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エイヴァ11才①

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 父アイザックの葬儀が終わると、母マデリンはエイヴァを将来の当主とするための教育を本格的に始めさせた。これまでも友人関係を断たせるほどに家に閉じ込めて勉強をさせてきたのに、更に高度な内容を追加したのだ。そしてそれが、マデリン自身が受けてきた以上の教育であることを、マデリンは承知していた。


「このエヴァンス子爵家の力を高め、その力を王家にまで認めさせて陞爵し、伯爵家になることこそ、お前の役割なのです。そのためには、私が受けた以上の教育を受ける必要があります。お前は私以上に素晴らしい教育を受けられるのだから、私にしっかりと感謝するように」

「はい、お母様」


 あの葬儀以来、エイヴァは表情を消した。複数の家庭教師から出される課題は多く、夜は2時間眠れればいいという状態になった。目の下に隈を作っていけば体調管理がなっていないとマデリンに責められ、平手打ちされる。


「平手打ちをする私も痛いのよ。これはお前を愛しているからこそすることなの」

「はい、申し訳ありませんでした、お母様」


 暴力を振るわれても、エイヴァは表情を崩さなかった。部屋の外では表情を変えないと決めたのだ。


 エイヴァはいつしかいつも冷たい表情の娘だと言われるようになった。エイヴァのことを心配していた使用人たちも、いつしか触らぬ神にたたりなしといった様子でエイヴァから少しずつ離れていった。


 だがエイヴァは平気だ。ヘイゼルがいてくれれば、エイヴァは本当の気持ちも、野心も、マデリンへの恨みも、全て共有できた。ヘイゼルは仲間であり、姉のような存在だった。


 乗馬のレッスンから戻ってきたある日、使用人がこわごわといった様子でエイヴァの元にやって来た。


「新しく出入りの業者となった者が来ているので、ご挨拶をとご当主様がお呼びです」

「分かりました。着替え次第参りますと伝えなさい」

「承知致しました」


 走って応接に向かう使用人の様子に、使用人としての教育がなっていない、とエイヴァはため息をついた。ヘイゼルに手伝ってもらって乗馬服から来客対応用のドレスに着替えると、髪を整えて応接室に入った。


「キャンベル商会のベンジャミンと申します。この度は子爵様のお許しを得て出入りの商人の末席に加えていただきました。どうぞよろしくお願いいたします」

「長女のエイヴァです。どうぞよろしく。キャンベル商会ではどんなものを扱っていますの?」

「主力商品は木工細工ですね。工芸品レベルのものを取り扱っております。その関係で、樹木や苗なども少々。あまり他の商会が扱わないものですので、様々な貴族家にお邪魔しておりますよ」

「他には?」

「東の絹も少々。何でも扱いますがね」

「そうですの。東の絹と言えば、この辺りの絹よりも質がいいと聞いたことがあります」

「よくご存じで。元々東から絹を作る技術が入っていたのですが、我が国ではまだ完全に再現できないのです。その原因を探って、東と同じレベルにしたいと考えておりますが、そのために必要なものがなかなか……」

「お母様。キャンベル商会の絹の事業に出資なさってはいかがでしょうか。成功すれば東から運ぶ手数料を抑えてより安く販売できるでしょう。同等、いえそれ以上によい絹を供給できれば、他国だけでなく、東に輸出できるようになる可能性があると思いますわ」

「おだまり」


 熱く語るエイヴァを、マデリンの声が冷たい氷の檻のように黙らせた。


「キャンベル商会。ある程度計画が進んだら出資を考えますが、まだ雲を掴むような段階ではエヴァンス家は出資できません。娘が出過ぎたことを言いましたね」

「いえ、話に興味を持っていただいただけで十分でございます」

「エイヴァ、下がりなさい。これから商談に入ります。お前にはまだ早かったようだわ」

「大変失礼いたしました」


 マデリンを怒らせてしまった。客人が帰った後でまた折檻されるだろうと思うと、エイヴァの気も滅入る。だが、心の内を隠して冷たい表情のまま応接室を出た。


「エイヴァお嬢様」

「ヘイゼル。いいのよ」

「ですが……」

「私はまだ雪の下で眠る花の種なの。春になれば必ず咲いてみせるわ……どんな荒れ地であっても」


 ヘイゼルがどんな顔でエイヴァを見ていたか、エイヴァには分からない。11才の子どもにそんなことを言わせているこの家は異常だということを、エイヴァは分かっている。自分がどれほど理不尽な目に遭っているか理解している。今はただ、マデリンという蜘蛛の巣の中で生きながら死んでいるような目にあわないために……父のようにならないように、身動きせずにじっと脱出の機会を待つしかない。


 部屋に戻ったエイヴァは待たせていた家庭教師の話を聞きながら、そっとノートの端に書いた。


「自由」と。


 数日後、乗馬の教師ハーヴェイ夫人から今日は遠乗りに出ると言われたエイヴァは、首を傾げた。


「ご当主様の許可は取ってありますよ。今日は実際に視察をする時のように、周りを見ながら行きます。遠出と言っても、そこの森の所までです。ご安心ください」


 乗馬だけでなく、全ての家庭教師は女性だ。マデリン曰く、エイヴァに間違いがあってはならないからということだが、駒として必要なエイヴァが恋愛結婚したいと言い出さないようにしているだけだろうとエイヴァは考えいていた。もっとも、最近の母は妙に化粧が濃い。いそいそと出かけていくことも増えた。


 お父様が亡くなったから、新しい夫を持とうとしているのかしら。でも、再婚すればすぐにマーシャル伯爵家にも知られて、支援金をいただけなくなるのではないのかしら? いや、もっと大金を用立ててくれるような人を見つけたのかしら?


「エイヴァお嬢様、考え事ですか?」

「あ、ごめんなさい」

「最近エイヴァお嬢様から表情が抜け落ちたようで、心配していたのです。何かお悩みがあるようですね」

「いえ……」

「わたくしに何も言わなくていいのです。ですが、お嬢様には協力者が必要なのではありませんか?」

「協力者?」

「はい。お屋敷の外で動く駒です。必要ありませんか?」

「でも、お母様に知られたら……」

「ええ、大変なことになりますね。ですが、いつまでもヘイゼルだけでは先に進めません」

「ミセス・ハーヴェイ。どうして協力してくださるのですか?」

「エイヴァお嬢様は、お父様がどういう方がご存じですか?」


 質問に質問を返されて怪訝な顔をしたエイヴァに、乗馬教師ミセス・ハーヴェイはまっすぐに前を見ながら言った。


「私がハーヴェイ家に嫁いですぐに、あなたのお父様も婿入りされました。お父様はまだ16才でしたよ」

「16才で婿入り? 早いのでは?」

「ええ。お父様には深刻な事情があったのです」


 聞いていない。もしかしたらヘイゼルさえ知らなかったことなのかもしれない。


「お父様は、『妖精の取り替え子』として、マーシャル伯爵家の子でありながら平民の商家の子として15才まで育ったのです」

「妖精の、取り替え子、ですか」

「はい。平民から急に貴族になることになって、どんなに頑張っても追いつけなくて、社交の場では孤立してしまって……疲れてしまったお父様を救うために、マーシャル伯爵は田舎で、かつ商売の知識を生かせる婿入り先としてエヴァンス子爵家をお選びになりました。もちろん、お父様のご意向を聞かれることはなかったそうです……聞かれても分からなかったから、とお父様は笑っていらしたわ」

「静養を兼ねて婿入りしたということですか?」

「ええ。マーシャル伯爵はお母様のことをよく調べなかったんでしょう。あるいは、エヴァンス書庫のイメージだけで選んでしまったのかもしれませんわ。いずれにしても、お父様にとって静養できるような環境ではありませんでした。必死でお母様の役に立とうとして、それが別のトラブルを誘発する……そんなことが繰り返されて、次第にお母様はお父様を邪険に扱うようになりました。お父様の心はどんどん蝕まれていったのです。

 あるパーティーで絡まれていた私を、お父様が助けてくださいました。ですが、その時にお父様は相手からワインを掛けられてしまったのです。無様だ、エヴァンス子爵家の名に泥を塗った、お母様はそれはもうひどく罵って、お父様を引っ張って帰ってしまわれました。

 それ以来、お父様の姿を一度もお見かけででませんでした。手紙を送っても返事もありませんでした。大丈夫かしらって、みんなで心配していたんです。それで、エイヴァ様の乗馬の教師を探していると聞いて、手を挙げたんです。何か分かるんじゃないかって」

「確かに、ハーヴェイ男爵家は競馬用の馬を育てていらっしゃいますものね。それならお母様も許可は出しやすかったでしょう。でも、何も分からなかったんですよね」

「そうです。お嬢様さえお父様のことを知らなかった。いえ、いらっしゃらないと聞いておいででしたよね。ですが先日葬儀の時にお父様のお顔を見て、何が起きていたのかやっと分かりました。私は、お礼を言うことさえできませんでした。あんな優しい方が、あのような方に飼い殺しにされて……もうお父様をお救いすることはできません。ですが、エイヴァお嬢様、あなたならまだ間に合います」


 ハーヴェイ夫人はまっすぐにエイヴァを見た。


「お父様にしていただいた親切を、あなたにお返しします。私が今できることは、今日お嬢様をここまで連れだし、そしてあの人に会わせることです」

「あの人?」

「森の入り口に、見たことのある人がいませんか?」


 エイヴァは森の入り口の方を見た。誰かがいる。


「キャンベル商会の、ベンジャミンです」

「え? どうして……?」

「彼は、お父様と取り替えられていた子……平民の生まれなのにマーシャル伯爵家で育った方なのですよ」

「お父様のことを、知っているってこと?」

「ええ、私たちよりは」


 先日応接間で対応した時、どうしてこの人はこんなに優しい目をしているのだろうかと不思議だった。優しそうだったから、つい、投資なんて話をしてマデリンにひどく叱られた。あの後受けた鞭の傷は、まだ背中に残ってお風呂に入ればズキズキと痛む。


「お連れしましたよ」

「ありがとうございます、ハーヴェイ夫人。ミス・エヴァンス、驚かれたでしょうが、どうかお許しください」

「私は15分ほどこの辺りで見張りをします。今日取れる時間はそれが精一杯。いいですね」

「承知しました」


 ハーヴェイ夫人が、2人の姿は見えるが話し声は聞こえない位置まで離れていった。


「こんな形でお呼び立てして申し訳ありません」

「単刀直入にお伺いします。どうして私を助けようとしてくださるんですか?」


 ベンジャミンはまっすぐに切り込んできたエイヴァに一瞬驚いたような表情をしたが、直ぐに顔をくしゃっと崩した。


「私とアイザック……お父様の関係はご存じですか?」

「先ほどミセス・ハーヴェイから。妖精の取り替え子だったというのは本当なのですか?」

「はい。エイヴァ様はマーシャル伯爵家と直接連絡を取っていらっしゃらないでしょう?それはご当主様が妨害しているからなのですが、その理由の一つが、お父様を悪者にしておくために正しい情報をお嬢様に与えないようにするためなのです」

「……お母様らしいわ」

「私はアイザックと本来の家に戻るよう国王陛下に命じられた時、貴族になりたくない、逃げたいと言ったアイザックを助けるからと言ってマーシャル伯爵家に送り出しました。

 ですが、助けを求める手紙はかつて私の専属執事であり、アイザックの専属執事になったサミュエルによって握りつぶされ、エヴァンス子爵家に来てからはご当主様に握りつぶされて、私が助けることができませんでした。

 アイザックと過ごした時間は本当に短いものです。ですが、実の兄弟である兄よりもずっとずっと心が繋がっていました。キャンベルの父は、きっと私たちは魂の片割れだったのだろうと言いました。アイザックがいなくなって、私の心には埋められない虚ができてしまいました。アイザックのためにできなかったことを、お嬢様のためにしたい。アイザックは解放されたがっていたはずです」

「どうしてそれを……」

「アイザックは貴族社会から自由になりたいと言っていましたから」


 幼い頃、誰かに可愛がられていたという記憶はある。繋がれた父を見た時、不審者だと思いながらも何故か危険ではないと直感的に感じていたのは、きっとそれが父だと記憶の底の幼い自分が教えてくれていたのだろう。マデリンからエイヴァを守ろうとして、アイザックは必死だったはずだとベンジャミンは言った。


「アイザックにとって、家族はマデリン様ではなく、エイヴァ様だけだったはずです」


 すっと眦から涙が流れた。


「私は、15才になったら自由になろうと計画しています」


 ベンジャミンははっとした様子でエイヴァを見た。


「ヘイゼルと一緒にエヴァンス子爵家を出て、母の手の届かないところに逃げようと思っています。それまでに、私は力をつけねばなりません。人脈も必要です。ある程度生活していくための資金も必要です。ベンジャミン。外に出られない私のかわりに、動いてくれますか?」

「喜んでお手伝いいたします。アイザックの分も、心を込めて」

「お母様に知られても、私はあなたを助けることができないわ。それでもいいのね?」

「もちろんです。いえ、私に何かあれば、お嬢様のお爺様である前マーシャル伯爵家が黙っていません。エヴァンス子爵家のような田舎の下位貴族など、ひねり潰せますよ」

「お母様は、お父様を醜いアヒルの子だと言っていました。私に醜いアヒルの子の本を読ませないために蔵書を隠し、読ませた子の家を平民に追い落とすような人ですよ?」

「お嬢様は王都の上位貴族をご存じないから、ご当主様を恐れるのです。もっと怖いですよ。笑いながら、自分の手を何一つ汚さずに、同じように狡猾な貴族を追い詰めていくんです。それが政治なんです。きれいな話ではありませんが」

「これから同連絡を取れば?」

「マーシャル伯爵家からの手の者だと分からない形で、お嬢様に護衛騎士を付けてもらうようにします。その男を使いましょう。うちの商会は人材派遣もしていますから、その辺りはうまく持っていきますよ」

「ではお願い」

「はい。それから、お嬢様にこれを」


 手渡されたのは、小さな種だった。

「これは?」

「ガーデニアの種です。薬としても使えるのですが、その花の香りは大変に素晴らしいものです。先日お会いした時、お嬢様を見ていたら思い浮かんだのがガーデニアの花とその香りでした。種から育てると、花が咲くまでに3年から4年かかると言われています。4年後あの花が咲いたら、お嬢様が独立する。それまでの楽しみとして育てていただけませんか?」

「花が咲いた時に自由を手にするだけのものを持つように、ということね」

「はい。私は全力でお嬢様をお守りします。今のままでは私は死んだ後アイザックにあわせる顔がありません。私を助けると思って、協力してくださいませんか?」

「協力をお願いするのかこちらですのに」

「時間ですわ」


 ハーヴェイ夫人が近づいてきてそう言った。


「お嬢様、ヘイゼル以外にも協力者はいます。ですが、動きが大きくなるとご当主様に気づかれる危険があります。どうか、自重してください」

「分かったわ。ベンジャミン……ガーデニアの種を、ありがとう」

「またお会いできるのを楽しみにしております」


 エイヴァはガーデニアの種をそっとポケットにしまった。


「行きましょう、ハーヴェイ夫人」


 家に帰ったエイヴァは、直ぐに庭と植木鉢に分散してガーデニアの種を植えた。マデリンに見つかった時に全てを奪われないように、リスクを分散したのだ。


「ヘイゼル、これから忙しくなるわね」

「はい、エイヴァお嬢様」


 エイヴァの顔は、部屋の外では相変わらず無表情だ。だがヘイゼルと二人きりの時は、11才とは思えないほど強い光を目に宿している。


 絶対に自由を手に入れる。母の言いなりになんてならないと決めたのだから。

読んでくださってありがとうございました。

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