362.ささ、ささ
「久しぶりじゃのお。この感じ」
「ほほほ。腕が鳴りますな。ささ。ささ」
「ちょ、ちょっと待って。アルルがチョークを持ってきてくれているから」
酒を飲んでいないガラムとトーレは本気モードであった。
稀に酒を飲まずに話を聞いてくれる時があるんだよね。その時はいつもの倍以上の食いつきを見せる。
いつ以来かな、これ。橋の時……? いや、飛行船の時や魔石機車の時もそうだったかもしれない。
「鍛冶場に集合すると若干狭いのお」
「いやでもさ。ここが俺たちの原点じゃないか」
愚痴を言ったものの狐耳をピクピクさせ八重歯を見せるセコイアはまんざらでもない様子だ。
そんな彼女の元にお茶を出すエリー。
そこへ窓からアルルが逆さまになって顔を出す。
ペンギンがフリッパーをパタパタさせるが、当然窓が開くわけでもなく……シャルロッテが「自分が!」と勢いよく窓を開けた。
それだけじゃないぞ。
バルトロが壁に背を預け俺の話が始まるのを待っているし、ルンベルクも後ろで控え目を光らせている。
全員のスケジュールを調整するのは大変かな、と思ったんだけど俺の一声で希望した時間に全員が集まってくれた。
みんなのお仕事が大丈夫か心配だけど、問題ないと全員が口を揃えたのだから驚きだ。
ガラムとトーレなんて今すぐにでもって食い気味だし、何のかんのでみんなで集まりたかったのかもしれない。俺もだけどさ。
ぎゅうぎゅうに詰まった鍛冶場の一室であるが、全く窮屈な感じはしない。
むしろ、懐かしき実家に帰ってきたかのような安心感がある。
「よし。まずシャル。人員その他説明頼む」
「承知であります!」
呼ばれたシャルロッテが巻物をくるくると紐解きババーンと掲げた。
こ、細かすぎるだろ。「その他説明頼む」とか雑なお願いをした俺にも責任はあるが、どうしたものかなこれ。
戸惑う俺に対し、シャルロッテは淡々と語り始めた。耳にキーンとする声で。
「元々予定していた工期は延長にいたしました。技術検証期間は最大半年取ることが可能です。予算はこちらであります!」
「いずれにしろ瓦礫の撤去など整備が必要だ。作業員の安全装備と管理を整えたら工事に入ってもらおう」
「もちろんであります!」
「細かい話は執務室でやろう。研究予算は問題なさそう?」
「魔石機車の時以上の予算があります。増額も可能です! 大公自らの事業と銘打ちましたので、お任せください!」
自信満々にいくらでも予算を引っ張って来ると断言するシャルロッテに対したらりと冷や汗が流れる。
湯水のように研究費を使うつもりはない。そんなことをしたら、疲労で倒れてしまうだろ。
浄化設備を作るには大量の建築費用がかかるけど、それはダグラスのインフラだからまた別腹である。
「安全面のことなのだけど、バルトロ一つ頼まれてくれるか。ガルーガとティナにもお願いしなきゃだけど」
「お。冒険か。そいつは楽しみだ」
バルトロが壁に預けた背中を離し、喜色を浮かべる。
彼に頼むのはちょっとなあというところがあったので苦笑しつつ、彼に言葉を返した。
「バルトロにとっては大したことじゃないかもしれないけど、カイザーフロッグのこと、覚えてるか?」
「確かゴムのためにってやつだったよな。ゴムになる植物がホウライにあったとか聞いたぜ」
「うん。ホウライのゴムにはなくて、俺の記憶が正しければ……カイザーフロッグの表皮には多少の魔法耐性があるんじゃなかったっけ?」
「そうだな。中級程度の魔法使いだと苦戦する。あいつらは乾燥に弱いんだが、燃えねえんだよな」
「それほどなんだ。大きさはどんなもんだ?」
「そうだな。馬車くらいか。そんなもんだ」
「で、でかすぎるだろ!」
「ははは。飼育は難しいんじゃねえかなあ」
「いやいや。飼育しようだなんて微塵たりとも考えてないって。あまり乱獲していなくなっちゃうのは困るのだけど、数体狩って来てもらえるか?」
「あいよ。表皮が欲しんだよな。なるべく一刀両断して仕留めてくるぜ!」
予想外だ。いくらカイザーって書いても所詮はカエル。
まさかのサイズに怖気が止まらない。長い舌がびよーんと伸びて来て、胴体に巻き付く。
哀れヨシュア君、カエルにぱっくんされてしまう。
しかし、バルトロの剣が翻り……変な妄想はここまでにしておこうか。
カイザーフロッグの皮が十分な量ならそのまま魔素から身を護る手袋として使うことができるし、量が少ないのなら研究素材として使おう。
魔素を遮断するものといえば……他にもある。
「もう一つ、アラクネーって聞いたことがある?」
「お。ヨシュア様、詳しいな」
「初期のバッテリー水槽をグルグル巻きにするために使っていたんだ。魔素を外に出さなくしてくれる」
「んー。俺じゃ難しい。すまねえ。ヨシュア様」
「バルトロでも苦戦する相手なのか」
「相手……戦いはしねえが。相手をする、のならそうか」
何だかバルトロの歯切れが悪い。いつもは思ったことをすぐ口にしてくれるような人なんだけど、どうしたのだろうか。
ん。セコイアが渋い顔でもふもふの尻尾を俺に打ち付けてきた。
何この反応? 何か彼女を刺激するようなことをしたっけ?
「アラクネーが何者か分かっておるのかの?」
「いや。糸を出す蜘蛛か何かかと思ってたけど、アラクネー村で取れる糸とかなのか?」
「更に遠くなったぞ……。アラクネーというのは秘境に住む種族じゃ。同族だけで小さな村に住んでおる」
「アラクネー族? 人間にも友好的なのかな?」
「こちらが敵対的でない限り、まあ大丈夫じゃな。しかし、キミが行くと村から帰れなくなるかもしれんぞ。嫌らしい」
「待て待て。何でそうなる」
「アラクネーは上半身がエルフに似ており、下半身が蜘蛛じゃ。といっても、下半身もエルフのように変化させることができる」
「変わった種族なんだな。あ。彼らの体から出た糸がアラクネーの糸なのか」
「お察しの通りじゃ。それと、アラクネーに男はおらぬ。後は想像するがよい。好色なヨシュア」
酷い言われようだな……。
分かった分かった。察すればいいんだろ。
アラクネー族は魔素を遮断する糸を体内で生産することができる女子だけで構成された種族だ。
嫌らしいやら好色やらの言葉から、彼女らは人間の男を夫として子供を産むんだろ。なので、迷い込んだが最後、「ハーレム状態だあ、やったぜ。もう帰りたくなーい」になるってんだろ。
糸を出してもらうには何かしら彼女らに協力しなきゃだし、脅して無理やりというのもバルトロの主義に合わない。
なので彼は難しいと言ったんだ。
どうだ。察したぞ。
喜び勇んでセコイアに説明し始めたら、ギギギと壁が軋む音がしたので途中で中断した。
犯人はもちろん……これ以上は言うまい。
「アラクネーのことは忘れてくれ。カイザーフロッグの方を頼む」
「二週間はかからねえと思う」
「移動には飛行船を使ってくれてもいい。シャル。手配を頼む」
「承知いたしました!」
バルトロへの依頼の件はこれで終わりっと。
「お次は、アルル」
「はい!」
ビシッと元気よく右手と尻尾を上げるアルルの姿に癒される。




