているのか聞くと、琴葉は俯いたまま口を開く。

「その、急にいなくなっちゃって、危険な目にあわせて」

「いや、良いけど。何なんだよ、あれ」

 凪人はそう言う。

「知らない」

 琴葉はそれだけ言うと黙ってしまう。知らないとはなんだ、と凪人は思う。この状況で「知らない」なんて白々しいにも程があると、そう思う。

「知らないってことないだろ」

 凪人の言葉に琴葉は黙り込む。凪人は自分の口調が荒くなっていることに気づいたが、その勢いのまま続ける。

「どうして隠すんだよ」

「言えない」

 琴葉がまた、ぽつりと呟く。言えない、それは分かっている。琴葉がここに至ってもまだ話さないのには、きっとそれなりの理由があるはずだということは、凪人にも分かっていた。しかし凪人には、琴葉がひとり危険に身を置かなければならないことも、学校でのことも、何もしてあげられていない自分に対してもひどく腹が立っていた。

「ほんと何なんだよ。昔から人の話ばかり聞いて自分のことは何ひとつ言わない。たまには話してくれたって!」

「言えないの!」

「だからどうして——!」

 ——どうして何も話してくれないんだよ。凪人はそう言いかけたが、琴葉の顔を見て思わず口を止めてしまう。琴葉が涙を瞳いっぱいに浮かべ、こちらを見ていたのだ。言い過ぎた、凪人がそう思って謝ろうとした時だった。

 

 

 突然琴葉が駆け出したのと殆ど同時に、凪人は甘い香りに包まれる。凪人の耳には、土砂降りのような泣き声しか聞こえない。状況を飲み込めないままにみると、琴葉は凪人の肩に顔をうずめ体を震わし、子どものように大きな声をあげ泣いていた。

 

「私だっ……私だって……!」

 泣き声の中に、絞り出すような声が混ざる。

「私だって言いたい! 分かってほしい! でも……でも言っちゃダメだって……!」

「言ったら……大変なことになるって……みんなが不幸になるって!」

 凪人は俯いたまま、琴葉の背中に手をまわし、抱きしめる。琴葉の苦しみだとか痛みだとか、そういったものの全てが直に伝わってくるように感じる。意識しないうち、瞳から水滴が零れ落ちる。

「学校の……みんなも分かってくれなくて!」

 それから凪人は何を言ってよいのか分からないままに背中をさすりながら、琴葉の嗚咽をただ黙って聞いていた。

 ——琴葉は一体、どんなに重いものを一人抱えてきたのだろうか。


 

「ありがと。もう大丈夫。平気だから」

 しばらくして落ち着きを取り戻した琴葉は凪人から離れ、そう言いつつ涙を拭う。

「ごめん。その、汚しちゃって」

 琴葉は凪人の胸を見て、申し訳なさそうに言う。凪人の着ているTシャツにはシミが出来ていた。

「良いよ。別に嫌じゃないし」

 凪人がそう言うと、琴葉は少しだけ表情を緩ませる。

 ——それよりも、と凪人は付け足す。

「それよりも、言えることだけでも教えてくれない?」

「言えないのには理由があるの分かってる。でも、だから俺は琴葉のために何かしたい。これ以上なに聞いても驚かないし、誰にも言わないから。だから——」

 そう言ったときのことだった。


 遠くから笛のような音が聞こえ、二人は思わず空を見上げる。良く晴れた夜空の闇を切り裂くように、光の粒が登っていく。次の瞬間、盛大な破裂音と共に大きな光の花が咲き誇り、眼下の街を照らし出した。凪人は思わず息を吞む。琴葉が隣で小さく息を吸うのが聞こえる。それは、今年最初の花火だった。


 二人はそれから鳥居下の石段に座り、打ちあがり続ける花火を黙々と眺めていた。花火のひとつ、またひとつと打ちあがるたび、夜空は明るく照らされる。

 花火って本当に不思議だ、そう凪人は思う。毎年のように見ているはずなのに、いつも同じくらい感動してしまっている自分がいる。一体どのくらいの人が同じような気持ちで、あの光の花を見つめているのだろう。横を見ると、琴葉は潤んだままの瞳で花火を眺め続けている。その姿はあまりにも綺麗で、この世に存在するどんなものよりもかけがえのない、尊いもののように思えた。同時にどうしようもなく切なくなってしまう。彼女はいま、何を思っているのだろう。そんなことを、凪人は考える。


「綺麗だね」

 不意に琴葉が呟く。凪人は心を覗き込まれたように感じ、少しだけ慌てる。

「私ね、分からなくなったの」

 琴葉はただ、夜空を眺めながら言う。

「将来の、こと?」

 凪人が少し考えて訊くと「うん。色々と」と言って琴葉が頷く。

「そっか。分かるよ」

 凪人が言うと、琴葉は少しだけ驚いた表情をみせる。

「え、凪人くんも?」

「うん。俺も将来のこととか正直あんまり分からないから。夢とか目標とかもないし、自分が何をやりたいかも全然分からないし」

 

「小説は?」

 琴葉に訊かれる。そうだった、と凪人は思う。琴葉だけは自分が小説を書いていたことを知っている。元はと言えば、小説を書き始めたのも琴葉の影響だった。小学生のころ、彼女に勧められたのをきっかけに小説の世界に引き込まれ、彼女が作家になりたいと言い出したのを追うように、凪人も作家を目指し始めたのだ。

「今はもう書いてない。何ていうか、向いてないんだよ、俺」

 琴葉は「そっか」と相槌を打つ。その表情はどこか悲しげに見えた。

「琴葉は?」

 凪人が訊く。

「書いてるよ。読むのも書くのも好きだし」

 琴葉はそういったあと、一呼吸おいてまた言った。

「もう長くは続けられないだろうけど」

 その言葉に、凪人は喉を詰まらせたような気分になる。

 ——え、それって、凪人は琴葉に訊く。

「それって、病気とか?」

 琴葉は「そういう訳じゃないけど」と言うと黙り込む。

「……ごめん。やっぱり言えないや」

 しばらくは俯いたままの琴葉だったが、再び顔を上げると笑顔で言った。

「でもね、凪人くんがどんな進路を選んでも、私は応援するよ」

 凪人は黙ったまま頷き、何を言うべきかも分からないまま、風に流れる花火の煙を眺め続けていた。


 


「俺、もう一回書いてみるよ」

 花火も終わり、神社の階段を下りているとき、凪人は言った。「え、小説のこと?」と琴葉。凪人は頷く。

「やっぱりまだ、諦められてないんだって分かったから」

 凪人がそう言うと、「……そっか。なんか嬉しいかも」と言い、琴葉は嬉々(きき)として笑うのだった。


 帰り道の住宅街は、夕方とは打って変わっていつも以上に静まりきっているように思えた。歩き続け、琴葉の家の前に着く。

「じゃあ、今日はありがと。色々あったけど楽しかった」

 琴葉が言う。凪人は「こっちこそ楽しかったよ。ありがとう」と返す。

 「明日も会えたりする?」

 凪人が琴葉に訊く。単に会いたい、という思いがないわけでもなかったが、いちばんは琴葉を一人にしたくないという思いからだった。琴葉は少し考えたのち、了承する。断られるのではないか、そう危惧していた凪人は胸をなでおろした。

 

 自宅に向かって一人歩きながら、凪人は今日のことを振り返る。小説を続けられないとは一体どういう意味だろう。病気ではないと琴葉は言っていたが、やはり凪人にはそのことが引っかかって仕方がなかった。やはり家のことと関係しているのだろうか。もしそうだとすれば、と凪人は思う。もし家のことで琴葉がそこまで追い詰められているのだとすれば、自分にできることは——。迷惑だとしても、余計なことだと言われても彼女のためにできることは何でもやろう。凪人は心に決めるのだった。

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