運転台からの眺望
狭い出入口から、訳あってかなり広めに取られた運転台に乗り込む。衝突事故の際に乗務員室と客室のダメージを抑制するためで、出入口部分は車体強度を敢えて弱め、衝撃を吸収するように設計されている。これを『クラッシャブルゾーン』と呼ぶ。それ以外の強度の強い部分を『サバイバルゾーン』と呼び、現在わたしたちが乗っている車両の1世代前、1990年代登場の車両から採用され、現在多くの路線や一部の他社で主力となっている。
客室の長さはそれ以前の世代や他社の車両よりは短いものの、横幅を広げた結果、定員数はそれらより多くなっている。新旧2つ並べてみると、新世代の車両はかなりふっくらしているのがわかる。
美奈ちゃんは左側の運転席に座り、左手をハンドルに、右手を手すりに添えてブレーキ試験を始めた。
「おつかれ舞〜、よろしく〜」
『美奈ちゃん夢叶ちゃんよろしくね〜』
「二人に命を預けます」
舞ちゃんの操作で発車メロディーを3コーラス鳴った。多めに鳴らしたのは録音している鉄道ファンがいたためと思われる。
発車時刻10秒前にドアが閉まり始めた。完全に閉まるまで3秒、運転台で美奈ちゃんが閉扉を知らせるランプと信号や周囲の安全確認をして3秒、「出発進行」と指差喚呼して3秒、一拍置いてハンドルを手前に引き、定刻通り発車。
アクセルの役割を担う『ノッチ』は5段階。定刻通りで余裕のあるダイヤなので2、4と徐々に出力を上げてゆく。発車地点がカーブの途中で制限速度があるため、定速スイッチを押してゆったりと走ってゆく。針まで液晶の速度計は時速59キロを示している。
スマホのようにガラス1枚の大きな窓から見渡す景色。8本並ぶ線路の5本目、中央部なので視界は一際広い。視点の高い運転台から見下ろすレールはひどく小さく、これに大きな車両を委ねていると思うと若干心臓に悪い。
走行中、必要時以外の会話は厳禁。運転台には指令室からの音声、自動放送、舞ちゃんの美声による案内放送が流れる。
『ご乗車ありがとうございます。横須賀線、総武快速線直通、千葉行きです。次は、戸塚に停車いたします。Thankyou for using the Yokosuka line.This train is for Chiba. After Tokyo will be on the Sobu line. The next station is Totsuka』
ふひ〜、癒される天使の声。いまのわたし、頬が垂れて恵比須顔になってると思う。乗り合わせているお客さんの中にも『まるたんやんま』のファンがいるかもしれないが、まさか車掌がまるたんやんまだなんて夢にも思わないだろう。音楽を聴いたりゲームをしている場合ではない。
ところで快速線って何? という疑問をときどき耳にする。首都圏では列車の本数が非常に多く、より多くの列車を円滑に運行するため路線によっては各駅停車とそれ以外の通過駅のある列車で走る線路を分けている。一般的に前者の線路を緩行線、後者の線路を快速線と呼ぶ。専門的には急行線、列車線、貨物線等、ほかにも様々な線路がある。
転
舞ちゃんの美声に聴き惚れている間に電車はみるみる加速して、いつの間にかこの車両の最高運転速度、時速120キロに達していた。ビュービューと風斬り音が凄い。
戸塚駅まではまだ距離があるものの、ダイヤに余裕があるため弱めのブレーキで徐々に減速。通常は強め、中間、弱めの順で止めるところ、中間と弱めのみで停車し、遠心力の発生を極力抑えた。
45秒間停車し、戸塚駅を定時発車。麗らかな日だまりの下、列車は順調に進んでゆく。緩めに加速して、まもなく時速100キロに達するところ。駆け込み乗車もなく、ダイヤに余裕のある安全運転。いいですなぁ。
と、安心していた矢先、数百メートル先の線路上をふらふらと動き回る黒い影。いや黒い服を着た人間。制服姿の女子学生だ。
美奈ちゃんがハンドルを奥に倒して非常ブレーキをかけると同時に緊急列車防護装置のボタンを押す。これにより周囲の列車に危険を報せる。視界にほかの列車の姿はない。
『急停車します。ご注意ください』
二ヶ国語で自動放送が流れた。
女子学生の姿をした人物はこの列車の走る線路上を真っ直ぐこちらを向いて立ち止まっている。学生鞄やスマホを無造作に放り投げ両手をだらり垂らしてしかしスナイパーの如くただ一点、列車の窓ガラスを見上げている。
「間に合うかなあ……!」
「うううううう……」
みるみる縮まる彼女と列車の距離。左手を力いっぱい握り締め前傾姿勢で苦虫を噛み潰す表情の美奈ちゃんと顔を伏せるわたし。間に合え間に合え間に合え。
ガクン。激しい衝撃を伴って列車は停止した。ピピピピピピと防護無線の発報音が響く。
「触車したかもしれません。いまから確認します」
美奈ちゃんは指令室に連絡。
「わたしが先に見てくるね」
状況の確認は一刻も早いほうが良い。人身事故の場合、当たった人が車両の下敷きになっているケースと、離れたところへ飛んでいるケースがある。確認する人員は多いほうが運転再開も早いであろう。
「ごめんね夢叶っ」
美奈ちゃんは少し、呼吸が乱れている。そんな中でも舞ちゃんや指令室へ冷静に状況を伝達している。これを終えると美奈ちゃんも列車を降りて状況の確認へ向かう。
先んじるわたしは先ず前方を確認。彼女の姿はない。仕方ない。降りて足回りを確認しますか。
自分の本当にやりたいことにもっと早く気付いていれば、こんなことをしなくて済んだかもしれないな。




