335.長風呂
「ニクニク」
「ほーれほれ」
……俺は一体何を。
息抜き兼ニューボールの使い心地を確かめようと思っていたのに、何故か餌付けをしている。
シャルロッテが恍惚とした顔でこちらを見つめているし、いつの間にかセコイアとアルルがいなくなってた。
アルルと言えば護衛がいないじゃないかと思うかもしれない。
しかしだな。屋内にアルルがいれば傍に付かずとも大丈夫なのだって。それならそうともっと早くに言ってくれればよかったのに。
確実に俺が聞いていたのに忘れてただけだろうけど。物忘れが酷くて困る。ひょっとしたら、数ヶ月前にも同じことを言っていたような気がする。
「シャル、おーい」
「……っ! 閣下とゲラ=ラ氏。素敵過ぎであります。つい我を忘れて……」
「肉をあげているだけだったけど……正直ちょっと楽しかった」
「そうでありましたか! 今後は閣下もゲラ=ラ氏のお食事を与えられてはいかがでしょうか」
「う、うーん。忘れそうだから。引き続き、シャルが世話してあげて」
「はい!」と敬礼するシャルロッテ。
餌やりを一回でも忘れたら、「ニクニク」と執務室までやってきて足を齧られそうだものな。
本能のままに行動しているが、これでも一応、覇王龍の監視役なんだっけ。オレンジ色の爬虫類は。
「ゲフ」
満腹の汚い息を吐くゲラ=ラからはとても超越者の使者には見えなかった。
覇王龍ことリンドヴルムは割に威厳ある感じなのだけどなあ。まあ、こっちの方が接しやすい。
飛行船でいざという時に護ってくれたし。彼は餌代以上の活躍をしてくれているから良しだ。
覇王龍からゲラ=ラを通じて俺に何か言ってくることも無いし、口を出してこないことには安堵している。
そうだ。たまにはゲラ=ラも連れて行こうか。確か、帝国には行ったことがなかったはず。
帝国と旧公国の国境線付近にまで飛行船で行った時が彼にとって最も帝国に近づいた時かな。
そう、公国東北部の悲劇に対処すべくダイナマイト型魔道具を空から撒いた時だよ。
「シャル。ゲラ=ラも飛行船に乗せよう。すぐに餌を準備できそうかな」
「問題ございません。明朝までには飛行船に積み込みをしておきます」
「保冷庫を積み込んでも良いよ」
「閣下……ゲラ=ラ氏のためにそこまで。男子の友情に胸が震えます」
頬を桜色に染めちゃって、一体何を想像しているのだろう。
もはや突っ込む気力を無くした俺である。
爬虫類はペット。友人かどうかと言われれば、ペットとは言え喋るのでそうだと答えると思う。
とはいえ、男同士という感覚にはなれないな。
ペンギンならゲラ=ラと違ってシャルロッテのご想像する通りになるけどね……ゲ=ララだものなあ……。
さて、シャルロッテの恍惚とした顔は見なかったことにして執務室に戻る。
その後は「無」になることに成功したので、書類を片付けることができた。
終った頃にはすっかり暗くなっていて、ペンギンと一緒にお風呂へ入る。
彼は最近ずっと鍛冶場にこもっていたから一緒に風呂へ入るのは久しぶりだ。
彼との話題はいつもの日本についての昔話(主に科学)である。
「ペンギンさん。この世界にも保冷庫があるのだけど、発泡スチロールってどうやって作るのかな」
「保冷庫は手間がかかるのかい?」
「ペンギンさんは保冷庫を見たことがなかったっけ?」
「屋敷のキッチン奥にある金庫みたいなものであってるかい? 随分と重たそうだ」
「うん。重たいし、かなり高価なんだ」
「魔法金属で覆っているのかな」
「ご名答」
保冷庫は薄く伸ばしたブルーメタルの板で二重構造になっていて、2センチほどの隙間がある。その内側は3センチくらいの木材になっているので、大きさの割に中の容積が少ない。
金庫みたいとの表現は言い得て妙である。
ん。待てよ。
「えっと。素人考えだけど、聞いて欲しいことがあるんだ」
「何かね」
湯船でバタ足をしつつ応えるペンギンに和む。
ほんと見た目じゃわからないよなあ。彼の頭脳は一国にも勝ると俺は思っている。
そんな彼であるが、こうして受けごたえしていても姿だけを見るとペンギンが遊んでいるだけにしか見えないんだもの。
ふと思いついたのはボールペンなんだ。
「プラスチックを使った製品のことを相談したことがあったじゃない」
「まだ継続中だったね。何かいいアイデアが浮かんだのかね?」
「保冷庫って要は保温能力が高いもので。生ものを配送する時に発泡スチロールの箱で送ったりすることを思い出して。発泡スチロールってプラスチックじゃなかったっけと」
「発泡スチロールはポリスチレンでできている。発砲プラスチックの一種だね」
「ポリ……何とかは発泡プラスチックって名前からしてプラスチックなんだよね?」
「確かにそうだが、魔工プラスチックは植物樹脂に近い。発砲プラスチックのように加工できるのかは未知数だね」
いいアイデアだと思ったんだけどなあ。
ペンギンの口ぶりからして難しそうだ。
すると何を思ったのか、ペンギンが湯の中に嘴を入れ息を吐き出し始めた。
ブクブクとお湯から泡が出て来る。
「ペンギンさん……」
「これが発泡だよ。発泡スチロールの98パーセントは空気で出来ている。だから軽くて断熱性が高い。加工もしやすくそれなりに頑丈だ」
「魔工プラスチックに息を吹きかければいいってこと?」
「それでは難しいね。仮にポリスチレンが合成できたとしても発砲スチロールへ加工できるほどの工業技術を持つ……には相当な時間がかかると思う」
「そっかあ」
肩を落とす俺に対し、湯船から出てきたペンギンがペシペシと俺の背中を叩いた。
彼なりに俺を励ましてくれてるらしい。
振り向くと器用にフリッパーを折り曲げて肩を竦めるポーズのつもりをしたペンギンがパカンと嘴を開く。
「ポリスチレンの原料はある」
「黒い湖のところかな」
「そうだとも。でもね。ヨシュアくん。原油とナフサからポリスチレンを生成することじゃなく、ここが地球じゃないことを活かす方が私たちの世代で使えるものができるのではないのかな?」
「ええと。魔工プラスチックのようにこの世界ならではの素材で発泡チロールの代わりになるようなものを探そうってことかな」
「いかにも。目的を定め、適合する素材を探す。これほど心躍ることはない」
「今回の場合は手軽な断熱材を目標にすればいいか。軽くて持ち運びできるような」
「そうだね。面白い研究テーマだ」
はははと笑ったところで、外から俺たちを呼ぶ可愛らしい声が。
「ヨシュア様ー。溺れてない? ペンたんがいるから、大丈夫?」
「少し長話をしてしまっただけだよ。すぐ出る」
声の主はアルルだった。
話に夢中になって長風呂になってしまったみたいだな。




