エイヴァを守る人々
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エイヴァはマデリンに新しい鞭で打たれた後のことをよく覚えていない。記憶が曖昧なのだ。気がついた時には、エイヴァはエヴァンス子爵家ではなく、国の西にあるミルズ領にいた。目が覚めた時、見知らぬ天井にパニックを起こしかけたが、枕元にヘイゼルがいたことでなんとか落ち着きを取り戻した。
「痛みはございませんか?」
「背中?痛いけれど、思ったほど痛くないわ」
「ああ、良かった。すべてジョシュア様のおかげです」
「ジョシュアが助けてくれたの?」
「少しお待ちください。ジョシュア様に報告して参りますから」
一人になるのはいやだったが、ジョシュアが助けてくれたのならば、話はジョシュアから聞いた方が早いかもしれないとエイヴァは思った。
「大丈夫か!」
ノックもせずに部屋に走り込んできたジョシュアは、いつもの騎士服ではなく、貴族の令息らしい格好をしている。違和感を覚えつつも、エイヴァはジョシュアに小さな声でありがとう、と言った。
「それで、ここは?私の部屋ではないわよね?」
「お嬢様には、順番に話さなければいけないことがあります。中には驚くこともあるでしょうし、怒ることもあるでしょう。でも、まずは聞いてくれませんか?」
「分かったわ」
ジョシュアはヘイゼルにも座るように言った。長い話になりそうだった。
私が騎士になろうと思ったのは、自立のためでした。伯爵家の三男ともなれば、スペアとして家に残る必要もないし、領地と王都で別れて仕事を分担するとしても三番目は必要ないからですね。幸い、うちの伯爵家には、母方の親戚が途絶えた時に刷り受けたミルズ男爵という爵位がありましてね。領地は他の人が譲り受けたから、身分のためだけの男爵位でしたが、あれば貴族でいられます。自力で騎士爵をとるつもりはありましたが、保険として私はこのミルズ男爵を継ぐことを選びました。だから、私はジョシュア・ミルズとしてエヴァンス子爵家に入ることができましたが、本当の名前は、ジョシュア・グラハム。グラハム伯爵家の人間です。
15歳の時だったと思います。父に連れられて王都のキャンベル商会に行ったことがありました。私たちの前に来客があって、話が長引いていたんです。しばらくして出てきたのは、前のマーシャル伯爵でした。二人は随分と疲れた顔をしていましたよ。父が日を改めようかとベンジャミンに言ったら、ベンジャミンが「あっ」て言ったんです。グラハム家にお願いしてみませんかって。父も私も何のことか分かりません。とりあえず前のマーシャル伯爵と応接に入って、そこで話を聞くことになりました。
マーシャル伯爵家と言えば、妖精の取り替え子事件の当事者。キャンベル商会も当事者。まさかと思ったのですが、やはり妖精の取り替え子に関する話でした。
前のマーシャル伯爵……お嬢様のお爺様はね、アイザック様と連絡が取れなくなったことを心配していらしたんです。中の様子を知るために人をエヴァンス家にこっそり入れようとしても、マデリンという女は秘密の漏洩を気にしてほとんど人を雇いませんでした。キャンベル商会の支社を作ってベンジャミンを入れようかという話もあがりましたが、そのころベンジャミンはキャンベル氏から店を引き継いだばかりで、動けませんでした。かといって信用できる人が他にいない状況。困った、でもアイザック様が良くない状況にあるなら、お嬢様と一緒にマーシャル伯爵家で引き取りたい、お爺様はそう仰っていたんです。
グラハム伯爵家っていうのはね、まあ伯爵家だから真ん中なんですが、代々国の法律に関わる仕事をしている家でしてね。グラハム家の家訓は、法に忠実であれ、です。なんだよそれ、って思うでしょう?でもね、みんな法律に従って生きています。そして間違ったことや法に反することは絶対に許さない、そういう家なんです。だから、ベンジャミンはグラハム家を頼ったらどうかと思ったようなんですよ。
父は難しい顔をしていました。なにせエヴァンス領は遠いし、子爵となったマデリンを数回夜会で見たことはあったけれども、首を突っ込むだけの悪事があるような人物には見えなかったと言いました。それに、あのエヴァンス書庫の所有者ですからね。睨まれて貴重な本を借りられなくなると困るというのもあったと後で聞きました。
それで、私はアイザック様とお嬢様の話を聞かせてもらいました。興味本位でした。一度、エヴァンス書庫も、そしてお嬢様、あなたのことも見てみたいと思いました。それで、父に頼んで、父にエヴァンス書庫に行く用事を作ってもらい、そこに私もついて行ったんです。お嬢様、あなたは覚えていないでしょうが、8才のあなたが書庫で必死になって資料を読み込みながら、家庭教師から出された課題に取り組んでいる姿を見ましたたよ。痩せて、青白くて、でも目だけが光っていました。必死なんだと分かりました。近くに行って、お嬢様が読んでいたもの、書いていたものを見て、私がどんなに驚いたことか。その内容は、王都の貴族学園で学ぶものでしたから。それと同時に、腕に鞭のようなあざがあるのも見えました。話しかけたかったのですが、お嬢様は課題を終わらせるために必死でした。だから、私はその場から離れ、お嬢様の様子をずっと見ていました。それから、アイザック様のことを知らない使用人がいることを掴みました。父とやはりおかしい、人を入れてしっかり調査した方がいい、そう結論づけて、馬車に乗って王都に帰る時だったと思います。ハーヴェイ夫人の乗馬のレッスンから帰ってきたお嬢様が、目をキラキラさせていたんです。ああ、この子は本当はこんな可愛い顔ができる子なのにと思った時に、何としてもお嬢様を守りたいと思いました。でも時間がないとも思いました。一刻も早くお嬢様のところに行きたくて、必死でした。庭師の募集が偶々入ったという情報を得て、一人、こちらの手の者を入れました。ワイアットですよ。そう、庭師の中では若くて、高い木にもするする登って剪定していた、あいつです。あいつに情報収集させながら、私は必死で剣の腕や戦術を学んで、子爵が納得できるだけの実力を付けました。どうやって私をお嬢様の守りにつかせようか、その相談をベンジャミンや前のマーシャル伯爵としている最中に、ワイアットからアイザック様が亡くなったという知らせが入りました。お嬢様はマーシャル伯爵家を騙していると心を痛めていらっしゃいましたが、前のマーシャル伯爵は、分かっていて敢えて支援金を送り続けていたんです。彼女の悪事の証拠の一つとしてね。
アイザック様が監禁されていることは、ワイアットの調査で分かっていました。ですが部屋は窓がなく、使用人たちも食事を扉の前に運ぶだけで、中を覗いたこともなければ、お世話している人もいないと報告を受けました。唯一、ヘイゼルがお嬢様の成長を報告しに行っていたんです。私たちはそこまで把握していながら、アイザック様がいる部屋までは見つけられませんでした。ワイアットが執事か従僕だったら、邸の中も歩き回れたのにと残念に思っていました。その後のワイアットからの報告で、アイザック様の監禁状況や、葬儀がごく内輪で隠されるように行われていたこと、子爵には既に秘密の恋人がいることも分かりましたた。ベンジャミンは直ぐにエヴァンス領に支社を作り、信用に足る人物としてハーヴェイ夫人を見つけました。そこからです、我々が直接お嬢様を守れる態勢に入ったのは」
そんな前から、お爺様が父と自分を保護しようと動いてくれていたのか。うれしく思う気持ちと、もっと早く動いてくれていればと恨む気持ちの板挟みになり、エイヴァは苦しい表情を浮かべた。
「私がいろいろ調べる中で、子爵には後ろ暗いことがいくつも発見されました。その上、精神的に問題があることも私の目で見て確認しました。これまでのことはずっとレポートしにて報告をしているから、裁判になった時には証拠資料となるでしょう。
さて、話を戻そしましょうか。
先ほど申し上げたように、子爵の悪事に関する証拠はいろいろあるんです。ただ、今彼女の罪を明らかにしてしまった場合、爵位を没収される可能性が高い。そうしたら、お嬢様も平民に落とされることになります。あと2年経って、お嬢様が子爵になってから彼女たちの罪を明らかにした方がいいと私も思っています。ですが、のこり2年、お嬢様の命が心配です。アイザック様のように監禁される可能性があるでしょう。だから、虐待の件だけ王家に報告して保護者変更してもらったらどうかという話が出ているんです。前マーシャル伯爵の所か、ここ……ミルズ男爵家のいずれかで」
「お爺様のところか、ジョシュアの所と言うこと?」
「はい。前マーシャル伯爵のところだと、子爵はきっと証拠隠滅を図るでしょうね。うちなら私の力で守ることになりますが、子爵位を笠に着て強引な手を取られるかもしれません。それに」
「それに?」
「将来の爵位持ち娘が、婚約者でもない者の家に保護されるというのは、その、お嬢様の今後の縁談に差し障るというか、その、私しかいなくなるというか……」
「ジョシュアが将来、お婿さんになってくれるって言うこと?」
「うっ……そういうことです。お嬢様の名誉を守るためには、ここにいらっしゃるならそうするしかない。それでも、子爵の了解を得なければならないので、拒否して他の男をあてがおうとする可能性も高いのですよ」
珍しくジョシュアが赤い顔をしている。間もなく13歳になるエイヴァにとって、頼れる兄であったジョシュアの存在は日に日に大きくなっており、ほのかな気持ちがないわけではない。
「ジョシュア。こういうのはどうでしょう」
エイヴァはジョシュアのほうをまっすぐに向いた。
「私はジョシュアとの護衛騎士契約を破棄していないのだから、どこでも一緒に行けるのでしょう?だから、お爺様のところに、私とジョシュアとヘイゼルの3人で行きましょう。そして、お爺様の力で保護していただきましょう。それなら、お母様も何も言えないはずだわ。それに」
エイヴァはジョシュアの手にそっと触れた。
「保護者がお爺様になれば、私の婚約者の決定権はお爺様のものになる。そうすれば、お母様に勝手なことをされずにすむでしょう。安全な所から、お母様を追放する準備をします。それでいいかしら?」
「子爵を、追放?」
「ええ。私は正当な手続きで15才のその日にエヴァンス子爵を継ぐ。私はずっとエヴァンス家から逃げることしか考えてこなかったけれども、私がエヴァンス家になればいいのよ。そうして、領地と領民をエヴァンス書庫を守ってみせる。そのために、今、エヴァンス領から一時避難して、もっと力を付けるの」
「お嬢様……私はこれまで通り、護衛騎士としてお嬢様と呼ぶべきでしょうか、ミルズ男爵としてエヴァンス嬢と呼ぶべきでしょうか、それとも……」
ジョシュアに触れていたエイヴァの手を、ジョシュアが両手で包むようにした。
「エイヴァ、と呼ぶことを許してくれるだろうか」
それは、特別な関係の人しか呼べない呼び方だ。エイヴァの目をじっと見つめて、ジョシュアが懇願するようにそっと言ったこの言葉を、エイヴァは心の中で反芻した。
「個人的な答えとしては、三番目ね。でも、お爺様の許可が出るまでは、お預けよ」
「では、三人だけの時は、エイヴァと」
「なんだかくすぐったいわね」
ジョシュアの手に力が入った。ヘイゼルが涙をハンカチで拭いている。
「良かった、ちゃんとお嬢様を守ってくれる人にならお任せできます」
なんて言っている。
「前マーシャル伯爵には、ベンジャミンから連絡が行っているはずですが、あなたからも保護を求める手紙を書いてください。その手紙を前マーシャル伯爵が国王陛下に提出したところで、やっと保護者変更の手続きに入れます」
「直ぐに書きたいけれど、用意できる?」
「起きられますか?敢えて字を乱すことも必要ですよ」
「?」
「あの女にむち打たれた怪我のせいで、美味く字が書けないほどだとアピールするのです」「な、なるほど?」
「さあ、善は急げ。ヘイゼル、頼みましたよ。私は私で手紙を書かねば」
ジョシュアは隣の部屋にいるから、と言って部屋を出ていった。
「さあ、お嬢様。ここから本格始動です」
「私の騎士団には、ジョシュアが伝えてくれたかしら?」
「指示は飛んでいます。ご心配なく」
「それで、私はどのくらい眠っていたの?」
「三日です」
三日。これが後手に回らねばいいのだが、とエイヴァは考えたが、今は手紙のことに集中すると決めた。初めてお爺様に宛てて書く手紙の内容は、涙もろいものにしなければ。
読んでくださってありがとうございました。
ジョシュアはロリコンなどという安易な考えはしないでくださいね。
そう言わせるほどに、エイヴァが大人びているとお考えください。
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