狙われたエイヴァ
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オフェリアの取り巻きとしての位置を下げられ、父からジョシュアは諦めろと叱られ、アーシュラはここのところ思い通りにならないことばかりで機嫌が非常に悪い。それもこれも、全てはエイヴァ・エヴァンスという田舎者の子爵令嬢が編入してからのことである。少しくらいやり返してやろうと思ったのだが、教室棟ではコリンズ子爵令息が、それ以外の所では護衛騎士のジョシュアが隙なくエイヴァを守っている。むしろ、コリンズ子爵令息にそこまでの能力があったのかと感心するほどだ。
時の経過と共に、アーシュラのエイヴァへの思いは変化していた。せいぜい「やり返したい」と思っていた程度だったのが、「復讐を遂げなければ生きていられない」と思い込むようになっていったのだ。エイヴァを攻撃するために、気がつけばオフェリアの傍を離れ、時間さえあればエイヴァの後ろについて隙を狙う。コリンズ子爵令息パーシーは当然その視線の意味に気づき、王宮から護衛を持たない令息令嬢たちを守るために派遣されている騎士たちにも頼んで、エイヴァを守る態勢を整えた。こうなると、なかなかアーシュラには手が出せない。
となれば、唯一使える手を使うしかない。
その日の授業中に、エイヴァの髪留めが外れてしまった。控え室にいるヘイゼルに直してもらうのが一番だが、なんとか自分でもできそうだ。休み時間になったところで、エイヴァはパーシーに化粧室に行くと小さな声で告げた。女子生徒用の化粧室には、さすがのパーシーも行けない。だから、普段は昼休みに控え室に行ってからヘイゼルと一緒に化粧室を利用するようにしている。男子生徒が女子生徒用の化粧室の傍にいるのはよろしくない。パーシーは気をつけて、と言ってエイヴァを送り出した。
エイヴァは視線を気にしながら化粧室に入ると、大きな鏡の前で髪留めを外し、自分なりに留めてみた。だが、しっくりこない。
困ったわ。
その時、化粧室に誰かが入ってきた。
「どうかなさったの?」
華やかなその生徒は、淑女科の生徒に違いない。
「ええ、髪留めが外れてしまって」
「あら、そうですの? 私、お手伝いしましょうか?」
「いいのですか? 助かります」
女子生徒はすっとエイヴァの後ろに回ると、髪留めを預かった。
「素敵な髪留めね」
「ええ、婚約者からのプレゼントです」
「婚約者」
「ええ……どうかなさいました?」
突然女子生徒の表情が変わった。
「エイヴァ・エヴァンス。田舎者の分際で、私の人生をよくも壊したわね! 絶対に許さない!」
髪留めを付けてくれると思ったから、エイヴァは背後にピタリと張り付かれても油断していた。はっとした時には、腰に激しい痛みを感じていた。そのまま個室に放り込まれ、外から何か細工をされたのか、出ることができない。
「どうして、出してください!」
後ろを見ることはできないが、手に付いた赤いものに気づいたエイヴァは、ありったけの声で叫んだ。
「もう授業が始まるわ。次の休み時間まで誰も来ないでしょう。そのまま誰にも見つからずに、死んでしまえばいいわ」
女子生徒は化粧室を出てしまったようだ。声をもう一度上げようとしたが、力が入らない。
そういえば、あの髪留め、返してもらっていなかったわ。
エイヴァは上を見た。プライバシーを確保するために、どこにも隙間がいていないのを再確認しただけになった。扉を押しても、びくともしない。
まずい。
血が止まる様子もない。ハンカチで抑えていたが、いつの間にか血だらけになって、もう絞れるほどである。動けば失血量が増えて致命的なことになると気づき、エイヴァは動くことをやめた。血は止まらない。時間ばかりが過ぎていく。だんだん意識が遠のいてきた。
ああ、これは駄目かもしれない。
その時だった。
「エヴァンス嬢、いらっしゃいますか!」
女性職員の声が聞こえる。なけなしの力で個室の扉を叩くと、聞き慣れた声が聞こえた。
「エイヴァ! 今すぐに出してやる!」
扉の前で何やらガタガタと音がしている。
「エイヴァ!」
ジョシュアの顔が、そこにあった。ジョシュアの顔を見てほっとしたのだろう、エイヴァは精一杯微笑んで……そのまま意識を失った。
・・・・・・・・・・
エイヴァが目を覚ましたのは、3日後だった。ふと目を開けたエイヴァは、自分の右手を誰かが握りしめているのに気づいた。
「……ジョシュア?」
エイヴァの手を握りしめて額に押し当てていた人物は、エイヴァのか細い声にピクリと反応した。
「エイヴァ? 目が覚めたのか?」
初めて聞く、ジョシュアの弱気なかすれ声に、エイヴァははい、と小さく答えた。
「すまなかった。化粧室のことまでは考えていなかった。それに、こんな直接的な手を使ってくるとは……」
「いいの、ジョシュア。あなたが助けに来てくれたから」
「だが、ひどい怪我を……」
「そう。ナイフで刺したのとは違うと思うの。でも、血がなかなか止まらなかったのは何故なのかしら?」
「アイスピックのようなものに、血が止まりにくくなる薬を塗って刺したらしい。エイヴァが痛みで叫んだら早く気づかれるからと、最初から感覚を鈍らせる薬を化粧室に充満させていたそうだ。だから、余り痛みは感じなかったかも知れないが、ひどい怪我なんだ」
「そうだったの」
エイヴァはあまり力が入らないその手に、今出せる限りの力を込めてジョシュアの手を握りしめた。
「ジョシュアが来てくれた時、本当にほっとしたの。最後にあなたに会えて良かったって……」
「エイヴァ」
ジョシュアがエイヴァの手を引き寄せた。そこではじめて、エイヴァはジョシュアの顔が涙で濡れていることに気づいた。
「泣いて、いたの?」
「エイヴァがもし死んだら、俺も直ぐに追いかけようと思っていた。エイヴァがいないなら、俺がこの世にいる意味もないから」
「ジョシュア。それは駄目よ。もし今後私がいなくなったとしても、あなたはしっかりと生きて。そして、私が生きられなかった分を生きて、あの世で教えてほしいわ」
「嫌だ」
いつもは頼りになるお兄さんのジョシュアが、まるで駄々をこねる弟、もしくは言うことを聞かない大型犬のように見えてくる。
「死なないわ。だって、あなたが守ってくれるから。そうでしょう、ジョシュア?」
「ああ、当たり前だ。でも、今回は肝が冷えた。もう駄目かと思った。医者も、戻ってくるかどうかは神のみぞ知ると言ったんだ」
ああ、それは心配を掛けてしまったな、とエイヴァは思った。
「お祖父様とお祖母様は? ヘイゼルとパーシーは?」
「ああ、呼んでこないとね。ヘイゼルはずっと一緒にこの部屋にいたが、ほんの少し前に洗濯物を出してくると言って出ていったばかりだ。直ぐに戻るだろう。待っていて」
ジョシュアが少し開けられた扉の外にいる誰かに声を掛けると、廊下をコツコツと早足で遠ざかる音が聞こえた。戻ってきたジョシュアは、直ぐにエイヴァの手を取ると本当にほっとしたように息をつき、それからほんの少しだけ逡巡して、意を決したように言った。
「エイヴァを刺したのは、アーシュラ・クラーク伯爵令嬢。エイヴァと同じ年齢の、淑女科の生徒だった。彼女は俺を婿養子にと望んだが、俺がエイヴァと婚約していること、それが王家の認めたもので覆らないと知った伯爵に叱られて、それ以来エイヴァを狙っていたらしい。俺たちも彼女が何か企んでいるという情報は持っていて用心していたんだが、結果的に守り切れなかった」
「クラーク伯爵令嬢は、今どうしていらっしゃるの?」
「それは、お祖父様が教えてくださるはずだ」
あまり聞いて気持ちのいい話ではなさそうだ。
祖父が来るまでの間、エイヴァはジョシュアの手を離そうとしなかった。いや、お互いに離そうとしなかった。二度とその手を離されないように、そんな気持ちだった。
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