35.ぐりぐりする件
アルルが大胆に左の指先で胸元を引っ張り、もう一方の手を首から服の中に突っ込む。
いくらぺったんこだとはいえ、せめて俺から背を向けてからにしようよ。
そんな俺の気も知りはしないアルルは、服の中から細長い犬笛のような銀色の笛を指先で挟み、にこやかにほほ笑んだ。
彼女に対し「頼む」という意味を込めて頷くと、彼女もコクリと首を縦に振り銀色の笛を口に咥える。
――キィイキイィイイ。
ぐ、ぐうう。何だこの音。笛の音じゃねえだろこれええ。
黒板を爪で引っ掻いたような生理的嫌悪を催す。
「60を10回数える。までに。来ます」
「お、おう」
「お待ちの間に。一つ。お聞きしていいですか?」
「俺に分かることなら」
了承した俺に対し、アルルはスカートの両端をちょこんと掴みお辞儀を行う。
「わたし。メイドでなくても。ヨシュア様と一緒なら。情婦? でも」
「ちょ、待て。情婦って意味が何か分かっているのか?」
「ううん?」
「……エロロリの言葉なんて忘れてしまってくれ。アルルは今のまま、メイドとして俺を支えて欲しい」
「はい!」
元気よく返事をしたアルルに向け、満足気に頷きを返す。
さてと。
「セコイアー」
「な、何じゃ。ボクは何もしておらんぞ」
いひひひと暗い笑みを浮かべ、セコイアににじり寄る。
たじろく彼女をガバッと抱きしめた。
「ほおれえ」
「こ、こんな明るいうちから。でも、構わんぞ、はあはあ」
「……と見せかけて」
「こらああ!」
セコイアを安心させたところで、両手の握りこぶしを彼女のこめかみに当てぐーりぐりと。
「本当に筋力がないのじゃな……」
「加減しているからな。ふふん」
「痛みはないのじゃが、子供を叱るような態度が気に食わん」
「懲りたら、アルルに変な事を吹き込むんじゃねえぞ」
「むうう。善処しよう。アルルの前では言葉遣いに気をつけよということじゃな」
「そそ。素直なのはよいことだ」
拳を離し、今度は彼女のサラサラの長い髪を撫でる。
びくりと肩を震わせ強張る彼女だったが、すぐに体から力が抜け気持ちよさそうに目を細めた。
「約束だからな。ちゃんとお願いも聞いてくれると言ってくれたし」
「もっと撫でてもよいぞ」
「いや、そろそろ終わりだ。『見えた』からな?」
「むう。仕方あるまい。そちらはそちらで楽しみじゃからの」
見えたのは窓の外。バルトロの姿だ。
彼の速度ならほら、もう。
コンコン――。
扉を叩く音が響く。
「ヨシュア様。バルトロだ」
「急に呼んですまなかったな。入ってくれ」
ガチャリと扉が開く。
顔を見せたバルトロが右手の人差し指と中指をくっつけ、頭の辺りで「よお」とばかりに左右に振る。
「いや、ちょうど暇を持て余していたところだったんだ。仕事なら何でも受けるぜ」
バルトロには街の護衛を統括してもらっていた。
なので、彼が暇なのはとても良いことなのだ。
「街の様子はどうだ?」
「昨日、今日といざこざの件数はゼロだ。どいつもみなヨシュア様の元一丸となっているって感じだぜ」
「お、おう。喧嘩が無しとはすばらしいことじゃないか。外敵はどうだ?」
「無しだな。イノシシの一頭でも紛れ込んできてくれりゃあ、喜んで狩りに行くんだがなあ」
残念そうに指をパチリと鳴らすバルトロ。
無精ひげにシャツがはだけたラフな格好も相まって、彼にはこういった仕草がとても似あう。
「手が空いているのなら、少しの間、俺の散歩に付き合って欲しいと思ってるんだがどうだ?」
「おお! 行く行く。是非行かせてくれ。とても楽しそうじゃねえか」
「わたしも……行きたい」
いやっほーと右腕を振り上げるバルトロの服の袖を背伸びして引っ張るアルル。
アルルも連れて行くことはやぶさかじゃあないんだけど、彼女もとなると街に残る人がエリーだけになってしまう。
彼女一人だと何か不測の事態が起こった時に対処に困るだろう。
二人いれば、一人がルンベルクに危急を伝えることもできるわけだ。
「ごめん、アルル。次はアルルを連れていくから。今回はエリーと一緒に街で仕事をしてもらえないか?」
「はい!」
アルルは右手をピシッとあげて返事をする。
右手だけじゃなく尻尾もピシッとしているのが何だか可愛い。
「バルトロ、あと一人一緒に来てくれる人を募ってもらえるか。警護はバルトロ抜きでこのまま継続。何か問題があった場合は『エリーかアルルに連絡を入れる』としてくれ」
「あいよ! すぐに準備してくるぜ」
「あ、それと。念のために言っておく。エリーかアルルに連絡を入れる、といっても二人を前線に立たせるってわけじゃないからな。そこは腕っぷしの強い人に任せてくれ」
「腕っぷしねえ。エリーでいいんじゃねえか」
何か呟いたバルトロだったが、くぐもっていてハッキリと聞こえない。
アルルには聞こえていたようで、バルトロに向け青い顔をしてぶんぶんと首を振っていた。
「どうした?」
「いや、何でもねえ。な、アルル」
「う、うん。ダメ。絶対。お口にチャック」
「すまんすまん」
何やらアルルとバルトロが囁き合っているが、重要なことなら俺に伝えてくるだろうからあえて聞く必要もないか。
「バルトロ。鍛冶屋前で待ち合わせで頼む。俺はトーレのところに寄ってからセコイアと鍛冶屋に向かうから」
「了解だ」
バルトロとハイタッチし、彼を見送る。
「よっし、じゃあ俺たちも動くか。セコイア」
「だの。じゃが、一つ認識違いがあるのお」
ん。
セコイアの目線がアルルに。
アルルはにこっと口角をあげ、棚の上に畳んであった服を一着抱え、俺の前で広げて見せた。
「ローブか。もうトーレが届けていてくれていたんだな」
「はい」
フード付きのローブはボタンと紐が付属していて、前を締めることによって全身をくまなく覆うことができるようになってる。
夜中まで俺と会話していたというのに、いつの間に作業をしたんだ? トーレのやつ。
「全部で三着。あります」
「ありがとう。アルル」
「一人。足りません?」
コテンと首を傾けるアルルに向け、問題ないと親指を立てる。
「いや、セコイアは必要ないだろ?」
「うむ。要らぬな。風の加護があれば問題なかろう。雷は『逸らす』からの」
「さすが規格外。ははは」
「人を化け物みたいに扱うでない。これほど愛らしい者もなかなかいまいて」
「自分で言ってりゃ世話ないさ」
「こいつう」
なあんてふざけながら、部屋を出る俺とセコイアであった。
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