363.浄化
「昔、水の浄化について喋ったことを覚えてる?」
「うん! ペンたんがもぐもぐする!」
「そう。モグモグするんだ」
「えへへ」
「えらいぞお」とアルルの頭をなでなでする。彼女は気持ちよさそうに目を細め猫耳をピタンとさせた。
覚えてるのか覚えてないのかの判断がつき辛いけど、そこはご愛嬌。多少でも彼女の記憶に残ってれば良いんだ。
「ネラックで浄化槽を作る話をした時にその場に居なかった人もいるから、もう一度説明しておくよ」
「そうだね。認識の確認にも浄化の仕組みについて振り返った方が良い。今回の計画は既存の浄化設備の改良になる」
ペンギンのお墨付きをもらったことだし、解説をしよう。二度目なので手慣れたものだ。
「水中の魚を想像して欲しい。魚は水草を食べ、排泄する。魚の排泄物と太陽の光が水草の栄養となり、繁茂するんだ」
「魚と水草と同じように、水の中にも目に見えない食べ食べられの自然の摂理があるのじゃ」
お、セコイアが指を立て解説に加わってきた。
「汚物の混じった排水は目に見えない生き物にとってご馳走だ」
「ご馳走を食べると水が綺麗になるわけじゃな」
「目に見えない生き物が増えてくると水中の酸素が足りなくなってくる」
「じゃから水をかき混ぜるのじゃ」
うんうん。完璧に理解しているじゃないか、セコイア。
「なるほどのお。水中にある自然の理を使うのか。ヨシュアの。やはりお主は面白い」
「ですな。ですな」
ガラムとトーレが嬉々としてうんうんと頷く。
いやいや、職人の二人は以前この話をした時に聞いていただろ。酒で忘れているのかもしれないな。
そして、俺とセコイアの解説にペンギンが補足を入れてくる。
「今回はため池に加え、三つの浄化槽を使えばと考えている。ヨシュアくんとセコイアくんが解説してくれた曝気槽――好気細菌槽に加え、大きな汚れを取り除く槽、そして最後は魔素を危険レベル以下にする分離槽だ。分離槽は開発が必要だね」
「嫌気槽は無しで行くの?」
「嫌気は時間がかかるし、特別な設備を用意するのが難しい。となると浄化に時間がかかってしまう」
「これまで通りため池で、ということだな」
「ご名答。ぬぐう」
セコイアに唇を掴まれた。ついでにペンギンも。
「またボクを置いてきぼりにしおってからに。説明するが良いぞ」
「すまなかったね。セコイアくん。いや、ここにいる人たち全員に。つい、ヨシュアくんと喋るのが楽しくてね」
ペンギンがペチンと白いお腹を叩いて謝罪する。お腹ペチンは和む。
「汚水もそうだけど、水路を流れる水には浄化槽に流れ込むまでに、色んな物が紛れ込むだろ。落ち葉とか枝とかさ。虫の死骸なんてものもあるかも」
「そうじゃな」
「グルグル水を混ぜるにも大き目の固体があると邪魔じゃない? 回転させるモーターが詰まって動かなくなるかもしれないだろ」
「ふむ。第一槽はまず障害物を取り除くのじゃな」
「うん。加えて砂利も使って目に見えないレベルまで固体を取り除くんだ。こうしてから次の曝気槽に送るんだ」
「理解できた。今回は魔素が入っておるから、魔素を発散させる設備を追加するのじゃな」
「その通り。何槽目にするかとか、どうやって魔素を危険レベル以下にするのか、などを実験検証しなきゃならない」
よしよし。セコイアも納得してくれたようだし、次へ。
尻尾がまたしてもペチペチと……。
「な、なんだよ」
「いや、まだじゃ」
「まだ何かあったっけ」
「あったじゃろ。好気とか嫌気とかカガクじゃろ」
「そうだけど……」
「説明するがよいぞ」
間違っていたらペンギンが指摘してくれるし、彼と嫌気槽を控える見解が一致した認識合わせにも良いか。
「好気とは酸素……空気がある環境のことで、その環境で生きている生物のことを好気生物と言う。嫌気は逆で空気がない環境のことなんだ」
「ほほお。嫌気槽と言っておったの。まさか、空気がないところで生きている者がいるのかの?」
「うん。嫌気環境で生きている小さな生物がいる」
「興味深い! カガクとは生き物のことまで解明するものなのじゃな! 知れば知るほど楽しいのお」
すんごい勢いで食いついて来た。噛みつかれそうなほど至近距離に彼女の顔が寄っている。
噛みつくなよ。あと、涎も勘弁しろよ。
俺の内心など知らず、セコイアは興奮した様子で尻尾をあげ、耳も忙しなく動かしている。
「セコイアがさっき言っていた通りなんだけど、思い出して欲しい。汚れた水を目に見えない生物が食べて浄化する」
「うむ。小さな生物を大量に発生させるために空気を送り込むのじゃな」
「うん。それでさ。浄化した後には底に泥が溜まって」
「それが畑の肥料になるんじゃろ」
「そそ。魚がいて排泄物を出す。これを小さな生物が無害な肥料に変える。泥になればいいけど、水の中に溜まったままになるものも多い」
「水草の栄養になるんじゃないのかの?」
「うん。ため池なら水中植物の肥料になって消費される。だけど、ため池を使わなかったらどうだ?」
「肥料が豊富な水じゃろうが、何か問題があるのかの?」
「肥料が豊富ってことはさ。植物なり目に見えない小さな生物が湧きやすいだろ。目に見えない小さな生物の中にも植物みたいなのがいるんだ。その中には人体にとって余り良くないものが混じってたりもする」
「ほおおおお。面白い。そこで嫌気を好む生物が出て来るんじゃな!」
さすがセコイア。察しがいい。
本当は細菌とかの用語を使った方が喋り易いのだけど、よけい話がややこしくなると思って小さな生物で突きとおした。
「その通り。嫌気を好む生物が栄養豊富な水を分解してくれるんだ」
「ため池の植物の代わりをするのじゃな」
「ため池だと植物量が少なかったり、予想がつかないところがあるけど、嫌気槽なら植物の成長を待たなくてもいい」
「ならば、作ればいいんじゃないのかの? 嫌気槽なるものを」
「いや、管理が難しいなあと思って。嫌気槽は空気が入るとダメだし、有害なガスが出てきちゃうこともあってね」
「嫌気を好む生物は空気で死滅するのかの! 面白い、面白過ぎるのじゃ!」
「死なないのもいるけど、死滅するのもいるね」
……詳しい解説まではしなくていいだろ。
セコイアが満足したようだしね。
俺からすると今の説明だと却って分かり辛い。
アクアリウムで想像するのが俺的に一番わかり易いかなあ。
魚がフンをすると、水にアンモニアが溶け込む。アンモニアは魚にとって有害だからそのままだといずれ魚は死んでしまう。
そこで好気細菌をアンモニアに反応させ硝酸塩にする。硝酸塩は比較的無害であって、魚であれば結構な濃度でも平気だ。
硝酸塩は水草の栄養になり、硝酸塩で育った水草を魚が食べてフンをする。そしてまた水草が……。
んじゃ、水草がない場合はどうなるんだろうか。どんどん硝酸塩が溜まり、水が富栄養化と思うじゃないか。
そこで登場するのが嫌気細菌である。嫌気細菌は硝酸塩を窒素に変え空気中に戻す。これを脱窒と言ったりもする。
まとめると、アンモニアが硝酸塩になり窒素になる。
さて、浄化槽に話を戻そう。
汚れた水を好気細菌で分解し、嫌気細菌で脱窒する。こうすることで水は汚れる前の状態に戻るのだ。
自然のサイクルを回すためには嫌気槽も必要になるのだけど、今回は嫌気槽を維持管理することが難しいので、最後はため池の自然に任せることにしたのである。




