69.農場見学
な、何だこの得も言われぬ緊張感は。
エリーは元よりそれほど喋る方ではない。なので、シャルロッテという貴族令嬢がいることで自分から声をかけ辛いことは理解できる。
一方でシャルロッテであるが、真っ直ぐ前を見たまま俺の前をずんずん歩いていた。
彼女、普段からやたらと会話するように思えるんだけど、実のところそれほどお話好きというわけじゃあないんだ。
次から次へと畳みかけるように会話が止まらないのは、全て仕事に関する連絡だからなのである。
今、俺たちは農場の様子を見るために屋敷から出た。
そして、シャルロッテは先導を買って出てくれているわけだ。
きっと、農場に到着したら彼女は饒舌になるに違いない。
「エリー」
「はい。あなた様のエリーはここに」
「後ろじゃあなくて、横を歩かない? 三人いるのに、一列になるってなんかこう」
そう、さっきから妙な緊張感が漂っているのは、何も無言だからというわけじゃあない。俺たちの配置にある。
前を行くシャルロッテは道案内のつもりで、エリーは後方を固める護衛なのだろう。
分かる。そいつは理解できるのだけど、前と後ろに挟まれる俺の気分を察してもらえないだろうか。
未開の地カンパーランドだから、護衛が必要。
分かる。
だけど、もはやここは未開の地ではなく、開拓地だ。
突然モンスターが襲撃してくることなんてない。来たとしたら、俺のところに来るまでに誰かが気が付く。
そのために警備の人たちが巡回しているわけだしさ。
俺から呼びかけると、エリーの判断より俺のお願いが上回ったのか、彼女は迷う様子もなくすううっと足音も立てずに俺の隣に並んだ。
何、今何したの?
「どうかなされましたか?」
「いや、何も。平和なことは良いことだ。警備の人たちも頑張っていてくれているし」
「はい。物々しい警護は必要ないのかもしれませんね」
「だろ。もう張り付いて警護なんて要らないって」
「そうでしょうか。『物々しい警護』は必要ありませんが、要人警護は必要かと存じます」
「そ、そうかな……」
「私では、頼りないですが……申し訳ありません」
「いやいや、そのうちもうピクニックや散歩感覚で一緒に歩いてもらうようになるさ」
「その時は是非、お誘いください!」
華が咲いたような笑顔を見せるエリーに俺の口元も綻ぶ。
安全とは健康と似たようなものだと思っている。何も意識しない状態こそが至上なのだ。
健康だって、体調を崩すと健康のありがたみが分かるように、安全だって危険な目にあって初めて安全でよかったって分かる。
だけど、この世界の「危険」は命に係わることが多いのだ。
猫に引っかかれましたなら、次は引っかかれないように気を付けようで終わるが、ドラゴンのブレスを受けましたじゃあ、「次はない」からね。
怖い、異世界怖い。
これだけ平和だと忘れそうになるけど、つい最近だって俺は見たじゃあないか。
人智を超えたモンスターの凄まじさを。
慢心はいけない。警備のみなさんに感謝を。
心の中で手を合わせていたら、中央広場にまで到達。
アルルが大きな旗を振り回して、何かをアピールしている姿が見える。
早いな、アルル。いつの間にあのような旗を作ったんだ?
「旗ですか? あれはヨシュア様の警護をしていない日の私とアルルが交代で制作したものです」
「へえ。人材を探すため?」
俺の様子に気が付いたエリーが補足してくれた。
「おっしゃる通りです。葦を編んで布にして、染料で文字を描いたのです」
「凄いな。見事なものだ」
「見事と言えば、何度見ても感嘆のため息しか出ません。あの凛々しいお姿」
エリーが何か言っているが、ここで立ち止まる俺ではない。アルルに軽く手を振るだけに留め、とある一点を見ないように広場を抜ける。
前を行くシャルロッテが敬礼していたが、それも見て見ぬ振りだ。俺は何も見ていない。見ていないのだ。
◇◇◇
「うおお。これは予想以上だ」
開墾が進んでいるとは聞いていたけど、いざ目の前にするとこいつはすげえと思うって!
俺の立つ位置のすぐ真後ろは街から続く道(予定地)の白線が引かれているんだけど、前は一面の耕作地帯になっていたんだよ!
前方は五百メートルくらい開墾が進んでいるんじゃないだろうか。
右手は街になるけど、反対側はずーっと農地が伸びている。
一面に広がるは……葉っぱが伸び始めている枝の切れ端。
そう、キャッサバの枝である。
俺が来たことが伝わったのか、麦わら帽子を被った中年の男が顔を出す。
シャルロッテとエリーとは知り合いなのか、彼に向けシャルロッテから声をかけていた。
「トーマスさん。おはようございます!」
「シャルロッテ様、今日もお元気ですね。エリーさんも」
やあやあと人好きのする笑みを浮かべた麦わら帽子のトーマスが、体を揺する。
半袖のシャツから伸びる腕は太く、日焼けした肌が彼が外で仕事をしていたことを示していた。
ちょっとお腹が出ているけど、それもまた彼の人のよさの表れのように思えて何だか和む人だなあというのが俺の第一印象だ。
シャルロッテと気さくに挨拶をしたところで、トーマスが俺を紹介して欲しいとでも彼女に言おうとしたのだろうか。
さりげなくこちらに顔を向け、固まる。
な、何だ?
俺そんな変な格好をしていたかな。変なのは広場のアレだけにして欲しい。
「ま、ま、まさか。ひゃあああ」
「え、え、え? 後ろに何かいる?」
「ご心配ありません。後ろにモンスターはおろか、蛇など小動物の気配もありません」
トーマスが変な悲鳴をあげてペタンと尻餅をついてしまったから、キョロキョロしてしまったけどエリーが問題ないと返してくれた。
ちょっとドキドキしてしまったぞ。
「シャル。この人は?」
「この方はトーマスさんです。畑のことで以前からエリーさん、アルルさんと農家の人の間に立っていてくださったのであります」
じゃじゃーんとばかりに自分の体を一歩横にずらし、トーマスを紹介するシャルロッテ。
「なるほど。農家の人と調整役を買って出てくれていたんだな。ありがとう、トーマスさん」
「は、は、はい。や、やっぱり、ヨシュア様ですよね!」
ようやく立ち上がったトーマスは麦わら帽子を脱ぎ、驚きを露わにする。
「あ、う、うん」
「ひゃああああ! ヨシュア様! あ、握手して頂いても?」
別に断る理由もないので、トーマスと握手を交わす。
彼は大変感激したように自分の手を見つめ、ギュッと手を握りしめた。
「そうだ。トーマスさん。最初、キャッサバのことでエリーとアルルに間違った内容を伝えてしまってすまなかった」
「い、いえええ。とんでもございません。キャッサバの発見、毒抜きまで含めてヨシュア様のご慧眼に恐れ入ります。まさか小麦の代わりとなるものが初日から見つかるなんて」
当初俺は、キャッサバを増やすには根っこを埋めたらいいと伝えてしまったんだ。
よくよくちゃんと調べたら、キャッサバを増やすには5センチから7センチほどに枝を分けて、ただ土に突き刺すだけで育つことが分かった。
キャッサバの生命力恐るべしだよな。
畑についても、小麦のようにきっちりと耕す必要はなく、育成上栄養を取り合う雑草を取り除き、根を張るのに邪魔になりそうな大きな石を掘り返す程度でよいというのも後から指示を出した。
しかし、杞憂というか専門家はやはり違う。
彼らはキャッサバが自生している環境を観察することで、すぐにどの程度耕せばいいのか判断をつけていたのだ。
もちろん、作物はキャッサバだけというわけにもいかないから、育成する作物によって畑の作りを使い分けることも肝要である。
この辺はもう俺が手を出せる領域ではなく、農家のみなさんに頑張ってもらうしかない。
俺が出来ることは新たな作物を発見し、それがどのようなものか概要を伝えることだけだ。




