336.皇帝って意外に
まさかこんな短期間で再び帝国に来ることになるとは思ってもみなかった。
飛行船が稼働し始めてから随分と外国が近くなったよな。レーベンストック、帝国、そして遠い異国の地であるホウライ。
共和国の大陸最大の都ジルコンにも仕事ではなく観光目的で行ってみたいな。
ジルコンは俺たちの住む大陸と外を繋ぐ玄関口だ。港の規模が他と段違いであるにも関わらず、船舶がひっきりなしに往来しているという。
海の見えるカフェでコーヒーを飲みながらまったりする……そして夕焼け空にため息なんかついたりして。
いい、とても良いぞ。
「間もなく到着いたします」
妄想に浸っていたら、無常にもルンベルクの渋い声が耳に届く。
見せてはいけないと思いつつも、ついつい残念そうな顔になってしまった。
それをまともにシャルロッテに見られるというハプニングが。
彼女はゲラ=ラに餌をやる手を止め、肩を震わせる。
「閣下。も、申し訳ありません」
「謝られるようなことをした覚えはないけど。疲れた顔をしていたように見えたかもしれないけど、ちゃんと休んでるからね」
「い、いえ。閣下のご気分を損ねてしまい。深く反省しております。まだ半分あります! どうかこれで」
「え、いや」
ゲラ=ラに与える餌をズズイと前にやられても弱るんだけど、シャルロッテの頭の中は一体どうなっているんだろう。
俺が餌を与えることができなくて、深刻な顔をしていたと思ったんだよな。
「シャルが残りもやってくれ」
「そ、そんな。閣下の寛大なお心は重々承知しております。ですが、既に自分は半分もお食事の提供をしてしまいました」
「い、いいから。お、俺はほらペンギンさんがいるし」
「ペンギン氏はご自分で食事をなさいます……」
謎の押し問答に対し、助けを求めるようにアルルへ目を向ける。
しかし、彼女はニコニコしたまま首を傾けるだけだった。
そこへできる男……いやできるペンギンが右のフリッパーを器用に折り曲げる。
「ヨシュア君。余り待たせるのは良くなさそうだ」
「ニクニク」
ゲラ=ラの大きな口からダラダラと涎がとめどなく流れ出していた。
「ほら、シャル。早く餌をあげて。もう到着するから。俺は俺で準備が必要だ」
「本当によろしいのですか?」
渋るシャルロッテの背中を押し――。
うお。
そう言えばそろそろ到着するってルンベルクがアナウンスしていたな。
ガタンと揺れた飛行船の傾きが立ち上がったところで来たものだからよろけてしまう。
シャルロッテの背中に当てた手がそのまま彼女を押し込むような形になってしまって、このまま彼女が前に倒れてしまったら生肉に顔をつっこむ大惨事だ。
しかし、アルルがシャルロッテを支えてくれて事なきを得た。
肉は耐え切れなくなったゲラ=ラが自分で貪り始める事態に。
ま、まあいいか。結果的に彼の欲は満たされたのだ。
◇◇◇
帝国につくなり、騎士たちに囲まれて皇帝の紋が入った馬車へ案内される。
騎士団長と名乗る偉丈夫から「皇帝がお待ちです」とだけ告げられそのまま王城へ。
今回は急だったこともあり、同席できたメンバーはシャルロッテとルンベルクに加え、風呂からそのままなし崩し的に連れてきたペンギンと餌で釣ったゲラ=ラである。
ペット同伴であっても、当たり前のように全員で馬車へ乗った。騎士団長も嫌な顔一つせず、むしろ恐縮した様子で挨拶もそぞろに案内したことを詫びてくれるほど。
この辺りからも帝国の政治が上手く行っているのかなと計り知れるってものだ。
相手が俺だからというのはもちろんあるだろう。だけど、不穏なことを考えていたら、必ずどこか態度に出る。
彼からは何気ない所作からもそう言った雰囲気は感じられなかった。
通された広間では既に皇帝が待っていてくれて驚く。
皇帝が客人より先に広間にいることなんて異例だったのだから。慣例として皇帝本人でなく相手の身分に応じて大臣なりが迎え、皇帝は後から入室する。
それが彼本人が待ち構えているなんてどうしたのだろう?
「ヨシュア殿。お待ちしておりました。かの賢公ならば必ずすぐさま訪問すると確信しておりました」
「ご本人がいらっしゃったので驚きました。早速お会いできて光栄です」
「一刻も早くヨシュア殿と会談を行いたかったのです。ヨシュア殿を見習い、慣例はあくまで慣例であり縛られることなかれ、と」
「聖女より、帝国にも新聖女が誕生したと聞いています。お耳に入っているかもしれませんが、ネラックでも新聖女が誕生しました」
「連合国の枢機卿より聞き及んでおります。帝国の予言持ちからも進言がありました。詳細はヨシュア殿から、とも伝えられています」
「そうでしたか! 確かに私の口からお伝えした方が……ですね」
「先に帝国側の新聖女について紹介させてください」
皇帝にしては嫌に余裕がないように見える。
いつも落ち着き払った彼が珍しい。待ち構えていたことといい、彼にとって新聖女は余程困惑するような人物だったのだろうか。
合図とともに金髪でツインテールの少女が広間に入って来る。
年のころはセコイアと同じくらいに見え、ネラックの新聖女マルティナとも歳が近そうだ。
なるほど。確かに彼女が新聖女となれば皇帝が一刻も早くとなる気持ちも分かる。
彼女はリリーゼグント・コンラート・ザーリア。帝室であるザーリア家の第四皇女である。通称リリー。
彼女とは帝国の図書館で会った時以来だ。
「神託を授かり、新聖女となったリリーゼグント・コンラート・ザーリアです。ヨシュア様。ご無沙汰しております。ご機嫌麗しゅう存じ、いたっ!」
「リリー。噛んでる。いつも通りでいいよ」
「これがリリーのいつも通りでごじゃり……」
「皇帝の前だとまずかった……?」
「もういいや。お父様。ヨシュア様はリリーにいつも通り喋れと命じております。よろしいでしょうか?」
リリーの問いかけに皇帝は苦笑し「ヨシュア殿が許可するならば、良い」と言ってくれた。
改めてなのかリリーはスカートの端をちょんと掴んでお辞儀する。
社交界デビューはまだであろうから、畏まった挨拶は慣れていなさそうだ。
俺と気さくに喋ってくれる人は少ないし、以前のように接してくれた方が嬉しいんだけどなあ……。
「終わり。やっぱり無理い。お姉さまのようにうまくできないよ」
「おいおい覚えていけばいいんじゃないか? 特に急ぐ話でもなし」
そう諭すとリリーはじーっと俺を見上げてきてコクリと頷く。
「うん。もう。ヨシュア様。そうやって誰にでも優しくして口説いているんでしょー」
「待て待て。皇女を口説くなんてことはしたつもりはない」
「全くもって問題ないですぞ。どうぞ。口説いてください。ですが、聖女としての勤めが終わるまでお待ちください」
皇帝ってこんなお茶目な人だっけ?
俺とリリーの様子に緊張の糸が切れ、毒気を抜かれたってところか。
リリー登場前の切羽詰まった空気はどこへやら、和やかな雰囲気で会話が続く。




