新しい日々の始まり
毎年3月中旬の土曜日、日本総合鉄道ではダイヤ改正が実施される。
ダイヤ改正とは、列車の運転時刻変更、新型車両の導入や新しいサービスの開始、運転体系の見直し、直通運転によるアクセス性向上や経営合理化等が行われる大イベント。
鉄道会社にとっては正に、新しい日々の始まりである。
毎年この時期の前後は駅や線路際その他鉄道施設付近に撮り鉄が多く出現する。
よく叫ばれる撮り鉄による迷惑行為は言語道断として、自分が手がけた車両を記録してもらえるのはうれしかったりもする。
そんなダイヤ改正当日の11時、工場勤務のわたしは休みのため部屋でポチとごろごろしたり腹部に顔を埋めて猫吸いをしていた。
猫はお吸いもの。
「ふは〜あ、オキシトシンが分泌される〜う」
どうやらわたしのダイヤ改正は今年も実施されなかったようだ。
いやアカンのだけれども。原稿進めなきゃイカンのだけれども。
スケジュールの見直しより回復運転が必須な状況に追い込まれつつある。可愛いイラストを描いてもらっておきながら筆が進まないとは何たる不義理。これはほんとうに良くない。ちょっと散歩でもしてくるか。
曇天の空、一方通行と見紛うほど狭いラチエン通りを海へと、睡眠の質がよろしくない虚ろな眼で歩く。
え、茅ヶ崎の人間は海なんて言わない、浜って言うんだ?
浜と言わなくもないけどわたしの年代では海と呼ぶ人がほとんど。浜と呼ぶのは上の世代ではと。
高級ショコラティエ、開高健記念館、ゴルフ場、サザンオールスターズでおなじみパシフィックホテル跡地に建つ赤茶色い屋根瓦のリゾートマンションと、約1キロメートルの間に色々ある閑静な道の路肩を歩いて国道134号線の横断歩道を渡り、松林の間を抜けて浜辺に出た。この場合においては浜や浜辺と呼ぶ。
波打ち際に立ち、東の江ノ島や南の烏帽子岩をぼんやり眺める。
ざぷーん、ざっぷーん、さらさらさらさら〜。
鈍色の空に、寄せては返す波。
大きな海を眺めればアイディアが浮かんだり、ちっぽけな自分を実感して悩みが吹き飛ぶ。それはほぼ嘘である。嘘じゃない人もいるだろうけどわたしにとってこれは嘘。しかし建物に囲われた要塞のような街よりは気分が晴れやすいのではと思う。個人的見解。
寒空の下で浮かぶのは、青空の波打ち際ではしゃぐ制服姿の少女たちの姿。海水浴はあまりしない地元住民、しかし磯遊びは嗜んでいる。わたしもいま磯遊びをしていると言えばそう。
烏帽子岩の向こう、きょうは伊豆大島が見えない水平線をアンニュイに眺めて、頬を刺す潮風を受け流す。それは真冬より少し暖かくて、春の訪れを感じるとともに、早く原稿進めろこの3ヶ月何やってたんだボケと、わたしを急かしているようだった。