38.待ち構える件
「風よ。我らを護り給え」
セコイアの普段からは考えられないような凛とした声。
彼女の言葉は精霊に呼び掛ける呪文なのだろうけど、見た目には何ら変化がない。
「以前も使った魔法と同じじゃ。一度だけ衝撃から護ってくれる」
「ありがとうな」
セコイアに礼を言いつつも俺の意識は別のところに釘付けになっていた。
それは、あまーい香りに他ならない。
この香りは、先ほどパイナップルの群生地に姿を現した蔓の化け物から出ている。
そう、蔓がぐるぐると巻き付いて木質状になり、てっぺんからずらーっと蔓が伸びたキラープラントだ。
雷獣が捕食していたというが、あいつのイチゴみたいな赤い果実からあまーい香りが出ているのだろう。
キラープラントは近づく者を蔦で絡めとり……あ、いい香り……。
「待て。キミが誘われてどうする」
ふらふらと誘われるように腰をあげたところでセコイアに後ろから手を掴まれる。
「でも、あの香りは」
「全く」
セコイアが俺の手の甲にむちゅーと口づけをした。
「涎が酷い」
「ようやく元に戻ったようじゃな」
「俺はどうにかなっていたのか?」
「うむ。キラープラントの香りに誘われて夢遊病のようになっておったぞ」
「お、おう。そいつはすまん。涎のおかげで元に戻れたのか」
「ヨダレというな! 乙女の接吻じゃ」
「あ、うん。はいはい」
口ではセコイアをからかいつつも、心の中でもう一度彼女に感謝の言葉を述べる。
それにしても甘い香りか。
キラープラントの鑑定は行った。確か種族名ツリーピングバイン(蔓型)といって、蔦で近づいた獲物を捕食するという。
誘引の手段として甘い香りを使うってことだな。鑑定はしたんだが、細かいところまで見てはいなかった。
思い出せ。何か他に書いてあったことで、今使えそうなことを……。
「甘い……か」
「甘いのは夜にするがよい。めくるめく夜をすごそうではないか」
「夜は一人でいい。寝たい。たっぷりと寝かせてくれ。と、冗談はこれくらいで」
「何か思うところがあるのかの?」
「甘いんだよな。ちゃんと鑑定しておきゃよかったんだけど、あの赤い果実って食べても甘いのかな?」
「餌がきおったから、このまま雷獣を待とうかと思ったのじゃが、あれ、伐採するかの?」
「んん。一時間ほど待ってみて、雷獣が来ないようなら頼んでいいか?」
とりあえずは待ちか。
雷獣が来てくれたらラッキー。こない場合は餌であるキラープラントの性質を調べ、雷獣がどのような「味を好む」のか調査しよう。
物によってはこちらで雷獣の好む餌を準備し、呼び寄せるとかも可能だろうから。
「倒すなら、俺がやるぜ。ヨシュア様」
横で俺とセコイアの話を聞いていたバルトロが親指をグッと突き出し、ニカっと白い歯を見せた。
「その時は頼む。今はしばし待ってくれ」
「あいよー。いつでも言ってくれ」
いつでも動き出せるようにか、踵を浮かして片膝を立てしゃがむバルトロ。あの体勢をずっとだと疲れてしまいそうだけど、俺が心配することじゃあないか。
彼だって足が痺れたら体勢を変えるだろ。
◇◇◇
――三十分経過。
来た!
来たぞ。雷獣が。
誰からも説明されずとも一目見たら分かる。
体の作りとしてはトラとヒョウの間くらいといったところ。がっしりとしているが、しなやかさも兼ね備えているように見受けられる。
体長はおよそ5メートル。白と黒の虎柄の毛皮を持つが、ビリビリと青白い紫電が全身を覆っているため白いふさふさの部分が青みがかって見える。
顔も虎に似るが、頭から二本の捻じれた角が生えていて虎との違いは明らかだ。
「俺たちには興味がないみたいだな」
「うむ。あやつの狙いはキラープラントのみじゃ」
セコイアに聞いていた通り、雷獣はこちらには目を向けようともせず真っ直ぐにキラープラントの元へ向かっていた。
のっしのっしとゆったりとした動作で歩くその姿は、森の王者に相応しい貫禄を備えている。
とっても強そうで、素人の俺ですら雷獣からの圧力でジワリと手に汗が滲んできた。
緊張した面持ちのガルーガはともかくとして、セコイアとバルトロは涼しい顔をしている。
バルトロなんて口笛を吹く仕草で誤魔化しているものの、飛び出したくてうずうずしているみたいだし……。
庭師って、害獣駆除も担当だったっけ?
でもダメだぞ。狩猟するのが目的ではない。
ここからは動物と会話できちゃう野生児を頼る。
「セコイア。頼りは君だけだ。頼む」
「うむ」
ここぞとばかりにセコイアの頭をナデナデし、ふさふさの狐耳も優しくさわさわした。
効果覿面だったようで、口元が緩み一筋のよだれまで垂らしたセコイアが「よおし、よおし」とガッツポーズをしている。
「さあ、行くのだ。動物と会話できる野生児よ」
「妖精とかもうちっと言いようがあるじゃろ。まあよい」
立ち上がったセコイアは首をぐるりと回し、大きな丸い目を閉じた。
なんかこう動物と会話する時に、髪の毛が浮き上がったりとかそういう演出は一切なく、セコイアの見た目には何ら変化がない。
「うむ。そうか。ヨシュア。頼み事は内容次第で聞いてはくれそうじゃ。ただし、食事の後でということじゃ」
「お、おお。見た目は怖いが結構いい人……じゃない獣だったんだな。こちらからもお礼を考えたい。なので、赤い果実を一つだけ残してもらえないか聞いて欲しい」
「……。果実を残す件は大丈夫そうじゃ。キミの願いは?」
「避雷針に思いっきり電撃アタックをして欲しい」
「……よくわからん奴じゃなほんと……。……うむ。構わんと言っておる」
「やったぜ!」
目的のうち一つはあっさりと達成できた。
もう一つの目的は、雷獣と親しくならないと厳しい。
今後に期待だな。うん。
おいしい餌を準備して、雷獣の気を引けば何とかなるとは思うんだけど。
ともかく、俺たちは雷獣の食事が終わるのを待つとしよう。
「バルトロ、ガルーガ。避雷針の準備を頼む」
「ヨシュア殿。地面に鉄の棒を突き刺せばよいのか?」
「うん、周囲に高い木が無いところがいい。そうだな……あの辺りがいい」
俺がスツーカの木を切り倒した辺りを指さす。
ちょうどあの辺りは周囲に高い木が生えていない。
それにしても、雷獣の喰いっぷりは凄まじいな。
電撃でキラープラントの動きを止めて、そのまま捕食するとか。
この分だとあっという間にキラープラントを完食しそうだ。
「そろそろよいぞ」
「うっし。じゃあ、ガルーガ。避雷針を立ててくれ」
「承知だ」
避雷針を担いだガルーガが、俺の指定した場所に避雷針を突き立てた。
用が済んだからはすぐに踵を返し、俺たちのいるところまで戻る。
「セコイア。準備が完了だ。もう少し離れた方がいいかな?」
「……伝えた。この位置なら大丈夫じゃろ。風の加護もある。キミの準備したローブもあるじゃろ」
「分かった。では、実施するように頼んでくれ」
「相分かった」
セコイアの願いに応じ、雷獣が避雷針の方へ体の向きを変えた。
いよいよだ。




