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ヘイゼルの決意

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 エイヴァはアイザックから引き離されて1ヶ月ほど不安定になった。まだ3才なのだ。夜泣きがひどくなり、食が細くなり、表情が消えていった。エイヴァがお腹を下し続けてトイレから出られなくなったと聞いたマデリンは、エイヴァの侍女としてヘイゼルを付けた。


「汚い子よ。お前の主にふさわしいわね」


 ヘイゼルは本当はエヴァンス子爵家の次女だった。マデリンの母であった子爵夫人亡き後、エヴァンス子爵が手を付けた侍女が産んだ子で、子爵はヘイゼルを娘として戸籍を用意するつもりだった。


 だが、それを知ったマデリンが激怒した。マデリンは幼少時から頭が良く美しく勝ち気な娘だった。10才のマデリンには、ヘイゼルは不義の子としか思えなかったのだ。


「だって、お父様とあの女は結婚していないじゃない。愛人の子を妻の子と同等に扱うなんて、不潔だわ!」


 マデリンは絶対に譲らなかった。仕方なく子爵はヘイゼルをエヴァンス子爵家の籍に入れることを諦めた。侍女を妻にしようとしたこともマデリンに嗅ぎつけられ、書類を破棄されてもうお手上げだったのだ。侍女は子爵のことをこんな頼りにならない人だったとは、と嘆きながらヘイゼルと共に実家の男爵家に帰った。


 だがヘイゼルは4才の時に祖父母と母を失った。火事だった。不審な点があるからと調べた調査官は、放火を疑った。だが、放火犯を見つける手段がなかった。もしこの一家が恨みを買ったとするならばそれはマデリンであり、13才のマデリンが放火を指示するとは思えなかったからだ。


 保護する者を失ったヘイゼルはエヴァンス子爵家に引き取られた。そして、マデリン付きの侍女とするために養育された。料理長夫妻の元で暮らしていたヘイゼルがマデリン付きの侍女として働き始めたのは7才。


 田舎であることと苛烈なマデリンの性格が災いしてマデリンに縁談は一つも持ち込まれなかった。マデリンはその不満をヘイゼルをいたぶることで発散させた。ヘイゼルは常に体のどこかに傷があるようになった。


 料理長夫妻がそのことを子爵に訴えたところ、料理長夫妻は紹介状もなく追い出されてしまった。守ってやれなくてごめん、そう言って出ていった2人の顔を、ヘイゼルは今でも覚えている。


 それ以来ヘイゼルがどんな理不尽な目に遭っても、使用人たちが助けてくれることはなかった。ヘイゼルは料理人夫妻から自分の生い立ちを聞かされていた。どうしようもない人生だと思ったが、エヴァンス子爵家しか居場所がなかったヘイゼルは、ただ理不尽に虐げられ続けた。


 父の子爵が突然亡くなった後は、更にひどく扱われるようになった。父の死にもおそらくマデリンが噛んでいる。マデリンにとって邪魔なものは消されると痛感したヘイゼルは、黙ることしかできなかった。


 マデリンが23才の時に、16才になったばかりの美少年を連れてエヴァンス子爵家に帰ってきた。アイザックだった。


 結婚したとはいえ、2人の力関係は最初から歪だった。アイザックもヘイゼルを助けることはできなかった。マデリンのいない所で気に掛けてくれ、食事を抜かれた時もパンを2つ持って来てくれたことがあった。どうしてこんなに親切にしてくれるのかと聞くと、生まれは伯爵家だが平民として育ったから、貴族の理不尽が許せないんだと悲しそうに笑っていた。


 エイヴァが生まれてから、その歪な関係は更に歪になっていった。エイヴァを育ててきたアイザックが監禁されてもうこの家も終わりだと思った時に、マデリンからエイヴァの侍女を仰せつかった。他の侍女たちの手ではもうどうにもならないところまで、エイヴァの体と心は疲弊していた。3才の女の子が、誰よりも信じていた父親と引き離されたのだ。涙を浮かべたままパパ、とアイザックを呼びながら眠るエイヴァの隣で、17才になったヘイゼルは覚悟を決めた。


 自分が母親代わりになる、と。


 それ以来、ヘイゼルは常にエイヴァに寄り添った。エイヴァに手を挙げようとするマデリンに、代わりに殴られたことなど数え切れない。だが、小さなエイヴァを、邸の中で唯一気遣ってくれたアイザックの愛娘を、何があっても守り通した。


 だからこそ、ヘイゼルはアイザックの最後の姿をエイヴァが見てしまった、そのことがエイヴァにどのような影響をもたらすのか不安だった。3才だったエイヴァは11才になった。ヘイゼルは時々、深夜にそっとアイザックにエイヴァの成長を報告していた。アイザックが8年間も監禁生活に耐えたのは、いつかはエイヴァに役に立ちたいと思っていたからだった。


「ヘイゼル、いつもありがとう。エイヴァの姿を見られないのは辛いが、あの子が頑張っているのはよく分かる。だけど、心配なんだ。マデリンはきっとエイヴァに相当無理させているだろう? 俺はあの子が苦しむのを見たくない。あの子を自由にしてやりたい。俺のようにはさせたくない」

「アイザック様……」

「昔、貴族女性には、嫁いでそのまま社交界に顔を出さなくなる人がいると聞いたことがあった。だいたい夫が妻を監禁していたんだ。でも、俺みたいに本当に鎖で繋がれるようなのは、さすがに少ないだろうな」


 美しかった顔に、初めは無精ひげだったものが暴れたように張り付いている。その青い瞳も濁って、本当に見えているのだろうかと思うこともある。ヘイゼルはどういう事情でマデリンとアイザックの間の縁談が結ばれたのかを知らない。ただ、アイザックのことを気の毒だと思うことしかできなかった。


「本当は身の回りのお世話をしてさしあげたいのですが、整っている所を見つかったら……」

「そうだね。気に掛けてくれるだけで十分だ。それに、ヘイゼルはエイヴァの様子を知らせてくれる。それが何よりうれしい」


 ヘイゼルは他の使用人やマデリンが見ても気づかない程度に世話を続けていた。アイザックの肌の色が黄色くなってきた時、本当は医者に診せなければならないと分かっていたが、どうにもできなかった。もう余り長くないと悟った頃、ふらふらになったエイヴァがアイザックの部屋に迷い込んだ。部屋に戻ったはずなのに姿が見えないエイヴァを探したヘイゼルは、まさかと思った。エイヴァが倒れ、ソファにもたれかかるようにアイザックがいた。目の光は失われていたが、その両目には涙がまだあった。


「アイザック様?」


 そっとその首に手を当てて脈を取ったが、もう拍動は感じられなかった。


 そうか、最後の瞬間を親子2人で過ごせたのか、とヘイゼルは思った。


 だが、ここにエイヴァがいるのを見つかるわけにはいかない。ヘイゼルは年の割に小さなエイヴァを背負うとエイヴァの部屋に戻ってエイヴァを寝かせた。それから、家令の所に行って、3階で物音がしたような気がすると言って後は家令たちに任せた。


 家令が確認したのだろう、このまま処理すると鎖の痕を教会で咎められる可能性があると言って、騎士団を入れた。マデリンは最後まで渋ったが、騎士たちが来てからはアイザックが素行不良であったこと、家族や使用人や領民に迷惑を掛けないために自宅に監禁していたこと、食事は必ず届けていたし風呂もトイレも使える状態だったこと、望むとおりに酒も飲ませていたことを説明した。


 酒の瓶が大量に転がっていたこと、掃除が余りされずに非衛生的な環境であったことに騎士たちは違和感を持ったようだった。アイザックがが素行不良だったと言われてもそんな噂を聞いたこともなかったが、既に子爵当主となっているマデリンに強く言われれば、騎士たちは事件性なしとするほかなかった。


 アイザックの葬儀は密やかに行われた。葬儀の日の夜、ヘイゼルはマデリンに呼び出された。


「アイザックが死んだことは、マーシャル伯爵家には伝えない」


 怪訝な顔をしたヘイゼルに、マデリンは当然のこと、という顔で言い放った。


「あれは顔だけの不良品だったのよ。その不良品を世話してあげたの。それに、アイザックの生活費としてマーシャルの家から毎月いただいているお金があってね。アイザックが死んだと分かったら、そのお金がなくなってしまうでしょう?」

「アイザック様のためのお金を、横領していたというんですか?」

「横領? とんでもない、アイザックの面倒を見るために使っていたわ。ヘイゼル。お前はエイヴァをしっかり見張りなさい。決してマーシャル伯爵家と連絡を取らせてはいけないわ。それが分かった時には」


 マデリンは嫌な笑いを浮かべて言った。


「あの部屋にお前が繋がれることになるだけよ」


 ヘイゼルが傍にいなかったら、マデリンがエイヴァに何をするか分からない。実の娘だというのに、マデリンはエイヴァを駒としか見ていない。ヘイゼルはかしこまりました、と言って下がった。


 エイヴァの部屋に行くと、喪服を着たままのエイヴァがヘイゼルを待っていた。


「お母様は、良くないことを考えていらっしゃるのね」


 ヘイゼルの顔を見た瞬間に、エイヴァが言った。洞察力のある子だ、とヘイゼルはいつも感心する。


「本来であれば1年喪服を着るべきですが、マデリン様は明日から平服に戻すそうですので、エイヴァお嬢様もその通りになさってください」

「分かったわ」


 エイヴァが何か言おうとしているように感じて、ヘイゼルはエイヴァの手を取った。


「どうかなさいましたか?」

「ヘイゼル。私、もう少しだけ頑張ってみる。頑張って、力を付けて、ここから逃げるの」


 11才の少女の言葉に、ヘイゼルの手に思わず力が入った。


「お母様はお父様のことを醜いアヒルの子だと仰ったわ。仲間のところに戻っていじめられなくなって、幸せになれるはずのお父様をあんな形で死なせたのはお母様なのだもの。私はお母様の言うとおりになんてならない。自由に生きるわ。たとえ貴族でなくなってしまったとしても」

「エイヴァお嬢様、お手伝いします。ですが、このことは邸の誰にも言ってはなりませんよ。よろしいですね」

「ええ。15才まであと4年あるわ。お母様はきっと自分に都合のいい縁談をまとめようとなさるはず。それまでに……貴族として生きるか、平民として生きるかも含めて、私は私の生き方を決める。ヘイゼル、その時には一緒に行きましょう。ヘイゼル……いえ、ヘイゼルおばさま」

「エイヴァお嬢様!」

「今日、知ったの。お父様の葬儀の時に、遠い親戚だという方が教えてくださったわ。一緒にここから出て、自由になりましょう。それがお母様への復讐よ」

「ええ、どこへでも付いて参ります」


 ヘイゼルはその日から指折り数えることにした。エイヴァの15才の誕生日が、独立記念日になるのだ、と。

読んでくださってありがとうございました。

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