第一話 じいちゃんの不在
じいちゃんが救急車で運ばれた。
家から五キロ離れた学校のグラウンドでキャッチボールをしていると、近所のおっちゃんがやってきて教えてくれた。
「え!じいちゃんが倒れたの?!」
「聞いた限りではのーいっけつとか、のーこーそくじゃないかって話だ。
どこの病院に行ったかわからんが、お前のお母さんが付いて行ったから、誰も家に居ないぞ。
隣の守山自工に行けよ」
「え、あ、うん」
「それだけ言いに来たんだ。気をつけて帰れよ」
「う、うん、わかった。おっちゃんありがとー」
俺がお礼を言うのも待たずに、軽トラは走り出して離れて行ってしまった。
「おい、じーちゃん、倒れたのか?」
「……わかんない」
グローブを外し、心配する友だちの顔も見られなくて、そのままコーチの所へ行き、部活を早退することにした。
「心配だろうが、事故に遭わないように落ち着いて帰れよ」
「はい」
何が起きたのか誰にもわからない状況で、コーチもどう言葉をかけていいのか分からないようだった。
俺はおっちゃんに言われた通りに、隣の家の守山自工へ向かうことにした。
汚れのないままの練習用ユニフォームを脱ぎ、ジャージに着替えて自転車に乗る。
夏が終わった秋の夕暮れは、思っているよりも早くやってくる。
俺は茜空に向かって自転車を漕ぎ出した。
「じいちゃん、死んじゃうのかな」
思わずこぼれた不安は、一昨年に亡くなったばあちゃんの記憶がまだ消えていないから。
俺は息があがるのも気にせずに、自転車をぐんぐんと漕ぎ続けた。
隣の家、といっても、田舎あるあるで、敷地は隣合っているけれど、家の玄関と玄関を行き来するだけで、五分かかるくらいに離れている。
一度自宅まで自転車で行くが、明かりはついていない。
母さんの車も父さんの車も、ないままだった。
あるのは、じいちゃんの軽トラだけ。
ぐっと涙を呑み込み、隣の守山さんちへ向かう。
変色した「守山自動車工場」の看板には、もう夜間灯がともされていた。
「おじちゃん、じいちゃん、救急車で運ばれたって」
車のボンネットを開けて、中に頭を突っ込んでいる人に俺は声をかける。
顔をあげたおじちゃんは、最初ぼんやりと俺を見ていたが、焦点が定まると、大きく頷いて答えた。
「おー、そうだ。回覧板を持っていったら、急に倒れてなー。
すぐに救急車呼んで、お前のかーちゃんにも連絡したんだ。
大丈夫だろ。まだ帰って来ないんだったら、病院でなんとかなってんだろ」
ざっくりとした大丈夫の基準だが、俺は守山のおじちゃんがそう言ったのを聞いて安心した。
「おとーさんの方に電話したけど、繋がらないから、とりあえずウチで待ってろ」
「……うん」
「にいちゃんも高校から帰ったら、うちに来いって連絡しといだぞ。
イツキはさっき、おばちゃんが迎えに行ったからな。
中に入って待ってろ」
「……うん」
俺はうなずいて、おじちゃんに言われた通り、中に入って待つことにした。
父さんと母さんが迎えに来たのは、夜九時を過ぎてからだった。
俺には全部はわからなかったけど、手術をして、なんとかなったらしい。
俺と弟がほっとしていると、兄ちゃんが、
「退院、できるんだよね?」
と、心細い声で聞いたので、俺はまた肩に力が入った。
「退院、は、できると思うけど……まだ目を覚ましてないからなぁ。わからないが、どこか骨を折ったりはしていないから大丈夫だと思うけど」
「そうか……。見舞いは?」
「いや、コロナで面会は出来ない。俺も母さんもじいさんには会ってない」
「……じいちゃん」
俺たち兄弟は、両親が共働きのこともあって、じいちゃんばあちゃんに世話になって大きくなった。
いつでも俺たちの話を聞いてくれるじいちゃんが、家に帰っても居ないというのは、不思議な感じで、現実感がなかった。
それでも、朝起きて、学校に行って、病院のお医者さんから話を聞いた父さんの話を聞いて、なんとなくじいちゃんがいないことに慣れていった。
それでも、時々、じいちゃんに手紙を書いて、父さんに渡したりしていた。
そんな日が続いて、初めて霜が降りた日。
「じいちゃんが退院してくるぞ」
部活のない日曜日の朝、寝起きのままコタツにもぐっていると、父さんが言った。
「え!ほんと?!」
一番先に反応したのは、弟のイツキだった。
「じいちゃん、元気になったの?」
テレビを見ていた兄のタマキも、体を起こして父さんに大声で聞いた。
「うん。来週、退院だって。
ただなぁ。なんか、医者が一緒に住んでいるご家族に説明がある〜とか言っててな」
「……じいちゃん、ボケちゃったの?」
恐る恐る俺が聞くと、
「いや、そうじゃないらしいんだが……わからん。何せ見舞いが出来ないから、会ってないし」
と、父さんも煮え切らない返事をした。
俺たち兄弟は、顔を見合わせていたが、兄ちゃんが気を取り直して、
「これから寒いからな。じいちゃんが具合悪くならないように、ちゃんと見ていような」
と、言ったので、俺と弟は勢いよくうなずいた。




