エイヴァ11才②
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その日からエイヴァはより一層知識を貪欲に取り込んだ。マデリンの支配下にある家庭教師たちでさえ、もうお教えすることはございませんと言って音を上げたのは3ヶ月後のことだった。
「これからはお前にも商売のことを少しずつ教えましょう。但しお前には一切の決定権はないことを覚えておきなさい。これからは月々の化粧料を渡すから、服やアクセサリーもその中で全てやりくりしなさい」
「ありがとうございます、お母様」
「お前が父親に似て美しい顔立ちだから、頭の中まで同じだったら困ると思って厳しくしてきたけれども、中身は私に似たのね。良かったわ」
渡されることになった化粧料は、1ヶ月につき平民の平均年収とほぼ同じ額だと家令は言った。
「とはいえ、盛装及び正装のドレスなどはかなり高額です。毎月使い切らず、ドレス用の積立などなさるとよいかもしれません」
「いい考えね。ありがとう、参考にさせてもらうわ」
家令がマデリン側なのかエイヴァ側なのか、今のエイヴァにはまだ分からない。そういうことはヘイゼルと今日来る護衛騎士が調べてくれることになるだろう。
ベンジャミンは言葉巧みに、エイヴァには専属の護衛騎士が必要だとマデリンに説いた。
「賢いお嬢様です。それもたった一人の跡取り娘でいらっしゃいます。お嬢様の才を羨み、傷物にしようとする輩がいてもおかしくないでしょう。あるいは既成事実によってお嬢様の婿になろうとする者もいるはずです。これからお嬢様が活動範囲を広げていく上で、一人でもいいからきちんとした護衛騎士を連れていると周囲が知れば、事件を未然に防ぐこともできるはずです」
マデリンは散々渋ったが、エイヴァの化粧料の中から護衛に支払うこと、身元がはっきりしていること、何かあった時にはキャンベル商会が責任を持つことを条件に、エイヴァに護衛騎士を付けることに同意したのだった。
実はエヴァンス家の経営はうまくいっていない。商家にいた経験を買われたアイザックがこの家の婿になったのはマデリンには商才がなかったから……いや、あの高慢な性格が商売に悪影響を与えると心配した先代子爵の先見の明によるものでもあったのだが、マデリンはアイザックをうまく使うどころか失敗を責めて潰してしまった。
収入は減っているのに、贅沢に慣れているマデリンは支出を減らすことができない。最近は再婚相手候補の男からの小遣いの要求額も大きくなってきており、できるだけエイヴァのためにお金を使いたくなかったのだ。
「お嬢様、護衛騎士を連れてキャンベル商会が参りました」
ヘイゼルの目がキラキラしている。
「お嬢様……イケメンですよ」
小声でささやかれたエイヴァは小首を傾げた。
「イケメン?」
「格好いい、ということです」
「そう」
「ご興味ありませんか?」
「あまり、ね。お父様のこともあるから、顔で人を評価するようなことをしたくないの」
「……失礼いたしました」
「いいのよ。ヘイゼルだって結婚したくなったら結婚してね」
「お嬢様の傍を離れません」
「もう」
母からの呼び出しも来たようだ。エイヴァはヘイゼルを連れて応接に向かった。
「エイヴァです」
「入りなさい」
エイヴァが応接に入ると、ベンジャミンがにこやかに出迎えてくれた。
「お嬢様、ご機嫌麗しく」
「ええ、ありがとう」
「本日は、お嬢様専属の護衛騎士を連れて参りました。ジョシュア・ミルズと言いまして、王都近郊にあるミルズ男爵家に連なる騎士でございます。まだ若いのですが、実力は折り紙付きでございます」
「ミルズ……あまり聞いたことのない家ねえ。でも、顔はいいのね」
マデリンは自分の護衛にしたいと思っているようだ。エイヴァを雇い主にしておいて後でエイヴァから奪えば、自分の懐は痛まない。何なら昼間はエイヴァを守らせて、夜は自分が飼えばいい、マデリンはそんなことさえ考えている。
だが、ジョシュアと呼ばれた騎士は、低く、そしてはっきり通る声で答えた。
「目立つ家ではございませんからご存じないかもしれませんね。顔は好みがありますので何とも」
「お前は何歳なの?」
「18才になりました」
「お前にエイヴァを任せて大丈夫なのね?」
「必ずお役に立って見せます。一つだけ確認させていただきたいのですが」
「何かしら?」
「私の雇用主はお嬢様だと伺っています。給金もお嬢様からいただくことになるということですが、それで間違いないでしょうか?」
「ええ、そうよ」
「かしこまりました。私が何より優先すべきはお嬢様ということでいいわけですね」
「当然よ」
ジョシュアの口角がほんの少し上がったような気がして、エイヴァははっとジョシュアの顔を見た。だが次の瞬間には元の表情に戻っていたため、エイヴァは自分の見間違いだろうかと何も言えなくなってしまった。
「では、契約書にお嬢様のサインを」
エイヴァは今一度契約書をよく読んだ。そして、これは母には見せられない代物だと気づくと、急いで3枚の書類にサインをしてベンジャミンに渡した。
「それでは、一部は私どもが、一部ばジョシュアが、もう一部はお嬢様が保管するようにいたしましょう」
それぞれが一部ずつ手に取ると、マデリンが言った。
「私はキャンベル商会と少し話がある。お前は護衛騎士と一緒に出ていろいろ教えてやりなさい」
「分かりました。ジョシュア、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
応接を出ると、まずはジョシュアの荷物を置きに行くことにした。エヴァンス子爵家の騎士は、本館の1階の隅に詰め所と私室が用意されている。ジョシュアの私室もそこに割り当てられている。ジョシュアの部屋を出ると、部屋を案内しながら2階へ進む。2階はマデリンと自分の部屋があるが、建物の両端に位置しており、階段は真ん中なので両者ともそのつもりがなければ互いの私室に入ることはない。
「3階がありますね」
「そこは……」
口ごもったエイヴァの代わりにヘイゼルが小さな声で言った。
「お父上のアイザック様が監禁されていた部屋でございます」
「なっ、いや、失礼しました。お嬢様、大丈夫ですか?傷をえぐるようなことをしてしまい、申し訳ない」
「いえ、見ていただけますか?」
「お嬢様のご命令ならば」
あれ以来、エイヴァもあの部屋に入っていない。鍵がかかっている可能性もあったが、取り合えずエイヴァは部屋の前に進んだ。そして、そっとその扉を開いた。
部屋の中は、検分で少し移動した所はあったが、そのままと言っていい状態だった。
お父様はあのソファの前に座り込んで、ソファに片肘を突いて、もう片方の手には酒瓶を持っていた。
いないはずの父の姿が、ぼーっと浮かんだように見えた。その足は鎖で繋がれている。
「ここが……」
「はい。父が監禁されていた部屋です。まだ酒瓶も転がったままだなんて、誰も片付けようとしなかったのね。それとも、できなかったのかしら」
「お嬢様……」
ヘイゼルの苦しげな声が聞こえる。
「お父様……助けられなくてごめんなさい」
ぼーっと浮かんでいるように見える父が、かすかに笑ったように見えた。
vいいんだよ、エイヴァのせいじゃない、と言ってくれているようにも見えた。
涙が流れ星のようにエイヴァの頬を伝って落ちた。震えるエイヴァの肩に、そっと大きな手が置かれた。
「お嬢様。私は縁あってお嬢様の護衛となりました。私の主はあなた様であり、ご当主様ではない。つまり、ご当主様の意に反することでも、お嬢様のご命令ならば従えるのですよ。お嬢様をお父上と同じような目には遭わせません。必ず、自由にして差し上げます」
「ええ。いろいろお願いすることになると思うけれども、よろしくお願いしますね」
ジョシュアはこの時見たエイヴァの顔を一生忘れないと誓った。11才の子にさせていい顔ではない。二度とこんな顔をさせない。エイヴァが笑えたその時が、ジョシュアにとって作戦の成功の瞬間となるのだ。
★★★★★★★★★★
マデリンは自分が誰からも認められる存在であると自負している。そしてエヴァンス家が行う輸入品の売買という仕事に熱心に取り組む商会長でもあることに誇りを持っている。一人娘のために一流の家庭教師を付け、娘も自分の言うことをよく聞き、誰もが自分を尊敬していると信じて止まない。どこからそれだけの自己肯定感の高さが来るのかと周りがドン引きしていることすら気づかない。
その上、最近隣国で子爵位を持ちながら各国を回って商売をしているという人物と知り合った。ノーラン・パーカーというその人物は、妻を既に亡くし、子もいないため、領地のことは信頼できる人物に任せて自分は商売をしながら各国を渡り歩いているのだという。
商売ができる男ならばマデリンの苦手な分野を補ってくれるに違いない。
アイザックほどではないが顔がいいこの男を、マデリンは殊の外気に入っている。
「私はこれまで多くの国に渡り、数え切れないほどの女性と接してきたが、あなたほど美しい人はいない。あなたが望んでくれるのならば、私は自国の爵位を他人に譲ってあなたの傍にいたいが、どうだろうか」
「それって、私と結婚したいってことかしら?」
「お望みのままに。ただ、そうなるためには少し問題があるのですよ」
「あら、何かしら?」
「自国では指定した者に爵位を渡す際、後のことはよろしく、という意味を込めて爵位に見合った財産を渡すことになっていましてね。爵位を売ることもできるのですが、その場合誰に買われるか分からない状態で売らねばなりません。家名に恥じぬ人を選んで渡すためには、今、私が持つ財産では足りないのです」
「不思議なルールね。でも、親から子へ爵位が譲り渡される時も邸や土地や財産をまとめて継承するのだから、ある意味同じなのかしら」
「仰るとおりです。ああ、マイ・レイディ。あなたとの未来のために、是非私を助けていただきたい」
「ふふふ、どうしようかしらね。全てはあなた次第という所かしら」
既に男女の関係にある2人の密やかな話に聞き耳を立てる者はいないはずだ。マデリンは娘よりも自分の欲望を優先しようとしているが、娘を優先しなければならないなどマデリンには理解できない。
「私が幸せであってこそ、エヴァンス子爵家が幸せなのよ。私の幸せは、誰にも邪魔させないわ」
マデリンの罪が、一つ増えた。
★★★★★★★★★★
ハーヴェイ夫人の助言により、ヘイゼルも乗馬のレッスンに参加するようになった。
「逃げなければならなくなった時、足が付きやすい馬車ではなく、馬の方がいいわ。それも、乗り慣れないヘイゼルをお嬢様が支えて乗るよりも、ヘイゼル自身も乗れれば馬の負担が減って、より早く、より遠くに逃げられるから」
ヘイゼルは最初恐怖と筋肉痛で次のレッスンは嫌だ、これではお嬢様のお世話ができないとごねたが、「一緒ににげるんでしょう?」というエイヴァの言葉にぐっと自分の言葉を飲み込んだようだ。それ以来エイヴァを見習ってよく努力し、3ヶ月ほどで一人で乗れるようになった。
「馬は厩に何頭もいるのです。ジョシュアと3人なら、馬に多少の荷物も載せられるでしょう」
「持ち出すのは最低限のものだけにしましょう。後は資産を分散して、エヴァンス領以外の銀行に口座を開設しておくのも必要ですね。エヴァンス領の銀行では、ご当主様がお嬢様の口座にいくらあるか調べようと思えば調べられてしまうでしょう」
「ジョシュア、あなたすごいわ。他領の銀行で口座を開設するための手続きって、私がいなくてもできるのかしら?」
「お嬢様の個人資産となると難しいでしょうが、お嬢様が作った商会名義ならば可能でしょう」
「では、商会を作りましょう。お母様からは資産を増やすことも仕事だと言われているから、大丈夫でしょう」
「分かりました。では、ベンジャミンを使って手配するようにしましょう」
ジョシュアはキャンベル商会に仲介された護衛であるため、定期的に面談をして問題がないか確認することを最初にマデリンに伝えてある。月に1回、ジョシュアが大手を振ってキャンベル商会に行くことができるのはそのためだ。そして、ジョシュアはエイヴァを守るために必要な様々な情報を、ベンジャミンに流しているのだ。
「それにしても、エヴァンス子爵家というか、あのマデリンという女は本当にクズだな。得体の知れない男を引っかけているのもあり得ないが、そいつのことを何にも調べていないで近づけるだなんて、貴族としてあり得ないだろう。相手は各国で指名手配されている詐欺師だぞ。頭がおかしいんじゃないのか?」
「そうでしょうねえ。お嬢様にはまだ伝わっていませんね?」
「聞かせられないだろう?」
「そうですねえ。でも、あなたの本性もなかなかいい線行っていると思いますよ」
「これはエイヴァ嬢には秘密で頼むよ」
「私としては、お嬢様を守れさえすればいいのです。アイザックの二の舞にだけは絶対にしない、そう決めていますから」
「貴族の生き方を知っているだけに辛辣だな、ベンジャミンは」
「私の人生は、アイザックの犠牲によって成り立っている、そう感じられて、生きることが苦しいと感じることがあるんです。エイヴァお嬢様の強さを見ていたら、そんな自分に鞭を打ちたくなりますよ」
「私も私で目的がある。エイヴァ嬢を守ることでその目的も達成できる。まあ、エイヴァ嬢の15才を、幸せが始まる日にしてやればいいんだ」
「ええ、そうですね」
「さて、では今日は戻ろうか。最近またお嬢様の周りで変な動きをしている奴がいるんだよ。エイヴァ嬢が気づかないくらいのささやかな物を盗んでいくんだ」
「気をつけてください。呪いに使うつもりかも知れませんよ」
「分かった。命だけでなく、物にも目を光らせておくことにするよ」
「私がいうことではありませんが……エイヴァお嬢様をどうか守ってください」
「そのために俺は騎士として体も技術も磨いてきたんだ。わがままを聞いてくださった父上の顔に泥を塗らないようにすると誓うよ」
立ち上がって黒毛の馬に乗ったジョシュアは、見送りに出たベンジャミンを傍に呼んでいった。
「あそこにいるのは、一度エイヴァ嬢に近づこうとした奴だ。ベンジャミンも覚えておいてほしい」
「あれですね。調べさせましょう」
ベンジャミンは三歩下がると、大店の商会長らしい態度に変えた。
「ではジョシュア、今月もしっかりとお役目を果たすように」
「承知しました、商会長」
見送るベンジャミンは、ジョシュアの本当の名と姿を知っている。前マーシャル伯爵家であるセオドアにも了解は取り付けてある。
「エイヴァを守る会」は、どうやらエイヴァが思っているよりも広く、深く、エイヴァを守っているようだ。
読んでくださってありがとうございました。
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