360.乳か。乳がいいのか?
「閣下」
ふう。共和国、ホウライ、大森林と外国から来た諸問題については一応解決策が見えた。
ホウライは収穫待ち、大森林はカレー大会次第ではあるが、俺が細かく口を出すことでもない。外国の問題なので正直なところ、ここまで関わるつもりはなかったのだけど、なし崩し的に結構干渉してしまった。内政干渉という考え方自体がない世界なので当事国の関係者から悪い印象を持たれていないのが幸いだ。
一方で国内もダグラスの開発を進めているものの、落ち着いてきている。
もう一つの懸念である新聖女の対応方針も決まっていて、後は計画通り進めるだけ。それが終れば俺の激務も……むふふ。
「閣下」
大森林から帰ってしばらく経つが相も変わらず執務室に張り付いている。しかしだな、こうして考え事をしながらサインをし続けるといつの間にか終わっているのだ。無になるのだ、とか言ってなかったって? それもありはあり。考え事をしているといつの間にか無になれることもある。
それにしても、ボールペンて日本にいた頃は何気なく使っていたけど、羽ペンから移行したらどれほど便利なものだったか思い知らされるよね。
ボールペン以外にも仕事が捗るグッズの更なる発展を求めてはいるが、なかなか難しい。しかしながら、先日開発した印刷機がそのうち屋敷にも来るので資料を全員に配布なんてことも出来るようになる。大臣らには印刷機のことを話してないからきっと驚くぞ。
そういや、ペンギンがパソコンらしきものを開発していたっけ。
開発といえば何度か考案して諦めている自転車。馬よりは遅いけど徒歩より速い。馬と違って餌が必要ないし場所も取らないので製品化できれば瞬く間に広がるだろうな。
自転車が街を走る……となると俺の想像するファンタジーな街から遠のくけど、人は便利さを追求するものなのだ。必要は発明の母ってね。
「閣下!」
「シャル。いつのまに」
耳がキーンとした!
この声量に気が付かないとは俺の集中力もなかなかのもんだな……。
「閣下が超集中されているのでお呼びするか迷いましたが、お耳に入れておくべきかと思いまして」
「あ、うん」
書類をこなすことに対する現実逃避で取り留めのないことを考えていただけなんて言えない。
執務室は来た頃から変わっておらず、あいも変わらず俺の屋敷である。
他に政務用の宮殿なり建築しようかという話はあり、実際に役所を作った。街の官吏たちはそこで働いている。俺は慣れた屋敷が良いと主張し、役所に部屋はない。作らないように念押ししたからな。作るとなんのかんので役所の部屋でも仕事をするようになり、ずっとそこで……考えたくもない非情な現実がやって来そうな予感しかしない。屋敷ならそのまま風呂にも入ることができるし自室までもすぐだ。
役所も遠くはないんだ。屋敷から歩いて五分かからないくらいかな? それでも自宅と会社じゃ精神的な距離が違うだろ?
おっと、またしても自分の世界に入るところだった。シャルロッテの話を聞かなきゃ。
「閣下。ダグラスの工事中に水が湧き出し一時工事を中断してよいかと連絡が入っております」
「もちろん。遅れるのは全然構わない。だが、その間、工事担当者の給与がなくなってしまうことは避けたい。予算はどうだ?」
「迅速なご決断。さすが閣下であります!閣下肝入りの学園都市でしたので、関係者ともども憂いており、一刻も早く閣下にお伝えしようと。予算はこれを」
人命大事。工期なんぞ二の次だ。
ダグラスは連合国初の計画都市として工事を進めている。先に建物を作り、後から人が入る予定だ。
懐かしい言葉で言うとニュータウン計画だな。先に団地と交通機関を準備して、住みたい人を募集する。
このような計画の場合、作った住居分に人が入ってくれるのかが心配になってくるけど、そこで一計を投じた。
それは、学園都市だ。
大学を作り、全寮制とする。大学だけじゃなく、日本でいうところの専門学校や高校も建てる予定なんだ。これもまた大学と同じく全寮制になる。
初等教育機関も作るが、こっちは寮を作らない。年少者は親元で育てて欲しいという俺の思いから。中には初等教育も寮でと言う人もいたけど、押し切った。
学校があることで、学生相手の商売が成り立つ。寮の管理、教職員、食事などなど。
人がいればモノが集まり、モノが人を呼ぶ。
何も考えずに学園都市だー、と企画したわけではないのだよ。ふ、ふふ。
「予算は大丈夫そうだな。ポールとペンギンさん、セコイアに俺と一緒にダグラスへ行ってもらえるように調整してもらえるか? シャルも同行して欲しい」
「承知であります!すぐにペンギン氏に突撃して参ります!」
セコイアは俺からでいいか。笛を吹いたらやってくるし。
ん。待てよ。水が噴出した?
「地下から水が噴き出したんだよな? それってただの水だったか?」
「そこまでの情報はまだ入って来ておりません」
「現場が『危険と判断』して退避したんだな?」
「おっしゃる通りであります! 工事続行不可能と判断したと聞いております!」
嫌な予感がする。地下水が吹き出して工事続行不可能というのは稀にある話だ。
しかし、危険か? 土砂が崩れてきたりしたら危険だけど、ダグラスの街なのだから整地はされている。
山崩れなんてものはない。元々あった建物が倒壊するかもしれないから?
うーん。ありそうだけど、俺の考えが正しければ……。
「なるべく早く準備して欲しい。今日の予定はキャンセルする。ダグラスに向おう」
「ポールさんやペンギン氏はどういたしますか?」
「来れれば、でいい。セコイアは必須だから、今から呼ぶ」
「承知いたしました! すぐに手配を進めお二人にも声をかけます」
予想が合ってないことを祈る。
さて、笛を――。
「呼んだかの?」
吹こうとしたら、窓が勝手に開いて狐耳がふわりと着地する。
「は、早いな。聞いていた?」
「話は聞かせてもらったのじゃ」
ババーンと得意気な顔をするセコイア。
実は窓の外で壁に狐耳を張りつけていたのもしれない。
「お。聞いていたなら話が早い」
「いや、言ってみただけじゃ。何でもかんでも耳をそばだてていると疲れるじゃろ」
「そ、そうか。ダグラスでさ」
「分かった。行くぞ。ヨシュア」
セコイアがぐいぐいと俺の手を引く。
さっきから何だよもう。
「え。まだ何も説明してないんだけど……」
「説明せずとも分かる。宗次郎も連れて行った方が良いの。あと大工か鍛冶のどちらかが居た方が良い。いや、必要はないかの。現地には大工もいるのじゃろ?」
「いると思うけど……」
「ならば行くぞ」
抗議するも止まらぬセコイアに対し手を前に出し引きとどめる。
「ま、待って。飛行船の用意もある。シャルに頼んでいるんだ」
「牛乳娘が良いのかの? 乳か。乳がいいのか?」
「牛乳は今朝も飲んだけど……健康には良さそうだよな」
「本当に嫌らしい奴じゃ。ボクというものがありながら」
意味不明過ぎて突っ込む気力もわかない。
おっと。セコイアに構ってばかりもいられないんだった。急ぎ準備をしなければ。




