勅命
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エイヴァが無事にマーシャルの祖父母の元へたどり着いた頃、マデリンは爪を噛みながら今後のことを考えていた。
ジョシュアは王都近くのミルズ男爵家の遠縁に当たる平民だと言っていた。とりあえず自分たちの身を守るために、ジョシュアの家に一度は行くだろうと考えたマデリンは、家令にジョシュアの実家を探すよう命じた。だが、ミルズという姓を持つ平民があまりにも多く、調査は難航した。その上、ジョシュアという名前もまたよくある名前であるから、ジョシュア・ミルズという人物だけでも百人を下らず、それを一軒一軒潰す他ない、と家令はさじを投げた。
「情けない。その程度の調査、何とかしなさい!」
この時、もしマデリンがエヴァンス書庫の司書たちを頼っていたら、エイヴァの行き先にもっと早くたどり着いただろう。エイヴァのこともジョシュアのことも、司書たちはよく見ていた。事業のこと、土地のこと、様々な問題を解決するために借りていた蔵書の中には、エイヴァとジョシュアの趣味や今後の人生のためのものもある。司書は蔵書から借りた人物の趣味・性格・思考パターンをある程度類推できる。貸し出し履歴一つでも絞り込めたはずだ。更に、司書は情報を探し出すプロだ。同じジョシュア・ミルズという人物であっても、住所、年齢などから一人を絞り込むことなど造作もない。
そう、エヴァンス書庫のスタッフは極めて優秀なのだ。王都の学院で学んだ後、エヴァンス書庫の仮審査を受けた上で、研修に入る。研修で一定のレベルに達しなかった者は解雇される、これを繰り返して優秀な司書たちを育成する。エヴァンス書庫の司書研修第一段階に参加しただけでも、国内の図書館や私設書庫への就職が有利になると言われるほどの権威と実力を持つのが、エヴァンス書庫だ。当主マデリンに図書に関する才能がなく、13才の娘エイヴァにはそれがあるという、司書たちにとっては極めて説明しがたい状況である。この優秀なスタッフを抱えながらも書庫への閲覧許可と新規購入の申請しか重要視していなかったマデリンは、全く使いこなせていなかったのだ。極めて残念なケースである。
結果的に、エイヴァたちは時間を稼ぐことに成功した。マデリンがエイヴァの居所を突き止めてセオドアの所に直接やって来た時には、既に全ての手続きが完了していたのだ。
「お義父さま、これは一体どういうことなのかしら?」
マデリンはあくまでセオドアが悪いのだというスタンスである。
「どうしてエイヴァがこちらにいるんですの?」
「どうしてって、その理由は君が一番よく知っているだろう」
セオドアはにこやかに対応している。よく見れば目は笑っていないのに気づくはずだが、王都の貴族のようにもみ合いに慣れていない田舎の大将には、表情さえ正確に読み取ることが難しい。
「あら、私には思い当たるところがありませんわ」
「そうかい。エイヴァは大けがをして運び込まれたんだ。それも、加虐専用の道具が使われていた。敢えてそれを選んだ非常に質の悪い人物がいてね、その証拠の品も陛下のところには提出したよ」
「陛下?」
「ああ、エイヴァの籍はエヴァンス子爵家にあるが、エイヴァが成人するまでは我々が保護することになった。その決定は陛下が下されたから、成人までエイヴァがエヴァンス領に帰ることはない」
「何ですって!領地の経営にあの子も参加しているんです。あの子がいなかったら、領民が困りますわ」
「ほお、未成年の子どもに、領地経営をさせていると」
「全部ではありません!一部です、一部!」
「エイヴァが持っていた書類では、エヴァンス書庫に関する一部の業務とエヴァンス家の財産に関する業務以外はエイヴァがやっていたことになっているが?」
「それは、エイヴァの実績作りのためにエイヴァを前に出しただけで、実際は私が……」
「それならば、領内のことについて私が質問することに答えられるな?」
「な、何を……」
ようやくマデリンは、ごまかしの聞かない相手であることに気づいたらしい。
「わ、私は目を通して決裁しています。実働はエイヴァだけでなく他の者にさせていますから、責任者として十分に働いているかと」
「中身も見ずに決裁のサインをするような仕事が、か?」
「え?」
「数日前、エヴァンス子爵のサイン入りの書類が届いた。王家からの指示に従うというものだ。見覚えはないのかね?」
これは我が家の分の複写の複写だ、と言ってセオドアが見せたのは、王家の紋章が入った書類だった。その内容を見て、マデリンは震えだした。
「エイヴァ・エヴァンスはエヴァンス子爵家の爵位を継承する権利をもつ唯一の存在としてエヴァンス家の籍にあることを確認する。
当主による虐待から保護するために、エイヴァ・エヴァンスは前マーシャル伯爵であるセオドア・マーシャルの元に置くこととする。
エヴァンス子爵マデリン・エヴァンスは、エイヴァ・エヴァンスの成人まで一切の接触を禁ずる。
マデリン・エヴァンスはエイヴァ・エヴァンスが成人するその日に、子爵位を速やかに移譲する。
以上を確認の上、エイヴァ・エヴァンスの保護監督権をマデリン・エヴァンスよりセオドア・マーシャルに移動するよう命ずる。」
その書類の下には、セオドア・マーシャルのサインと、マデリン・エヴァンスのサインが……確かに自分の筆跡のサインがあった。更に、国王のサインまで付加されている。
「複写の複写であっても、御名サインのある書類を破損した場合、極刑になる可能性があること、貴族なら当然知っていると思うが」
書類を破ろうとしていたマデリンは、極刑という言葉に破るのを断念した。
「ああ、エイヴァからの伝言だ。今までの業務はそのまま自分が行うので、お母様は役割分担したものだけ処理してくだされば結構です、だそうだ」
「ひっ」
マデリンは逃げるように帰っていった。冷め切った紅茶が、カップになみなみと注がれたままだ。
「あの女は、アイザックのことをとうとう一言も謝らなかったな」
衝立の向こうに隠れていたデリラは、セオドアの言葉にそっと立ち上がって姿を見せた。
「どうしてあの時、あの女がよいと思ってしまったんでしょう。アイザックもエイヴァも、そのせいで苦労することになってしまったわ」
「アイザックに償えない分、エイヴァに償おう」
「そうですね」
老夫婦の嘆きは、静かで、深かった。
エイヴァは翌月から、王都の学院へ編入することになった。本来は12才から入学する学院だが、マデリンはエイヴァに仕事をさせるために学院への入学を初めから考えていなかった。マデリン自身が将来の地方の子爵程度であれば中央の貴族との繋がりなど不要だと思い、学院に行かないという洗濯をしたからだ。マデリン本人は困っていないと思っているが、実は閲覧許可を求める者が本当に官僚なのか、貴族なのか、そういうことを確認する術を持たないなど、本人以外の所では実害が出ていた。問題が発生して中央にお伺いを立てる時も、同じ程度の問題であれば、知っている人を優先したくなるのが人間というものだ。だが、それがマデリンには分からなかった。
こうしてみると、マデリンは勉強はできるが対人スキルが極端に不得手なタイプだったと言える。対人スキルの問題で子ども時代に叱られたり辛い思いをしたりすると極端に自己肯定感が低い大人になる傾向があるが、そういった挫折を味わったことのない子どもがそのまま大人になると、自己万能感とでもいうべき、根拠のない優越感・有能感を持つようになる。その意味では、マデリンの性質を見抜いてもらえなかった結果必要な教育を受ける機会を逸した犠牲者だとも言えるだろう。だが、それでもマデリンはやり過ぎた。対人トラブルは、あのベネット男爵一家以外にも数えきれず起こしている。好きなことだけ好きなだけやりたい。嫌いなことからは徹底的に逃げたい。妥協なんてない、0か100かのどちらか。面従腹背されていても気づかない。冗談が分からない。
セオドア・マーシャルに少しつつかれた程度で、マデリンは尻尾を巻いて逃げた。生まれて初めて、マデリンは他人が怖いと思った。この時反省していれば、マデリンの人生は大きく変わっていただろう。しかし、マデリンは次の瞬間にはこう思っていた。
「私は悪くない」
次に思ったのは、アイザックのことを指摘されなかったことだった。
「つまり、まだアイザックが死んだことはバレていないってことね」
かつて神童と呼ばれていたマデリンは、ただの知識の塊であり、その知識の使い方を知らなかった。考える力はなかった。エヴァンス領に逃げ込んだマデリンは、追い出される前に子爵家の財産を個人口座へと移し始めた。
「どうしてそんなことをするんだい?」
愛しい恋人の問いかけに、マデリンは、資産凍結されるかもしれないから、と言った。
「ふうん」
男は吸っていた葉巻の煙を吐き出した。独特の甘い香りが立ちこめる。
「まあ、僕にもお小遣いちょうだいね?」
その日少なくない額の「お小遣い」をもらった男は、そっと荷物をまとめた。
「次の商談に行ってくるよ」
男は商人だという割りには、トランク3つ程度しか荷物も商品も持っていない。キャラバンを組んできたことは一度もない。だが、マデリンはそれがおかしいことに気づけない。本人曰くこういうスタイルなのだから、そういうものだとマデリンは信じ込んでいる。去り際に男が「バイバイ」と言った声は、マデリンには聞こえなかった。
学院に編入することが決まったエイヴァは、セオドアに連れられて学院の門をくぐった。通学時間は少しかかるが馬車で通える範囲内ということで、学院の寮には入らないことにした。寮生活を送れば友人も作りやすいだろうが、その分費用はかかるからエイヴァからは頼みにくい。それに、セオドアもデリラもやっと会えた孫娘との生活が楽しみで、寮に入れる気は初めからなかったのだ。
「子爵令嬢ですと、護衛や侍女を付けないことになっております」
「それについては、国王陛下からの一筆がある。確認してくれ」
「へ、陛下ですか?」
事務担当者は慌てた様子で広げると、学院長に確認して参りますと言って出ていった。
「子爵家風情で護衛とは、ということですか?」
「まあ、そうなるな。護衛や侍女たちの控え室があるんだが、数に限りがある。高位貴族の子女には十分な護衛や世話係の侍女や侍従が複数付くから、どうしても子爵家や男爵家の子女は我慢してほしい、その代わり学院を守る護衛騎士が派遣されている。子爵や男爵といった家では、その家庭の方針で、自分のことは自分でできるようにと教える家もあると聞く。そういう家の子女には、侍女や執事も要らないから問題ない、ということだ」
「いろいろなお考えのお家があるのですね」
「ああ。だが、エヴァンス家が普通だと思ってはならんぞ」
「ご心配なく、あそこは誰が見ても異常しかありません」
「エイヴァを指導してくれた家庭教師たちに感謝せねばならないな。エイヴァは常識人だ」
「全員素晴らしいという訳ではありませんでしたよ。軽い扇で手を打つ先生もいらっしゃいましたから」
「それは駄目だな。可愛いエイヴァの手が、さぞ痛かっただろうに」
「お祖父様……」
物心ついてから初めて、自分のことを気にしてくれる血縁者に出会えた。エイヴァにとって家族は信頼できないものだったが、これからはきっと変わって行くに違いない。
「学院長の確認が取れました。控え室も、一番狭い部屋にはなりますが、一つ空いているのが確認できましたのでお使いいただけます」
「ああ、それは良かった。陛下直々に、身の安全を守るようにと言われているから、よろしく頼むよ」
「は、はい……」
事務員は遠い目をしている。次回はどのクラスに入るかを決めるテストを行い、その後学院内を案内して、テストの一週間後から通学することが決まった。
「人付き合いが少なかったと聞いたから、これからエイヴァはくろうすることになるだろう。それでも、まだお前は若い。いくらでも吸収して変化できる。私のように年を取ったら、もう変化したくてもできなくなってしまうのだよ。頭も体も、いくら頑張ってももうついていかないんだ。だからエイヴァ。しっかり学んで、お前の価値を上げるんだ」
「はい、お祖父様」
自分の実力が分かるから、テストが楽しみだ。夕焼け空の下、王都の外れのマーシャル別邸に向かう馬車の中では、到着まで温かい会話が続いていった。
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