第5話 Boy meets Girl
それから3日後の土曜日
妹の服とクレープを買ってあげる約束をさせられていた俺は、地下鉄で原宿へと向かっていた。
そうなったのには理由がある。
「兄さんは私にモデル料を支払うべきだと思います。」
俺の部屋に来た妹は、いきなり要求を突きつける。
「モデル料?俺はお前をモデルに使った覚えは無いぞ。俺はキャンバスとして使っていただけだ。」
「ではキャンバス料です。丁度これからの季節に欲しい服があります。それとクレープを私に御馳走する事で手を打ちましょう。」
つまり作品製作のキャンバスとして自分を勝手に使った事へのお礼をしろという意味らしい。
それで妹の機嫌が直るなら安いものだと考えた俺は、彼女の要求を受け入れる事にする。
「あまり高いのはダメだぞ。」
「心配しなくても、兄さんの財布の中身ぐらい知っていますよ。」
それが昨日の出来事だった。
地下鉄千代田線の明治神宮前駅を降りると、原宿は目の前である。
待ち合わせの時間は13時であるため、まだ1時間以上ある。
待ち時間を利用して、俺は表参道まで足を延ばす事にした。
いつ来ても表参道は本当に感性を刺激する街だ。
ここに東京の文化の最先端が集まっていると思う。
表参道は地理的には原宿と隣接しているが、街の雰囲気は明らかに異なる。
昔は六本木が東京の最先端の街だったと聞いた事があるが、今の六本木に往時の面影は無い。
原宿も悪くないが、女子向けの街というイメージがあり、銀座はアダルト過ぎる。
結局、表参道が一番俺の感性に合っていた。
俺は表参道の緩い坂道をゆっくりと上りながら、通り沿いにある店のディスプレイや走っている車、歩いている人の服装を注意深く観察する。
そうして観察を続けていた俺は、30mほど先の異変に気が付く。
そこには水色のワンピースを着た若い女性が歩道の端でうずくまっていた。
良く見ると彼女の右足は裸足であり、近くにはヒールの取れた白い靴が転がっている。
どうやら歩いている時に、いきなりヒールが取れてしまい、その拍子に転んでしまったらしい。
俺は彼女に近付くと声をかける。
「どうかしましたか?」
「ええ、少し前に転んでしまって・・・でも大した事ありませんわ。」
気丈な言葉とは裏腹に、彼女の顔は苦痛に歪んでいる。
このまま放っておく事は出来ない。
俺は彼女にヒールの取れた靴を見せると再び話しかける。
「靴がこれじゃあ歩くのは無理だな。ここでは何も出来ないから少し移動しよう。」
俺は壊れた靴を自分のカバンに放り込むと、カバンを置いて、彼女の前に背中を見せた形で座る。
「両手を俺の肩に置いてもらえるかな。」
「・・・はい」
彼女はまだ、俺の言葉の意味が分からないようだが、素直に言う通りにしてくれた。
「そう、そのまま肩をしっかり掴んで・・・よっと!」
「あっ!ちょっと・・・」
彼女は少し驚いたようだが、俺は彼女をおんぶしてしまう。
「しばらく辛抱してくれ。」
俺は片手を離して自分のカバンと彼女のバッグを腕に通すと、再び両手で彼女の身体を支える。
歩き出そうとしたところで、俺は彼女の身体が緊張で固くなっている事に気付く。
無理もない。見知らぬ男にいきなりおんぶされているのだ。緊張しない方がおかしい。
俺は彼女の緊張を解くため、積極的に話しかける。
「・・・それで妹は今でも俺におんぶしろとか言うんだぜ、小学生みたいだよな。」
俺は他愛もない話をしながら、すぐ近くにある表参道ヒルズに入り、ベンチに彼女を座らせる。
表参道ヒルズの中で若い女性がおんぶされている姿は、否応なく目立ってしまった。
「恥ずかしい思いをさせて悪かったな。今から靴を修理するから。」
俺は早速、靴の修理に取り掛かる。
美大生のカバンには、一般人が持ち歩かないような道具が色々と入っている。
「おっ、あったあった。」
俺は瞬間接着剤をカバンから取り出し、外れてしまったヒールの部分を接着すると、そのまま接着剤が固まるまで手で押さえ付ける。
瞬間接着剤は文字通り瞬間で接着されるのだが、本当の接着力を発揮させるためには、しばらく押さえつける必要がある。
万力があれば簡単なのだが、さすがに万力までは持ち歩いていない。
そのため、両手に力を込めて押さえ付けるしかなかった。
力作業のため、空調の効いている表参道ヒルズにもかかわらず、額から汗がにじみ出る。
作業をしている間、彼女は終始無言だったが、俺は彼女の視線を常に感じていた。
『靴の修理が、そんなに珍しいんだろうか?』
俺はそんな事を思いながら作業を続けた。
5分程で靴の修理は終了した。
「応急処置だけど、家に帰る位は持つと思うぜ。」
俺は靴の接着面を安定させるため、修理した靴をそっと床に置いて、しばらく放置する。
「次は右足の治療をするから。」
俺は彼女の踵の下に片手を入れて持ち上げると、もう一方の手で足先を掴んで向こう脛の方向に軽く折り曲げる。
「ウッ!」
彼女は顔をしかめた。
「こうすると痛いか?」
「ええ、少し・・・」
俺は彼女の足先を持ち続けたまま、足首を回す様に動かしながら、彼女の表情を観察する。
それが終わると、俺は彼女の右足をそっと床に下ろし、所見を伝える。
「どうやら骨は折れてないようだな。レントゲンを撮った訳じゃないので断言は出来ないけど、軽い捻挫だと思う。ちょっと痛いけど我慢して。」
俺はカバンから布製の粘着テープを取り出すと、手早く足首を固定する。
彼女は顔をしかめながら再び痛みに耐えている。
「悪いが今履いているストッキングは諦めてくれ・・・、よし、完成」
「ふぅ・・・」
痛みから解放された彼女は、安堵のため息をついた。
治療のため、彼女の正面に向かい合うような形で座っていた俺は、修理した靴を彼女に履かせる。
俺は最終確認のため、そのままの姿勢で彼女に話しかける。
「俺の肩に手を置いて・・・そう。これから俺が3・2・1のタイミングで立ち上がるから、タイミングを合わせて立ち上がってくれ。」
「やってみます」
「じゃあ行くよ、3・2・1、それ!」
彼女は見事に立ち上がった。
「手はそのままで、少し歩いてみて」
彼女は恐る恐る2~3歩進んだところで嬉しそうに報告する。
「大丈夫です!少し痛いけど歩けます。」
「そいつは良かった。」
俺は彼女に笑顔を向ける。
「帰ったら医者には見てもらった方がいいけど、2~3日患部を固定した状態で安静にしていれば、元通りに歩けるようになるはずだよ。」
「ありがとうございます。」
「今日はこのままタクシーで家に帰った方がいい。」
俺は彼女のトートバッグを肩に掛けると、彼女に肩を貸しながらゆっくりと表参道ヒルズを後にする。
外に出れば、そこはもう表参道の大通りだ。
タクシーは直ぐにつかまった。
俺はタクシーに彼女を乗せると、注意点を伝える。
「さっき言った通り、靴はあくまで応急処置だから、落ち着いたらショップに持って行って修理してもらった方がいい。高い靴なんだろう?」
「本当にありがとうございました。あの、あなたの名前と連絡先を教えて頂けませんか?今度お礼をさせて下さい。」
「そんなのいいって、別にお礼が欲しくてやったわけじゃない。俺の名前は御門だ。じゃあな。」
そう言い終わったところで、タクシーの扉が閉まる。
彼女は後席の窓を開けて俺に話しかける。
「私は友梨佳、蘭堂友梨佳と申します。」
俺は笑顔で彼女に手を振って別れを告げると、タクシーは走り去っていった。
走り去るタクシーを見送った俺は、大事な事を思い出す。
これから妹と待ち合わせだったのだ。
『やばいな、このままだと遅刻だ。妹のやつ、怒るだろうな。』
俺は遅刻の言い訳を一生懸命に考えながら、待ち合わせ場所に急ぐのだった。