372.賢き者
神託と予言の解釈は一旦置いておいて、内容を公にするのをいつにしよう、とか、新聖女に神託が降りたことを公にするか、など、事務的な取り決めに話を移すとしようか。
「神託と予言を発表するのはいつでも構わないけど、大公の解釈発表もするかどうか、だよなあ。今回の神託と予言は取り方によっては真逆になる」
「ヨシュア様としてはいかがでしょうか?聖教は政治的に関わることができません。神託と予言をどう取り扱うかは、国にお任せいたします」
枢機卿が述べたことは、この場の全員が理解していること。
独り言のつもりが、どうやら口に出ていたらしい。考え事をしている時に口に出してしまう癖があるのはどうしてもなおらないのだよなあ。
俺も聖教と政治のことは重々分かっているので、彼に意見を求めるつもりはない。領民への発表についてはシャルロッテとグラヌールに相談しようかなと思っている。
彼に聞きたいことは別のことで、そのために何が必要かって考えを整理していたんだ。
「ただの独り言です」と説明するのも微妙な気がするから、誤魔化しつつ聞くとするか。
「発表の件については、宗教的な解釈をお聞かせいただきたかったところがあったからです。発表するとなると、マルティナとリリーの件にも触れるのかどうか、など」
「事実をありのままに。それが神の御心でございます。新聖女様に神託が降りた。しかしながら、聖女教育中の身である故、聖女様がしばらくの間、神事を行う、と」
「ありがとうございます。私の考え方と同じで少し驚いています」
「全ては神の御心のままに」
枢機卿が指先をひし形に動かす。
ひし形を描くのは、簡易的な祈りの動作なんだって。聖女の人以外がひし形の動きで祈っている姿を見たことがないかも。
いや、嘘をついた。見たことがあるぞ。信心深い聖教徒は食事の前に指先をひし形に動かしていた。
俺は、両手を合わせて「いただきます」だけどね。へへ。
もう日本にいた頃の俺じゃないってのに、何故か「いただきます」の習慣が抜けないんだよね。誰からか突っ込まれると思ったけど、幼い時から特に何も言われていないという。
それはそれで不気味なことなのだけど、幼い時から政治に関わったじゃないか。それはギフトから来るものだと勘違いされていたようで、誰も俺が政治に関わることに反対しなかったんだ。むしろ……いや、思い出すことはしない。とにかく激しく働いたってことだけ、伝えておくとしよう。
勘違いがあったから、俺がローゼンハイムの人から見て不思議な儀式をやっていても、そういうものだ、って流してくれたんだろうな、きっと。
さて。話を戻すとしよう。聖教としての見解は「事実を包み隠さず伝える」だった。
世界樹信仰の方は「俺の一存で決める」なので意見が一致し、これにて「事実を包み隠さず伝える」案で決定だ。
「もう一つ、聞いておきたいことがあります。アリシアはローゼンハイムからネラックへ引っ越します?」
「はい。神託が降りた以上、神託が降りる地が聖女の住む地となります」
これには枢機卿でなくアリシアが応じる。
あの笑顔苦手なんだよな。整い過ぎた彼女がやるとまるで絵画のように綺麗だ。
でもなんか、作り物っぽくてさ。普段の彼女の顔を知っているだけに残念に思う。
彼女が仕事で聖女スマイルを作っていることは理解の上だけどね。
「どうされましたか?」
「あ、いや。ええと」
彼女の顔を凝視したつもりはなかったのだけど、抑揚のない彼女の声が先んじた。
こちらが尋ねる前に尋ねられてしまったことで戸惑いはしたが、指を二本立て、言葉を続ける。
「どこに住むのがいいのかな。一つはネラックの教会。マルティナとリリーの住居だと、どちらかに寄っちゃうから、もう一つは新しく屋敷を建てることかな」
「わたくしはどちらでも構いません」
「アリシアはそう言うと思ったよ。教会は二人の家からわりに距離があってさ。ああ、いや、教会のがいいか」
「住居には何かあるのですか?」
「新規に建てるとなると、出来上がるまでセキュリティーを考慮したら俺の屋敷にしばらく住んでもらうことになるんだよ。それじゃ落ち着かな……」
背筋に悪寒を覚え、途中で言葉が詰まってしまった。
う、アリシアから何やら黒いオーラが見えた気が。気のせい、気のせい。
彼女はいつも通りの聖女スマイルのままじゃないか。
「マルティナとリリーも俺の屋敷にいることだし、親交を深める意味でもしばらく俺の屋敷で我慢してもらう、でいいかな?」
「はい」
一瞬だけだけど、彼女が本来の顔を見せた気がする。
教会は嫌なら、嫌だと言えばいいのにと思ったけど、彼女の立場上口に出すことは難しいよな。
聖教のトップである聖女が、教会に住むより屋敷がいいです、なんて言えるわけがない。
察して、教会に住む選択自体を出さずに済ませるのがベストであったが、後の祭りである。
何とか事なきを得たのでこれで良しとしてくれ。
◇◇◇
アリシアと枢機卿は一旦ローゼンハイムに戻ることとなり、遅い夕食をとった俺は風呂につかり、何とも言えない汚い声を出す。
「あああああ。この瞬間のために生きているのかもしれない。ううばああああ」
タオルを頭の上に乗せ、風呂の淵に背中を預け両手をんんんと伸ばしたら、またしても汚い声が出た。
「うーん。それにしても『王』とは何者なんだろうなあ」
ぼーっとしていても、先ほど聞いたばかりの神託と予言を思い出してしまう。
「王が生まれる。驚愕と恐怖をもって。後に、歓呼に変わる。幸せの下、新時代の統治がはじまる」と神託が述べ、
「賢き者は王に傅く。感涙し、叫ぶだろう。世界が変革される」と予言が降りる。
これまでの神託と予言であれば、聖教国家の領域内が対象だった。
しかし、今回は世界樹信仰のマルティナが神託を受け取っているのだ。これまでと同じと考えるのも危ういか。
ならば、対象となる領域はどこからどこまでに?
大森林だけを加えればいいのか、レーベンストックや、遠くホウライまで含めるのか。それとも、共和国が取引している海の向こうまで?
考えてもキリがないよなあ。
ガラガラガラ。
唐突に扉が開く音がして、誰かが中に入って来た。
俺に断りなくいきなり扉を開ける人は限られている。足音からして涎狐ではないことが見なくても分かった。
ペタペタと歩くその音は――。
「ペンギンさん、戻ったんだ」
「ヨシュアくんがまだ風呂だと聞いてね。ならば、私も入らせてもらおうと。一人で入るには少し辛いところがあってね」
「ペンギンさんのフリッパーだと背中が洗えないもんな」
「そもそも、お湯を出すのも難しいね」
「そうだった」
「やあ」と右のフリッパーをあげるその人は、俺の中で「賢き者」認定しているペンギンだ。




