376.カレー祭り
お誘いが来た。この日を待ち望んでいたぞ。
予言と神託の領民への発表は静かに受け止められた。特に社会不安が起こることなく、「ヨシュア様がいらっしゃれば……」と言う空気が漂っているそうだ。
もちろん、ネラックでもローゼンハイムでもちゃんと演説したさ。いつもの絶叫歓声が返って来たよ。
俺への賛辞はともかくとして、領民たちが冷静であってくれたことが嬉しい。連合国の発表に遅れ、帝国・共和国ら聖教国家でも予言と神託の発表と連合国の解釈が付け加えられた。
解釈と言っても、「混乱をもたらすものではない」と一言添えただけなんだけどね。
そうそう。連合国が発表したからと言って他国が同じく続く必要はない。予言と神託の解釈は、神ではなく人の世界に委ねられたことである。
なので、各国の君主または代表が解釈を発表するのだ。
連合国の解釈に対し右に倣えをする必要はない。発表の順番も定められているわけではないが、聖女が住む国から発表するのが慣例となっている。
後から聞いた話であるが俺が辺境へ行くことになった予言と神託の件は、各国解釈の内容が異なっていた。
「おっと。はやくやらねば!」
んーっと伸びをしてから、山盛りになった書類に手を付け始める。
無心だ。無心でサインをこなすのだ。
何度目だよこれ。
答えはほぼ毎日だよ! と回答しておこうか。
一人ノリ突っ込みをしても、書類が減るわけではない。
お誘いのためにも、強敵どもを片付けなければならない。
「う、うおおおおお」
無心の後は謎の雄叫びである。これもいつものパターン。
「やあ。ヨシュアくん」
「まだかの?」
ペンギンを抱っこしたセコイアが扉を叩くこともなく入室した。
俺の執務室にノックをせずに入って来るのは狐くらいのものである。
もっとも、彼女の場合は扉から入って来ることが珍しいけどね。窓が勝手に開いて……のパターンが多数だ。
一方の俺は叫び声か聞かれたことで慌てて平静を装う。
「も、もうすぐ、だ……」
「ボクは人間社会のことは分からぬが、その紙の束は『すぐに』ではなかろう」
呆れて両腕を組むセコイアには苦笑いを返すしかない。
しかも……見たくない赤毛が彼女の後ろに見え……見えない。絶対見えないぞ。
「閣下! お待たせしました!」
聞こえない。聞こえない。
耳を塞ごうかと思ったが、彼女の場合は心配されて医者に、となりかねないので我慢した。
いつもながら、美しい赤毛をアップにし着衣に一切の乱れなく敬礼……はできないので顔だけをあげるシャルロッテに気が付かないフリはできないな。
耳がキンキンするくらい大声だし。
彼女が敬礼できない理由は至極単純なこと。そう、書類を山ほど抱えているからに他ならない。
「執務室机に置いてもらえるか?」
「はい!」
ドシンと音を立てた気がした。それほどの書類の量だったのだ。
今処理をしている書類の残りと比べ、倍はある。
ひ、ひいい。
表面上は平静を装い、内心悲鳴をあげる俺に対し、シャルロッテは慈愛のこもった笑みを見せる。
「閣下。委細承知しております。お運びいたしますよ!」
「え。あ」
「閣下に了解を取るまでもない些事でしたので、飛行船に閣下の愛用している執務机と同じものを用意しております」
「そ、そうか。それなら書類作業が飛行船でもできるな」
「はい! 宿にも持ち込むことができますよ! それと、こちらを」
もうどうにでもしてくれなっていた俺にシャルロッテの勢いが止まらない。
腰の専用ホルダーからシャキッと取り出したるは牛乳である。
ありがたく受け取り、すっと立ち上がった。
左手を腰に当て、顔を上に向け牛乳瓶を口に付ける。
「ぷはあ」
「いつもながら見惚れてしまいます! 閣下、飛行船のご準備はできております。ペンギン殿とセコイアさんと共にお越しください」
「分かった」
「何も持たずで問題ございません。『全て』お運びいたします」
「全て」を強調するシャルロッテに背筋が寒くなった。
「は、半分くらい忘れちゃった、てへ」なんてことにはならないよな。彼女の場合。
「じゃ、じゃあ。行こうか。大森林へ」
「うむ」
「楽しみだね」
待っててくれた二人へ声をかけ、いざ飛行船へ向かう俺たちだった。
膨大な仕事を残して……。持ち込みたくないから必死で書類を処理していたのに……。
あれだけ追加されたらもうどうしようもないわな。
諦めの境地に達しつつも、大森林への思いでどうにか自分を奮い立たせる。
◇◇◇
「ヨシュア様。到着いたしました」
黒髪に前髪ぱっつんヘアのエリーの顔が近い。
たぶん何度か呼びかけてくれたんだろうな。気が付いて顔を上げたら髪の毛が彼女の髪の毛に当たりそうになるほどだった。
目が合うと、彼女はささっと身を引き、顔が真っ赤になる。
「し、失礼いたしました! つ、つい。ご尊顔に近寄ってしまいました」
「いや、気が付かなかったから心配してくれたんだよな。ありがとう。粗方終わったよ」
「ヨシュア様の集中力は見事としか言いようがありません!」
「そ、そうかな……」
心を無にするスタイルは、今のように回りの音さえも遮断する。
いつの間にか書類が減っていて、時間も経過している素人が真似をしたらいけないスタイルなんだ。
繰り返し過ぎると、反動がヤバい。
虚無になってしまうんだぞ。俺の場合は仕事以外でも周りからの刺激が多いため、元に戻ることができている。
やる時は用法時間を守ってやってくれよな。
って、誰に向かって言ってんだよ。やはり、無が俺を浸食していたか。
自然と額に指を当て、カッコいいポーズをとっていたら、エリーの視線を感じて慌てて指を離す。
「も、申し訳ありません! ヨシュア様のお考えを邪魔してしまいました!」
ぽーっと俺を見つめていたエリーが慌てて深々と頭を下げる。
「ヨシュア。いちゃつくのも良いが、いや、良くはないが、降りぬのか?」
「降りる降りる。書類は置いていく」
「お任せください! エリーが全て持って行きます」
狐に手を引かれつつも、執務机に手を添えるエリーに対しタラリと冷や汗が流れ落ちた。
ま、まさか。執務机ごと「全て」を運ぶのか。シャルロッテが「全て」と言っていたな、確か……。
その机を見ると、仕事のことを思い出すじゃないか!
せっかくの大森林の夜が……。机を視界に入れなきゃいいだけだ。ははは。
やって来たのは大森林の都「サークルクラウン」だ。
今回も湖に着水したわけだが、飛行船のタラップに前回より大きな船が横付けされていた。
彼らも二度目となると慣れたものだな。前回は唐突だっただろうし、今回は飛行船が見えたら船を出してくれたのだろう。
彼らの気遣いに感謝しかない。
大森林からの誘いとは「カレー大会」だったのだ。ナンバーワンカレーを決めて世界樹に捧げる一大イベントの記念すべき第一回目にお呼ばれした。
カレー好きの俺としては、招待状が届いてから今か今かと待っていたのだよ。
いよいよ今日、大森林の猛者たちが様々な絶品カレーを提供してくれるこの場に来ることが出来た。
しばし、仕事のことを忘れ、カレーに舌鼓を打つことにしようではないか。




