第6章
この章で完結になります。
エディスはひと月ほど毎日、父のジルドレの作った『ターブル』というの名の浮遊機の操作訓練をした。
最初に彼が考えていた通り、その操縦を極めるのはかなり困難なことだった。
最年少の弱冠十三歳で魔術師試験に合格したエディスの魔力量は、この国でもトップクラスだった。しかも魔力のコントロール能力も高かった。
その彼でさえ『ターブル』の操縦は、高度で熟練したテクニックを必要とした。
言い換えれば、これを使いこなせる人間はそう多くはないということだ。
それなのにこんなものが規制もされずに世の中に出回ったら、一体どうなるかは火を見るより明らかだった。
エディスは正直、あの父親の息子に生まれてきたことを呪いたくなった。
彼の父には物作りの天賦の才がある。しかし、自分が生み出したものがどう使われるか、それを考える能力というか、そもそもそんなことを配慮する気持ちを持ち合せてはいない人間だ。
とにかく傍迷惑な人間なのだ。
そしてその傍迷惑な人間に傍迷惑な物を作らせてしまったのは、エディス自身だった。
以前は一度も特許出願が通らなかったジルドレの魔導具を、この世に出るようにしてしまったのは、紛れもなくエディスだったのだから。
彼が魔術師の資格を取ったのも、父親の行動を制限できる資格というか力を持たなければという、自責の念からだった。
いくら問題のある人間だからといって、趣味や生き甲斐を奪うわけにはいかない。ましてまだ未遂の段階で、その身を拘束するわけにもいかない。
今後エディスは、父親の動向を見守りつつ、彼の作品を全てチェックしていくつもりだ。
そして、ようやくエディスが『ターブル』を思うがまま操縦できるようになった頃、ついに、その秘密兵器を活用する時が来た。
エディスとティファは用意周到だった。様々な場面をシミュレーションし、完璧ともいえる浮気の証拠写真を確保することができた。
ハーリーとスカーレットの二人が、木々の深い園庭で抱き合っている写真、魔術実験室で濃厚なキスをしている写真、保健室のベッドの中で行為をしている、浮気の決定打となる写真も。
こうしてエディスとティファの『メラニーとハーリーを婚約破棄させる作戦』は大成功を収めて無事終了したのだった。
そしてその後、ハーリーは王城の王宮魔術師の試験に落ちてしまった。
しかし一般の官吏試験には合格していたので、卒業後はスカーレットと結婚して、地方の魔法局に赴任した。
スカーレットはハーリーに婚約者がいることをわかっていながら、世間知らずでうぶなハーリーを色仕掛で落とした。
しかし、ハーリーは王宮魔術師の試験に落ちてしまった上に、メラニーが離れてしまってからは彼をフォローしてくれる人がいなかったので、色々と問題を起こしていた。そのために、彼には既に将来出世する見込みがなくなっていた。
それ故に期待外れとばかりに、スカーレットはハーリーとの縁を切ろうとした。
ところがハーリーの両親はそれを許さなかった。前途洋々だった息子の将来を潰したのはスカーレットだと。
しかし婚約者がいながら彼女の誘いに乗ったのは息子自身である。しかも長年に渡って婚約者を蔑ろにしてきたのだから、息子の責任も大きいのだ。
それを認められない時点で、この親にしてこの子ありだった。
ハーリーの両親はスカーレットと彼女の両親の侯爵夫妻に例の浮気写真を見せて、息子と結婚しなければこれを世間に公表するぞと脅した。これを発表されて困るのは女性側だろうと。
しかし、スカーレットの両親が二人の結婚を認めたのは、そのスキャンダル写真のせいではなかった。
彼らが結婚しなければ、両家には多大な慰謝料がメラニーの父ジルドレから請求されることになっている、と告げられたからだった。
ハーリーとスカーレットに大事な娘を蔑ろにされたと、メラニーの父親は激怒していた。
お前達のような人間を仲間だと信じてしまったせいで、大切な娘をあんな屑と婚約させてしまったと。
それまでジルドレを軽く見ていたハーリーの両親も、彼の憤怒する様に震え上がった。彼の体からは禍々しい負の魔力が溢れ出していたのだから。
まあ、実際はその怒りの中には、彼自身の不甲斐なさも含まれていたのだが。
メラニーはハーリーと婚約破棄した後、益々魔道具作りに熱中した。
しかし、彼女の魔道具は人々の生活を少しでも助けたい、という思いから作られていたし、悪用されないように配慮もされてあった。
それ故に、姉の作る道具についてはエディスはあまり心配していなかった。
そもそもメラニーは特許出願をする前に、必ずエディスにその発明品の安全性の確認を求めてきていたので。
何故弟が魔術師の資格を取ったのか、メラニーはその理由に気付いていた。
本来ならそんなに早く資格を取ってしまったら、その能力を国の有力者に目を付けられ、将来を縛られてしまう恐れがある。
それをわかっていながら、何故そんなに急いで資格を得る必要があったのかを。
だから自分の婚約が決まった時、姉は弟にこう告げたのだ。
「あなたは私の大切な愛する弟で、私が結婚しても、私はあなたの家族でしょ?
だから荷物はあなたと分け合いたいわ。一人であの人を抱え込まないでね。
嫡男とかそんなことは関係ないわ。あなたが私を思ってくれるように、私もあなたを思っているのよ。それを忘れないで」
と。
子供の頃のように姉メラニーに背中をポンポンと優しく叩かれて、エディスは声を出さずに涙をこぼしたのだった。
メラニーは学園の卒業と同時に、ティファの従兄のブライアンと結婚した。
ブライアンはメラニーが魔道具製作に必要な材料を買い求めている商会の跡取り息子で、子爵令息だ。
以前から彼は、特殊でなかなか手に入らないような魔法の実験の材料でも、四方八方手を回して取り寄せてくれて、いつもメラニーに協力してくれていた。
そして、メラニーがハーリーと婚約破棄した後、ブライアンはようやく自分の思いを彼女に告げたのだ。エディスとティファに背中を押されながら。
「ブライアンお兄様ったら、花婿さんというよりはまるでメラニー様の護衛みたいだったわね」
バージンロードを歩く従兄を思い出しながら、ティファが笑った。
「いや、今もそんな感じだよ」
招待客に挨拶をして回っている姉夫婦を見ながらエディスも笑った。
「少しは肩の荷が下りましたか?」
ティファがそう尋ねると、エディスはそうだね、と言った。
「これからも姉を守り続けたいと思うけれど、それをこれからはブライアン様と分けられると思うと、大分気分的には楽になったよ。
それに母にも頼りになるパートナーができたしね」
「本当にお幸せそうですね、ローゼット様も。伯爵様にはお気の毒ですが」
ティファはメラニーの花嫁姿に号泣しているローゼットを見ながら目を細めた。
するとエディスは、小さくため息を吐きながらこう呟くように言った。
「まあ、父は自業自得だから同情する必要はないけれどね。
大体披露宴には遠慮してもらったけれど、結婚式には出席できて、しかもバージンロードを娘と歩けただけでも有り難く思わないとね。
全く姉上は懐が深いよ」
「本当ですね」
ティファはクスクスと笑った。その笑う姿はまるで春の陽射しのように眩しくて、エディスは目を細めた。
この一年色々なことが起きた。怒りや憎しみや罪悪感、様々な負の感情に押し流されそうになったことも一度や二度ではなかった。
それでもなんとかそれらを乗り越えて、今この幸せな日を迎えられたのは、いつもともに戦ってくれた彼女がいてくれたおかげだ。
これから先の人生も彼女がいてくれさえすれば、どんなことにも逃げずに立ち向って行けるだろう。
エディスはティファの前で跪き、彼女の左手を取ってこう告げた。
「僕には大切な女性が三人います。母に姉、そして貴女です。どうかこの先も僕の隣を歩いて下さい。お願いします」
するとティファは笑ってこう答えた。
「はい。私も貴方とともに歩いて行きたいです。たとえ三番目でも貴方が私を愛して下さる限りは」
すると、彼女の返事を聞いたエディスは小首をかしげた。そして、
「三番目? いや僕の一番は君に決まっているだろう! もし何かあったら迷わず君を一番に助けるよ。
たとえ将来魔術師になって城に勤めるようになっても、それは変わらない。
そもそもそれを認めてくれない職場に就く気もないしね」
と、とんでもないことを言い放ったのだった。
(注釈)
ハーリーの浮気の証拠写真を撮るために使用した浮遊機は、父親の発明品。
しかし、写真機自体は被写体にされたハーリーの発明品で、そのレンズは、ブライアンが苦労して手に入れたヒュドラの眼球から作られていた。
読んで下さってありがとうございました!