第3章
ところが二年前、父親のジルドレが先触れもなく突然自宅に帰ってきてしまった。
そして、母のローゼットがすぐに出迎えに出なかったことで不機嫌になった。
ちょうどその時ローゼットは、仕事の関係者と打ち合わせをしていたのだ。
この時ジルドレは初めて、妻ローゼットが商会を立ち上げ、仕事に励んでいることを知った、というかようやく気が付いた。
彼は妻からの手紙をまともに読まなかったし、世間にも疎かったからだ。
彼は激怒し、仕事を終えてリビングに入ってきた妻に絶対に言ってはいけない一言を放ってしまった。
「伯爵夫人が仕事をするなんてみっともない。すぐにやめろ! 何?やめる気はないだと! それなら離婚だ。今すぐこの屋敷から出て行け!」
エディスの母親はその場で出て行ってしまった。母の生き甲斐やこれまで支えてくれていたことを否定されて、母は静かに切れたのだ。
母親の行き場所は彼女の経営している商会だと分かっていたので、彼と姉のメラニーは彼女を止めなかった。
そしてその後父親が屋敷に戻ってくるまでの半年間、エディスはメラニーと二人で暮らした。
姉は昔取った杵柄とばかりに、母がいなくなった屋敷を切り回し、弟を気遣い、なおかつ学園では婚約者のハーリーの世話をして忙しくしていた。
ハーリーは将来は王宮魔術師になれるのではないか、と言われている魔法の天才だ。しかし一般常識に欠けているために、婚約者であるメラニーが彼の世話をしているのだ。
何故姉ばかりこんなに苦労をするのかと、エディスは歯がゆかった。
その中でも特にハーリーのことで姉が苦労していることがわかっていたので、エディスは彼に向かって何度も態度を改めて欲しいと懇願した。
しかし、ハーリーは毎回馬耳東風で、いつもエディスをガン無視した。
こいつは父親と同類で自分のことや自分の興味のあること以外には関心を持たないタイプだ。おそらく矯正は無理だ。
どんな手を使ってでも姉とあの男との婚約を破棄させないと、とエディスはその思いを強くした。
そしてそれについて色々と模索していた頃、彼はとあるご令嬢と親しくなった。
彼女の名前はティファ。人気の商会を運営している男爵家の令嬢で、エディスのクラスメイトだった。
ハーリーの魔道具を作るための素材の購入先を探していた姉のために、エディスが相談したのがきっかけだった。
あのハーリーのために動くことは不本意だったが、姉が困っているのを目の当たりにしては放っておけなかったのだ。
生憎ティファの商会では取り扱ってはいなかった。
しかし、彼女の伯父が運営している商会で取り扱っているかもと、支配人をしている従兄に問い合わせをしてくれたのだった。
結局姉の求めていた材料は、ティファの従兄の商会でどうにか入手することができた。
そしてこれがきっかけになって、エディスと姉のメラニーは、ティファと彼女の従兄のブライアンと懇意になっていったのだった。
「ティファ嬢、ブライアン様に僕達が感謝しているって伝えておいてくれないか。ヒュドラの眼球なんて超レアな素材を手に入れてもらって。
かなり苦労されただろう? 毎回無理難題な依頼ばかりして申し訳ない」
ある日のこと、エディスがこう言って頭を下げると、ティファは少し困った顔をして微笑んだ。
「確かに大変だったと思いますが、ヒュドラは一匹倒せば、頭がたくさんついてるから、その眼球もまあ、数はそれなりに取りやすいといえば取りやすいみたいですよ。昔と違って、あの最強魔物の攻略対策も進んでいるみたいですし。
むしろ前回のピンクドラゴンの心臓はさすがに大変だったみたいです。
でもどちらにしても、感謝するのはエディス様やメラニー様じゃないですわ。
欲しがっていた当の本人がそれを当たり前のように受け取って、お二人やブライアン兄様に感謝の言葉の一つもないなんて、信じられないですわ」
ティファはエディスと親しくなる以前から、メラニーのことを慕っていた。
それは彼女が虐めにあっているところを、メラニーに助けてもらったことがあるからだ。
ティファは男爵令嬢だったが、家は大きな商会を営んでいてかなり裕福だった。そして彼女自身とても愛らしい顔立ちをしている上に成績優秀だったので、とにかく目立ったのだ。
それ故に入学以来、下位のご令嬢達から嫉妬をされて、嫌がらせや虐めに遭っていた。
金品の要求をされることもあった。しかし、ティファがそれに応じることは決してなかった。商会の金品は商会のもので、彼女個人のものではなかったのだから。
事を大きくしては家や商会に迷惑をかけてしまうと、ティファは一人でずっと耐えていた。
いつかは彼女達もこんなことをしても無駄だと悟るだろう。それまでの辛抱だと最初のうちティファは考えていたのだ。
ところが、ティファが抵抗しないことでご令嬢達は増長し、今度は暴力を振るうようになってきた。
そうなってはさすがに彼女も腹に据え兼ねて、次は絶対にやり返そうと思っていたある日、メラニーが助けに入ってくれたのだ。
二級上でしかも伯爵令嬢が止めに入ったので、苛めていた令嬢は慌てた。そしてこれは虐めなどではなく、ティファが礼儀知らずだから注意していただけだと、堂々と嘘をついた。
するとメラニーはニコッと笑ってこう言った。
「まあ、そうだったの。ずいぶんとお友達思いなのね。良い行動をしていると先生に報告させて頂きたいから、お名前を教えてくださらない?」
すると五人のご令嬢はみんな喜んで自分の名前を告げた。
そしてその後、その五人は恐喝と暴力行為で停学処分を受けた。そして両親と共にティファの家に謝罪にやってきた。
ティファは虐められたことを誰にも話していなかったのに、何故こんなことになったのか不思議だったが、彼らが帰った後で父親から事の経緯を説明されたのだった。
メラニーは事件の少し前、数人のご令嬢がティファを恐喝していることを偶然に知ったのだという。
最初はすぐに学校側に報告しようと思ったが、証拠がなければ彼女達に言い逃れられてしまう可能性が高い。
しかも告げ口したと、さらにティファへの虐めが酷くなるかも知れない。
そう思ったメラニーは、その翌日から証拠を残すために絶えず録音機能のある魔道具を持ち歩くようになった。
因みにその魔道具は彼女の父親が発明したものだった。
そしてあの日、彼女はその虐めの現場に遭遇したので、録音機能を作動させたのだ。
それから頃合いを見て止めに入り、誰が虐めたのかをはっきりさせるために、メラニーは彼女達自身に名乗らせたのだという。
「これまで一人でよく耐えましたね。それに脅しにも屈せずに偉かったですね。
でも時として、誰かに頼ったり相談することも大切だと思いますよ。
縁があって私と知り合ったのだから、これから困ったことができたら、是非私の所へいらして下さいね」
あの時メラニーから言われた温かな言葉を思い出して、ティファは涙をこぼしたのだった。
それ以来、彼女はずっとメラニーを慕っている。それ故に学園にいる時は自然とメラニーに目が行くし、彼女の話題には耳を傾けるようになっていった。
つまりメラニーと婚約者のハーリーに関する情報はすぐにティファの知るところになった。
それ故ティファは、絶えずハーリーに対して不満というか怒りを覚えるようになっていたのだ。
そしてそれはエディスと親しくなって、間近でハーリーを見る機会が増えるようになるとなお一層、彼に対する嫌悪感が増すようになっていったのだった。
(注釈)
メラニーが使った録音機能のある魔道具は、彼女の父親が作った物。本をくり抜いた中に収納されていて、持ち歩いていても違和感がない。これはエディスのアイデア。
読んで下さってありがとうございました!