第七話 花火大会 ——月波琴葉
本当にこのまま、待っていても良いのだろうか————月宮琴葉は思う。今日は花火大会、凪人に誘われてこの待ち合わせ場所の公園に来たは良いものの、琴葉には未だ迷いがあった。
私、バカだ。心の中で呟く。家のこと、学校のこと、そう遠くない未来のこと。問題も、すべきことも山積みで、そのことを考えると自分はいま、こんなことをしていてはいけないのだ。それにも関わらず花火大会に行く約束をして、張り切って浴衣まで着て、待ち合わせ場所に来てしまっている自分がひどく滑稽に思える。
「覚えているだろう。お前の姉も立派にやった。次はお前だ」
「この家に生まれたなら為すべきをなせ」
また、祖父の嗄れ声が鮮明によみがえる。理不尽だ。行ってみたい場所もやってみたいことも、まだまだ自分にはたくさんあるのに、お姉ちゃんはどうして私をおいて行ってしまったのだろう、そう思う。いっそのこと、このままどこか遠くへ逃げてしまおうか、そうすれば全部、楽になるのではないか————無意識のうちにそんなことを考えている自分に酷い嫌悪感を覚える。
「ごめん。待った?」
声が聞こえ、顔を上げる。凪人くんが、そこにいる。来たばかりだと、私は嘘をつく。彼の顔を見ただけで自然と笑顔になってしまっている自分に、少しだけ驚く。
花火大会の会場を、凪人くんと歩く。街はいつもと違い賑やかで、家族連れや友人同士、恋人同士、関係性のいまいちつかめない男女の集団。本当に様々な人が、この場所で時を共にしている。きっと、この人たち一人ひとりが会場の楽しい雰囲気を作り出しているのだろう。そして、私もまた、そのうちの一人なのだろう、そんなことを考える。
「琴葉も食べる?」
隣を歩く彼が、そう言ってカップに入った唐揚げをこちらにみせる。
「うん。ありがと」
私はそう言って受け取り、頬張る。「おいしい」、私が呟くと、彼は嬉しそうに笑う。楽しそうな彼をみているだけで、どうしてか私はとても嬉しくなってしまう。幸せとはこういうことなのかもしれない、そう私は思う。
「関係ないよ」
幸せな時間も束の間、同級生に出くわし冷めきってしまい、修復不能かに思われた空気の中、彼は私にそう言う。彼はさらに続けて言う。私と行きたいと思ったから誘ったのだと、私といる時間が楽しいのだと。
凪人くんは優しい。だから、今の言葉もきっと嘘ではない。でも、真っ直ぐに受け入れてしまってはダメだ。受け入れてしまったら、私はきっと凪人くんに相談してしまう。言ってはいけないことも、洗いざらい話してしまう。それだけはダメだ。絶対に。
でも、もし話したら、この人はどんな顔をするだろうか。冗談だと笑うだろうか、泣いてくれるだろうか、怒るだろうか。それとも一緒に逃げようと手を引いてどこか知らない場所へ連れて行ってくれるだろうか。もしそうだとしたら私は———。
「大げさだよ」
脳裏をかすめた邪な想像を振り切るように、こみ上げる得体のしれない感情の渦を抑え付けるように、私はそう言う。
琴葉が近くに現れた訪根人の存在を知ったのは、トイレへ行くために凪人と別れ、列に並んでいるときのことだった。並んでいる人の中に、「幽霊をみた」という声を聞いたのだ。私は何も聞いていない、琴葉は一瞬だけそう信じ込もうとしたのだが、すぐに居ても立っても居られなくなり、次の瞬間には声の主に幽霊を見た場所を尋ねていた。
〈急でごめん。用事が終わったら絶対に戻るから心配しないで〉、メッセージアプリにそれだけ打ち込み送信ボタンを押すと、琴葉は走りだした。浴衣が走ることにおいて邪魔なことに気づき、裾を両手で持ち上げたまま走る。途中で同級生たちの姿を見かけたが、気にすることなく走り続ける。どうしてこんな時に。万が一、この人が多い日に暴れ出してしまっては大変なことになる。それを止めることが出来る人間は自分以外にはいないのだ、琴葉はそんな思いの中で走り続け、目撃情報のあった場所に辿り着く。
「そんな……」
琴葉はそう呟く。そこには二柱の訪根人の姿があった。二柱を同時に相手取るのは琴葉にとって初めてのことだった。訪根人が琴葉の存在に気づき、鋭く睨みつける。
————私がやるしかない、こうなるまで先延ばしにしたのは私なのだ。ほとんど絶望的な気持ちで、琴葉は訪根人と対峙する。




