323.がおおーーー
リャウガ川流域のとある発着場へ着陸した。
もうダイブはしない。狐は面白がってあえて必要ない場面でも飛行船から飛び降りているんじゃないかとさえ思えてきた。
着陸するやセコイアと二人で森の中に入る。歩いて20分くらいのところで立ち止まり、切株に腰かけたところで今に至る。
「何じゃ?」
「いや、ここで待ってればユマラはくるんだよな」
「この場まで駆け付けるにはなかなかに距離があるからの」
「どれくらいあるんだ?」
内心を悟られたとドキリとしたが、いかな大魔術師でも心の中で考えていることまで読めるわけがないかと、考え直しホッとする。
「そうじゃのお」
ピクピクと耳を揺らすセコイア。
右手の人差し指をピンと立て、目を瞑る。
「およそ150キロと言ったところかの」
「それ、日が暮れるんじゃ……」
「そうでもない。せいぜい30かそこらじゃろ」
「えええ……道もないところを150キロだぞ」
「あやつらにとって庭みたいな場所じゃ。移動に支障はなかろうて」
高速で移動するパンダ……想像もつかねえ。いや、パンダじゃなくユマラだったな。
パンダってずんぐりしていて、いつもゴロゴロしている姿しか映像が浮かばない。
あとは竹をむしゃむしゃしていたり、木の上で寝そべっていたり、くらいか。
歩く姿も動画で見たことがあるけど、のっしのっしとゆっくりとしたものだ。
ガサガサ。藪が動く。
「お、来たか」
立ち上がるが、セコイアに押しとどめられる。
首を横に振った彼女が俺の膝に座った。
そうこうしているうちに藪から黒っぽい何かが姿を現した。
ユマラ? いや、似てはいるけど違う。
「あれ、熊じゃ……」
「そうじゃな」
「ひええ。ほら、追い払って。野生児パワーで」
「なんじゃそれは……」
逃げようにもセコイアが膝の上に乗っているから動けない。
漆黒の毛皮に頭に角が生えた熊がグルルルとこちらを威嚇しているではないか。
しかも、大きいぞ。こいつ。サーベルタイガーのような長い牙からして、肉食で間違いない。
「グアアアアア」
「ぎゃああ」
なんて咆哮だよ!
喰われる。喰われるってば。
だと言うのにセコイアは微動だにせず、腰を浮かそうとする俺をきっちり抑え込んでいる。
「ゲラ=ラが喜びそうじゃの」
「肉食動物の肉は余り美味しくないって聞くけど……じゃなくって、獣を統べる者なんだろ。遊んでないで早くう」
そこへ白と黒のあいつがやって来た。そう、ユマラだ。
パンダとの見た目の違いは右耳がピンク色ということだけ。ただし、パンダよりサイズが大きい。
黒い熊のようなモンスターはユマラにターゲットを変え、ひときわ大きな声をあげる。
「グルウウアアアア」
「がおー」
対するユマラは気の抜けた声……。
「セコイア。早く。ユマラが」
「一角熊なら問題ないじゃろ」
「熊の方が大きいって!」
「全く……いざとなれば手助けする」
対峙する熊とユマラ。睨み合っていた二体だったが、先に顔を逸らしたのは熊の方だった。
熊はくるりと踵を返し、森の中へ消えていく。
あの気の抜けた鳴き声に熊の方がビビったと言うのだろうか……。
「久々に理解できないシチュエーションを見た……」
「何を言っておるんじゃ? ユマラと一角熊の内包する力を比べれば一目瞭然じゃろ」
「内包する力って。俺にはステータスを見る力なんて無いってば」
「ステータス? なんじゃそれは」
「能力を数値化した表みたいなもんだよ」
「ほう。そいつは面白そうじゃな。魔力密度の件も興味深かった。数字で示すと分かりやすいの」
「だろ?」
「そうじゃな。魔力密度3」
「5だと言ってるだろ!」
何度目だよ。このネタ。もはや様式美と言ってもいい。
体を鍛えたら魔力密度も上昇するとかそこの狐がのたまっていたな。いつまでも魔力密度5だと思わないことだ。
「そのままじゃと本当に3になるぞ」
「え……ええ。ちゃんとペンギンさんを持つ運動をしているって」
「そうは見えぬがな」
「あ、ほら。ユマラを待たせちゃダメだろ」
旗色が悪くなってきたから、話題を変えたわけでない。
熊を追い払ってくれたユマラに感謝を述べ、交渉を始めねばならぬからな。
「して何をつたえるんじゃ?」
「まずは感謝を」
「うむ。伝えたぞ」
「ゴロゴロし始めたんだが……」
「気にするな、ということじゃ」
「お、おう……」
動物が腹を見せるのは降伏や親愛の証のどちらかと聞くが……リラックスし過ぎじゃないだろうか。
地面に寝そべったユマラは腹を上に向け、右の後ろ脚を上にあげ、降ろしと遊んでいるようにしか見えない。
ユマラって足にも鋭い爪がついているんだな。あの爪を使って木の上に登るのかも。前脚の爪も長く鋭い。
「竹林も作るようにするので農作業を手伝ってもらいたい。農作業でどのようなことをするのかは直接イゼナを交えて交渉したいんだけど」
「ふむ……伝えたぞ。(交渉に)付き合うのは構わぬが、ちゃんと食事を準備して欲しいと言っておる」
「そこは問題ない。実験農場にも竹があるから」
「すぐに行こうと言っておる」
むくりと立ち上がったユマラが目を輝かせた気がした。
「がおー」
やる気を見せたのだろうけど、全然そんな感じがしない……。ユマラの鳴き声って脱力するんだよな。
ゲラ=ラやユマラみたいな人間並みの知能を持つ人型以外の生物って、どれもこんなのなのだろうか。
食べ物に一直線というか、交渉材料が食べ物以外にはないとか、そんな感じ。
さすがに超生物たるリンドヴルムは違うだろうけど、他にも聖獣だっけ? 人間並みの知能を持つ獣がいるらしいけど、似たような感じなのかもしれない。
今後もこういった生物と交渉をすることがあるかもしれないので、覚えておくことにしよう。
雷獣も甘い食べ物で協力してくれたよな、確か。
「ん」
ユマラが俺の服の袖を甘噛みして引っ張って来る。
「乗れと言っておる」
「乗って大丈夫なのか……」
「ヨシュアとボクくらいなら問題ないじゃろ。キミに歩かせると遅いからとのことじゃ」
「150キロを移動してきたんだったか」
「そうじゃの。ここから飛行船までなどユマラにとっては散歩にもならぬな」
「じゃあ、有難く。乗せてもらおうか」
「うむ」
セコイアがユマラの首元に、俺が彼女にしがみつくようにして後ろに乗る。
「がおー」
一声鳴いたユマラが歩き始めた。
振り落とされないようにしっかりと掴んでおかなきゃな。
「は、早い。も、もっとスピードを落としてええ。落ちる。落ちるう」
「相変わらず……じゃの」
こんなことならロープを持ってきておけばよかった。