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妖精の取り替え子①アイザック

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 アイザックはマーシャル伯爵家の次男である。それが分かったのはアイザックが15才の時だった。マーシャル伯爵の隠し子が発見された訳ではない。妖精が生まれたばかりの子を入れ替えてしまういたずら「妖精の取り替え子」であったことが分かったのだ。


 アイザックは伯爵家の血を引く者でありながら、平民の商人キャンベル家の長男として育っていた。そして、キャンベル家の長男として生まれたベンジャミンが、マーシャル伯爵の次男として育てられたのだ。


 きっかけは、ベンジャミンの15才のデビュタントのために様々な準備をする中で、マーシャル伯爵家に商品を納入する業者の中にあまりにもマーシャル伯爵によく似た、平民らしからぬ美しい少年がいるとマーシャル伯爵家の女性使用人たち騒いだことだった。


 マーシャル伯爵の隠し子の可能性を疑った伯爵夫人デリラは、困惑した様子で耳打ちした侍女と家令に命じて、キャンベル家の長男アイザックについて調査するよう命じた。それと同時に、デリラはそっと物陰からアイザックの顔を見た。そして息を呑んだ。


 あまりにも似ていた。マーシャル伯爵瓜二つのアイザックのその顔に、デリラはぐっと唇を噛んで呼吸を整えると、自室に戻った。そして、家令たちに命じた調査の報告を待った。


 信頼できる筋から上がった報告に、デリラは頭を抱えた。ベンジャミンと全く同じ日に生まれたアイザック。キャンベル夫人とマーシャル伯爵に接点は一切ない。だが、キャンベル氏と夫人、その両方とも全く似ていない顔を色に、夫人は不貞を疑われて苦しんできたとあった。


 まるで、私のように。


 デリラがベンジャミンを産み、最初に顔を見た時、確かにその髪は金色で、その瞳は青で、夫の色を受け継いだと記憶していた。それなのに、一眠りして目が覚めた時には全く違う色の赤子がそこにいた。地味な茶色の髪と瞳の男の子。ベンジャミンは成長すればするほど、マーシャル伯爵家の特徴もデリラの実家の特徴も全く発現しなかった。


 デリラの不貞を疑う声もあった。デリラは次第に心を病み、社交界から遠ざかった。マーシャル伯爵であり、夫でもあるセオドアは、デリラに不貞をするような時間も交友関係もないのをよく知っていた。セオドアがデリラを溺愛し、片時も傍から離さなかったからだ。セオドアが信じてくれる、それがデリラの心の拠り所だった。


 そうやってようやくベンジャミンを受け入れ、デビュタントの準備をしている最中に、今度はセオドアに瓜二つのアイザックが見つかったのだ。デリラはセオドアに頼み、キャンベル夫妻とアイザックを交えた六人で会う場を設けた。そして、アイザックがセオドアに瓜二つであること、ベンジャミンがキャンベル夫人に瓜二つであることを確認した。


「まさか、『妖精の取り替え子』が起きたというのでしょうか?」


 真っ青な顔になったキャンベル氏は直ぐに教会に走り、司祭を呼んだ。そして、司祭の判断でアイザックとベンジャミンが妖精のいたずらによって取り替えられた子であると正式に認めたのだ。


 小さな町は「妖精の取り替え子」事件に揺れた。


 あまりにも似ていないという理由で不貞を疑われて家を追い出された元妻と子どもは、他にも見つかった。そして、そういう者たちを教会に集めたところ、取り替えが確認できた者が10人見つかった。誰もが妖精の取り替え子になる可能性がある。その事実に町は恐慌状態に陥った。


 やがてこの一件は王の耳のするところとなり、あまりに親と似ていない子どもが生まれた場合は、不貞と決めつけずに妖精の取り替えが起きている可能性を否定せずに調査するよう、勅が発せられた。


 次に、取り替えられた子どもたちはどちらの子になるのか、という問題が発生した。これまで可愛がってきた子が自分の子ではなかったとしても、そこには愛情をかけて過ごしてきた日々がある。子どもの気持ちも考えねばならない。すったもんだの挙げ句、王は基本的に血の繋がった親の元に戻ることを基本とし、経済状況などを鑑みて両者で相談するように決めた。


 マーシャル伯爵家とキャンベル家は、王の定めた基本に従って息子を交換した。


 これがアイザックにとって大きな苦しみの元となった。ベンジャミンは貴族としての教育を受けてきたので、庶民の生活に慣れることに苦労はしたが、それまでに学んできたことを生かしてキャンベル氏の商会を手伝い、どんどん大きくしていくことができた。友人関係を利用して貴族相手の商売もできるようになり、貴族との接し方をベンジャミンから教えてもらって、キャンベル氏はありがたいとほくほく顔だった。


 だが、アイザックはベンジャミンのようにうまく溶け込むことができなかった。庶民の教育として文字と計算、それに簡単なマナーや商売上必要となる最低限の知識は得ていたが、貴族としての教養と重なる部分は少なく、必要とされる知識の量はあまりにも多かった。貴族の子となったのだからとアイザックは必死で勉強したが、そうそう簡単に身につくものではない。デビューしてもアイザックは庶民として生きてきたことが足を引っ張って、パーティでも誰とも話せない日々が続いた。


 やがて、アイザックは自分が何のために生きているのか分からなくなった。ふらっと邸を出てキャンベル商会を覗いた時、両親だと思っていた2人からベンジャミンが褒められてうれしそうにしている所を見てしまった。


 ベンジャミンは、キャンベル家の子。俺はそうじゃない。


 どう接すればいいのか分からない伯爵家の父と母に、アイザックはなかなか貴族社会になじめない自分の存在が2人を苦しめているのだと気づいた。息ができなくなるほどのショックを受けた。


 キャンベル商会の前で倒れていたアイザックはベンジャミンたちに発見され、ただちにマーシャル伯爵家へと連絡が飛んだ。セオドア・マーシャルはただちに護衛たちを連れてキャンベル商会にアイザックを迎えに行った。少し日に焼けたが元気にしているベンジャミンを見ると、青い白い顔で眠りながら何かに誤り、うめき続けるアイザックが気の毒でもあり、そして、もう手に負えないとも思ってしまった。その自分の感情に気づいたセオドアは、馬車の中でアイザックを見つめながら悩んだ。そして、決めた。


「アイザックは田舎の貴族であまり王都に出てこないような家の、入り婿にしよう」


 デリラは瞠目し、がっくりとうなだれた。やっと本当の我が子に会えたのに、その我が子が苦しんでいることにさえ気づいてやれなかった。貴族が親子として過ごす時間は短い。デビュー後であれば大人と見なされるために、より一層その傾向は強くなる。気を遣っていたつもりだった。何とか貴族社会になじめるようにと評判のよい家庭教師を付け、力を付けさせようとしていた。だがアイザックは、キャンベル商会の跡継ぎとして出入りしていた頃の溌剌とした姿を思い出せないほど、日に日に痩せ細っていく。


「戻さない方が良かったのでしょうか?」

「ベンジャミンは……向こうでよくやっているようだ。この子は私たちに似て、繊細なのだろう」

「繊細……」

「だから、人付き合いの少ない、だが商売をやっているような家がいいな。田舎でのびのびと過ごさせてやりたい」

「アイザックが起きたら、聞いてみましょう。あなた、当てはあるの?」

「ベンジャミンに来ていた釣書はほとんどが撤回されたが、一件だけ残っているところがある。明日手紙を送ってみよう」

「どちらですの?」

「エヴァンス子爵家だ」

「『エヴァンス書庫』の?」

「ああ。人付き合いは多少あるだろうが、商会をやっていて、かなりの田舎だ。のんびりできるだろう。娘一人なので婿を探している、できれば商売に興味がある人をということだったから、アイザックならと思うんだ」

「大丈夫でしょうか?」

「ん?」

「エヴァンス子爵令嬢は、相当気がお強くて、若いのに商会どうしのトラブルを強引に押し切って解決する女傑だと聞いたことがありますわ」

「そのくらいのほうが、アイザックは楽かも知れないぞ。頼られてもアイザックでは対応できぬであろう」

「そうでしょうか?」

 デリラは後に、この縁談を深く深く後悔することになるのだが、この時はまだ知らぬことであった。




 アイザックとエヴァンス子爵令嬢マデリンとの縁談はトントン拍子に進んでいった。少し痩せたアイザックは、見た目は儚げな美しい貴公子であり、自信のなさを相手のいいなりに……いや相手を尊重することでカバーしていた。勝ち気で自分が何でも決めたいマデリンは、最近まで平民として生きていたアイザックの貴族教育の遅れよりも、アイザックの見た目を気に入った。商売で生かせるし、自分が上に立って自由にできる、条件のいい男だと踏んだのだ。


 アイザックとマデリンの結婚は半年後に行われた。準備期間が短いというマデリンに言われたが、アイザックを1日でも早く王都から逃してやりたかったマーシャル伯爵夫妻は、結婚資金関わる費用の大半を支出することでマデリンとエヴァンス子爵家を納得させた。何もかもがマデリンの望み通りの結婚式であった。


 アイザックとて、結婚に期待がなかったわけではない。強気だが自分の意志をはっきりと持つマデリンを好ましく思ったし、自分の持つ商売の知識でマデリンとエヴァンス家の役に立ちたいと心から思っていたのだ。


 だが、マデリンはアイザックと過ごす内に、アイザックが自分の想像以上に平民であったことに気づいた。そして深く落胆した。アイザックにできることと言えば、その顔で女性たちとの商談をまとめさせることだけだと判断してしまったのである。


 ある時パーティーで失敗したアイザックの尻拭いをする羽目になったマデリンは逆上した。そしてアイザックの優しさに付け込んで、こう言い放ったのだ。


「あなたのように美しい顔の子が生まれれば、商談がまとまりやすくなる。だから、子どもは一人だけでいい。仕事ができないあなたにこれ以上うちの仕事の邪魔をされたくない。あなたは所詮醜いアヒルの子だったのよ。

 でもね、あの話で白鳥が幸せになれたと思う?

 私はそうは思わない。だって、白鳥としての生き方を知らないんだもの。いくら姿のことで言われなくなったとしても、育ちは所詮アヒルよ。あなたはアヒルと一緒に育った白鳥で、私は白鳥として生まれ、白鳥として育った白鳥。同じであるわけがないのよ!」


 アイザックは邸の外に出ることを禁じられた。仕事を取り上げられ、マデリンに呼ばれた時だけ、傍に侍った。マデリンに「美しい顔の子を与える」ための種馬という役割だけだった。美しい顔は次第に陰りを帯びて、病的な美しさを漂わせるようになっていったアイザックに、マデリンは満足した。


 やがてマデリンは妊娠した。生まれたのが男の子ではなかったことが残念だったが、マデリンの思惑通りの、アイザックによく似た美しい女の子だった。子どもが生まれたと聞いて、アイザックは娘に会いに来た。


「この子に触れてもいいだろうか?」

「私は1ヶ月もしたら仕事に復帰するわ。乳母は付けてあるけれども、しばらくはお前が面倒を見ればいいわ」


 アイザックはいつしかマデリンから「お前」と呼ばれるようになっていたが、我が子の養育に関われることがうれしかったので気にしなかった。


 エイヴァと名付けられた娘を甲斐甲斐しく世話するアイザックを見て、使用人たちの評価が少しずつ変わっていった。母であるマデリンとは1日1回、お茶の時間を面会時間としていたが、アイザックとはそれ以外の時間をずっと過ごしているのだ。寝付けない時、夜中にぐずる時、エイヴァを抱き上げてあやすために、アイザックはエイヴァの部屋で眠ることを許された。乳母は他家と違って楽をさせてもらえるとアイザックに感謝した。


 やがてエイヴァは、アイザックにばかり懐いてマデリンを見ると泣くようになった。マデリンは我慢してきたが、とうとう癇癪を起こした。


「エイヴァはエヴァンス家の跡取り娘よ。ここからの教育は私の方で行うわ!」

「エイヴァ、エイヴァ!」

「パパ、パパ!」


 泣きじゃくる3才のエイヴァをエイヴァの部屋に放り込み、乳母に見張りを命じると、従僕に鎖と鍵を持ってこさせ、アイザックを3階の物置代わりに使っている部屋に放り込んだ。そして、従僕にその顔を殴らせ、腫れ上がって見られない顔になったアイザックの足を鎖で柱と繋いだ。


「この部屋はね、トイレもお風呂もあるわ。お湯も出る。食べ物は運ぶから、二度とこの部屋から出ないで」

「エイヴァを……どうする、つもりだ」

「あの子は私が責任を持って当主教育を行うわ」

「まだあの子には」

「口出ししないで!」


 マデリンの金切り声が響いた。


「お前はもう用済みなの。でも、マーシャル伯爵家からお前を飼うための支援金をいただいているから、それが続く限り飼ってあげる。それだけのことよ」


 アイザックは扉の向こうにマデリンが消えていくのをじっと見つめた。


 何がいけなかったのだろう、そればかり考えた。


 エイヴァは懐くようにもっと時間を取ればよかった。

 マデリンの役に立つように、もっと気を回せば良かった。

 貴族教育をもっともっと頑張って、貴族らしさを身につけておけば良かった。

 そもそも、妖精の取り替え子なんてことが起きなければ良かった。


「つまり、俺は生まれなければ良かった、ということか」


 乾いた笑いしか出なかった。その日、埃を被ったシーツのままベッドで眠ったアイザックは、鎖が風呂もトイレにも十分に届くと共に、扉には届かない絶妙な長さであると知って、更に絶望した。


 この日に備えて、この鎖は事前に準備されていた。つまり、アイザックはいずれここに監禁されることが、ずっと前から決まっていたということだ。


 もうどうでも良くなった。必死になって貴族としてあろうと努力したことは、何一つ役に立たなかった。ベンジャミンだったらうまくマデリンの手綱を握れただろうに、自分だったからマデリンは暴走していったのだと思うと、情けなさで涙が出た。


 食事を運んできた引退間近のメイドに、アイザックは一つだけ頼んだ。


「一番安い酒でいい。俺に使っていい上限までもってきてほしい」


 メイドは頷いた。


「あなた様はもうゆっくり休みなされ。ここまで馬車馬のように頑張ってきなすったのを、私たちは見ておりますよ」


 老メイドはそれ以来現れなかったが、食事と共に最低ランクの酒が大量に運び込まれるようになった。アイザックは酒に逃げた。どれほど体が悲鳴を上げようが、構わなかった。ただ一つ、エイヴァのことだけが心配だった。


 そうして数年……正確には8年後。


 アイザックの肝臓は悲鳴を上げていた。おそらく肝硬変だろう。もう長くない。最後に一目、エイヴァに会いたかった。


 もう駄目だ、そう思ったあの日、11才のエイヴァがアイザックの部屋に迷い込んだのだ。一目見てエイヴァだと分かった。エイヴァは体調が悪そうで、気の毒でならなかった。おそらくマデリンに厳しくされているのだろうと直ぐに想像できた。アイザックは伝えなければと思った。


「最後に会えてうれしかった。エイヴァ、お前は……自由に生きろ。お前の心のままに生きろ。俺みたいになるなよ」


 ああ、この言葉をエイヴァに直接伝えることができて良かった。


 アイザックはようやくその肉体から離れることを許されたのだった。

読んでくださってありがとうございました。

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